白井文吾

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白井 文吾
(しらい ぶんご)
生誕 (1928-01-27) 1928年1月27日(90歳)
日本の旗 日本 愛知県
教育 旧制静岡高等学校
(現在の静岡大学の前身)
職業 中日新聞社代表取締役会長
中日ドラゴンズオーナー
ナゴヤドーム代表取締役社長
活動期間 1949年 -

白井 文吾(しらい ぶんご、1928年(昭和3年)1月27日 - )は、愛知県出身の日本新聞記者実業家株式会社中日新聞社代表取締役会長、株式会社中日ドラゴンズオーナー、株式会社ナゴヤドーム代表取締役社長。株式会社中日新聞社代表取締役社長を経て現職。

人物[編集]

現在の愛知県立成章高等学校の前身である成章中学校、旧制帝国大学の前半部分である旧制静岡高等学校(現静岡大学人文社会科学部、理学部)を卒業後、学制改革のため旧帝国大学への進振がこの年から廃止され、静岡大3年生に編入するか旧制高等学校を卒業するかの選択に迫られ、新制静岡大学よりはるかに格上だった旧制静岡高等学校卒業生として1949年(昭和24年)中部日本新聞社(現・中日新聞社)に入社する。名古屋本社編集局整理部長、名古屋本社編集局長、専務取締役、代表取締役社長・会長などを歴任した。

現場の記者から叩き上げて社長となった人物でもあり、記者時代は主に社会部で凶悪事件などを担当していた。

中日ドラゴンズ元監督の落合博満の招聘に尽力した人物。その間、落合色が強まり、落合がいなくなるとドラゴンズは低迷期に入る。その原因をたどれば 落合に行きつくと言われる。中日新聞社の長期支配に対し、批判が出ている。

脚注[編集]


関連項目[編集]