疋田拓

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疋田 拓(ひきた たく、1942年 - )は、日本の音楽番組プロデューサーディレクター演出家実業家である。元フジテレビテレビ朝日社員で宮崎県日向市出身。日本大学芸術学部放送学科卒業。所属はプロデュース&ディレクション(P&D)である。

経歴[編集]

1968年、日本大学芸術学部放送学科卒業後、NHKに契約社員として入社。その後フジテレビへ入社する。フジテレビ入社直後に放送が始まった歌謡番組『夜のヒットスタジオ』に技術担当のアシスタントディレクターとして参加。その後、1973年からはディレクター、1976年からプロデューサーとして約20年もの長きにわたって番組製作の中枢を担い続けた。その間、『夜ヒット』以外にも70年代には『ラブラブショー』、80年代には『スターどっきり(秘)報告』、『オールスター水泳大会』、『スター千一夜』などの芸能番組、また『FNS歌謡祭』、『新春スターかくし芸大会』、『世界紅白歌合戦』などの局を挙げての大型番組の製作も数多く担当。

1988年夏にフジテレビを退社、テレビ朝日へ移籍し、1991年に退社。

1990年に番組制作会社及び芸能プロダクションでもあるプロデュース&ディレクションを設立し現在もNHKを初め各局で音楽番組の演出を担当している[1]

人物[編集]

現在でも『夜のヒットスタジオ』の看板プロデューサーとして名を馳せており、「ミスター夜ヒット」とも呼ばれている。プロデューサー在任中は、当時としては斬新で実験的な演出を多用して全盛期を築き、歌謡番組の筆頭格へと成長させた。その結果、『夜ヒット』出演は当時の邦楽歌手にとってステータスと看做される様になり、疋田も「歌謡界のドン」と言われるほどの絶大な影響力を持っていた。更に『夜のヒットスタジオDELUXE』時代にはフランク・シナトラティナ・ターナーを同時に生出演させるという‘偉業’も達成。それ以降、毎週の様に世界の歌手が登場し、国際派音楽番組としても名を挙げた。

また演出手法として電飾やドライアイスなどの派手なセット演出が特徴的であった。

こうした挑戦的制作姿勢を採った結果、『夜ヒット』の放送が行われていたフジテレビ旧本社の第6スタジオは、戦場さながらの様相を呈していたと多くの関係者が語っている。新人時代にADであったきくち伸曰く、(元々が激務である)フジテレビの制作現場でも最も恐れられていたという。また、当の疋田本人も、ヒットスタジオ担当時代は「週7日出勤」を自ら実践、そのうち週5日をヒットスタジオの企画・構成に費やし、あとの2日を別の自身の担当番組のプロデュースに当てるというハードワークを長年続けていた(当時の人事担当に1か月すべての日に「出社」を意味するスタンプを押した出勤シフト表を提出して、「こんな事できるはずがないだろ!」と注意を受けることは日常茶飯事だったという)。

また疋田自身も熱血漢であり、退社後設立したプロデュース会社でも厳しい姿勢で仕事に臨み、スタッフや出演歌手へ手を挙げる事もあったという。


フジテレビ時代は編成局第二制作部から1987年に人事異動のため国際スポーツフェア事務局のゼネラルプロデューサーを務め主に春の大型連休シーズンに代々木第一体育館周辺で毎年行われた国際スポーツフェア大会で今までにないアイドルや大物歌手を出演させ話題になった[2]


1988年、当時流行語だったとらばーゆヘッドハンティングとして当時音楽番組が弱かったテレビ朝日に入社、編成局制作第三部の所属となりテレビ朝日開局30周年特別企画番組を担当することとなる。『郷ひろみの宴ターテイメント』などの音楽番組を担当するも期待された程の視聴率が取れずまたテレ朝の天皇の異名を取ったプロデューサー・皇達也との確執などから1991年に退社し、フリーランスの立場となる。


独立後はNHK BSプレミアムの看板歌番組『BS日本のうた』の番組制作、演出やBS朝日・『日本の名曲 人生、歌がある』の制作、演出を担当、また夜のヒットスタジオ同窓会と称したイベントを各地で行うなど、現在も活躍を続けている。芳村真理とは夜ヒット以来盟友の間柄で、現在も疋田プロデュースのイベント司会を務めることが多く、また疋田の設立したイベント会社の役員に名を連ねている。

担当番組[編集]

フジテレビ[編集]

ほか

テレビ朝日[編集]

ほか

その他[編集]

ほか

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ サンデー毎日』(毎日新聞出版、2000年7月30日号)「集中連載第1弾!マスコミが報じない芸能界のタブーに迫る!力と闇"バーニング帝国"の素顔」20 - 25頁。
  2. ^ 週刊現代』(講談社、1988年10月1日号)「人間ワイド・有名人『宴のあと』・フジテレビからテレビ朝日へ電撃移籍!名物プロデューサー疋田拓氏46歳の計算」57頁。