白山神社 (君津市俵田)

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白山神社
Hakusan kofun.jpg
所在地 千葉県君津市俵田1452
位置 北緯35度19分13.8秒
東経140度3分28.7秒
座標: 北緯35度19分13.8秒 東経140度3分28.7秒
主祭神 大友皇子・菊理比売神
社格 国史見在社・旧郷社
創建 伝天武天皇13年(684年)
例祭 9月の最終日曜日
主な神事 神楽
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白山神社(はくさんじんじゃ)は、千葉県君津市俵田(上総国望陀郡)に鎮座する神社旧社格郷社

祭神[編集]

大友皇子菊理比売神を祀る。

由緒[編集]

社伝によれば、壬申の乱で敗れた大友皇子が東国に逃れこの地で自刃したとされる。落ち延びた皇子が暮らした「小川宮」の跡であるとの伝説もある場所である。

その後天武天皇13年(684年)に勅使が下向し社殿を造営、皇子を祀り田原神と称したと伝えられている。「田原」が現在の地名「俵田」の由来となったともされ、かつては田原神社と称していた事から、元慶8年(884年)に従五位下神階が授けられた[1]田原神に比定されている。

拝殿には江戸時代中期の神祇伯雅寿王の文政12年(1829年)の筆による「田原神社」の額が掲げられており、明治維新後社名を白山神社と改め明治6年(1873年)郷社に列した。

白山神社古墳[編集]

白山神社古墳

本殿に接して白山神社古墳(千葉県指定史跡)があり皇子の墓との言い伝えがあるが、実際には古墳は古墳時代前期(4世紀頃)の在地首長のもので、皇子の墓は古墳の奥にある。

この古墳は、小櫃川中流域に望む舌状の台地上にあり、全長約88メートル、後円部の高さ約10メートルの前方後円墳である。墳丘は、後円部中央にくぼみがあるが、神社の社林として保護され、旧態をよく残している。後円部に比べ、前方部が低く、幅も前方に向かってさほど広がらない形態を示していることから、対岸の飯籠塚古墳と相前後して作られた古墳時代前期の古墳と推定される。

本古墳の周辺には陪冢があり、明治31年にそのうち数基が発掘され、古鏡、直刀、鉄鏃等が出土したと伝えられている。

文化財[編集]

  • 白山神社古墳(千葉県指定史跡、指定日:昭和56年3月13日)

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 日本三代実録』元慶8年7月15日条に、「上総国(略)正六位上(略)田原神に従五位下を授ける。」とある。なお、既に正六位上に叙せられていたような記述となっているが、その記録は遺されていない。

参考文献[編集]

  • 谷川健一編『日本の神々-神社と聖地-第十一巻 関東』 白水社、1984年。ISBN 4-560-02221-6