白樺駅

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白樺駅
しらかば
Shirakaba
蕗ノ台 (4.1km)
(5.4km) 北母子里
所在地 北海道雨竜郡幌加内町
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 深名線
キロ程 93.6km(深川起点)
電報略号 シラ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線(廃止時)
開業年月日 1941年(昭和16年)10月10日
廃止年月日 1990年(平成2年)3月10日
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1977年の白樺駅と周囲約500m範囲。右が名寄方面。かつては木材の搬出が行われていて、主に駅前の通りと駅の東側に居住区、駅の西側の斜面にストックヤードが設けられていた。また駅は島式ホーム1面2線の他、駅舎側に貨物用の副本線と貨物ホーム、そこから蕗ノ台側(西側)のストックヤード前へ引込み線が伸びていた。この写真では周囲は蕗ノ台と同様に無人の荒野と化していて、駅舎は小さな待合室に変えられ、島式ホームの駅舎側は埋められて、駅裏側本線に棒線化されている。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

白樺駅(しらかばえき)は、北海道空知支庁雨竜郡幌加内町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線廃駅)である。電報略号シラ。利用者減少により1990年(平成2年)3月10日に廃駅となった。廃止時点で冬季は全列車が通過し、隣駅の蕗ノ台駅と共に冬眠する駅として有名であった。

歴史[編集]

原生林の中に作られた駅であったが、開業の経緯として開拓の基地という背景を持っていた[1]

北海道大学農学部演習林の中(泥川事業区)に位置し、蕗ノ台と同様に1929年(昭和4年)頃から林業関係者が出入りして、付近の「泥川」からブトカマベツ川-雨竜川と伐採木材を流送していた[2]。当線が延伸工事を進めていた1940年(昭和15年)には当地に市街地ができる可能性が大きいとのことから、演習林側で駅前予定地に市街住宅区画を行い、また「林内植民地」[注 1]予定地の区画測量も行っていた[3]。当駅ができた当初は添牛内方面から数名が入地して開拓を試みたが、3年程で撤退し、結局最後まで居住したのは林業関係者だけであった[2]。当駅は木材貨物の積込み基地として、蕗ノ台と同様に駅土場には多くの木材が集積され、1956年(昭和31年)度には木材の年間発送量が12,000tを記録している[2]。その後輸入自由化に押されて木材搬出も一気に無くなり、1955年(昭和30年)に100名を数えた地区の人口も急激に減って[2]、1961年(昭和36年)に当駅は無人駅となった。最後の1名が離村したのは1964年(昭和39年)4月から1965年(昭和40年)9月の間とみられ、以降無人地帯となった[2]

駅名の由来[編集]

もともと地名が存在せず、開駅にあたり当地一帯がシラカバの密林であったことから命名した[4][1]。かつては字白樺の字名があったが1982年(昭和57年)に字が廃止され現在はどの字にも属していない(字なし地域)。

駅構造[編集]

もともと島式ホーム1面2線に貨物ホームと貨物側線を有する列車交換可能な交換駅であったが、廃止時点で単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(名寄方面に向かって左手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた[7]。。ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた[7]

無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は撤去されプレハブ待合所を有していた。ホームはもともと土盛りであったが、後年板張りの仮乗降場様となり、深川方(南側)にスロープを有し[1]駅施設外に連絡していた。冬季休業中ホームは撤去されていた[7]

駅周辺[編集]

駅前には前述の北大演習林側が区画した居住地があり、林業関係者の住宅の他、日通営業所、鉄道職員住宅があった[2]

駅跡[編集]

駅廃止後も当駅のあった部分の線路は湾曲したままであり、乗車していても駅跡が推測出来た[1]

深名線廃止後は待合所が残存していた模様だが[9]、2000年(平成12年)時点では駅への階段がクマザサに覆われて残存し、構内跡地には転轍機が1機残存していた[10]。2010年(平成22年)時点では階段は残存していた[11]。2011年(平成23年)時点では階段のほかに駅の遺構ではない、手書きの駅名表示看板が立っていた[9]

隣の駅[編集]

北海道旅客鉄道
深名線
湖畔駅 - (臨)蕗ノ台駅 - (臨)白樺駅 - 北母子里駅
湖畔駅と当駅との間にあった蕗ノ台駅も当駅と同時に1990年(平成2年)3月10日に廃止となった。

脚注・出典[編集]

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脚注[編集]

  1. ^ 林内植民地とは大学演習林特有の植民制度で、自給自足の農地開拓の傍ら、伐採や造林などの演習林側の林務事業に、賃金や薪燃料と引き換えに労働従事を義務付けられていた貸付植民地のこと。1960年(昭和35年)頃から順次農地が開放され、当制度は廃止された。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)77ページより。
  2. ^ a b c d e f 新幌加内町史 2008年3月発行、P229-230。
  3. ^ 『北海道大学 演習林60年の歩み』1963年3月発行、P110。
  4. ^ a b 『北海道 駅名の起源』 日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、第1版、115頁。
  5. ^ a b c 『北海道鉄道百年史 下巻』1981年3月 日本国有鉄道北海道総局 編集・発行。第5編資料/1年表。
  6. ^ a b c d e 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』1998年10月 JTB編集・発行。
  7. ^ a b c 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)206ページより。
  8. ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)15ページより。
  9. ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)180ページより。
  10. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング2000年1月発行)36-37ページより。
  11. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)42-43ページより。

関連項目[編集]