百次町

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百次町
—  大字  —
薩摩川内市立永利小学校
百次町の位置
百次町
座標: 北緯31度47分26.8秒 東経130度20分17.8秒 / 北緯31.790778度 東経130.338278度 / 31.790778; 130.338278
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 薩摩川内市
地域 川内地域
人口 (2011年4月1日現在)
 - 計 2,459人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 895-0007

百次町(ももつぎちょう Momotsugi-Chō)は鹿児島県薩摩川内市大字[1]。旧薩摩郡百次郷百次村、薩摩郡永利郷百次村、薩摩郡永利村大字百次川内市百次町郵便番号は895-0007。人口は2,459人、世帯数は1,035世帯(2011年4月1日現在)[2]

「百次」という地名は多くのことをつなぎ合わせること、長く続いて絶えないという意味を持つ「百綴」に類する語に由来するという説がある[3]

目次

地理

薩摩川内市の南西部、百次川の上流域から中流域に位置している。字域の北方には永利町宮崎町平佐町、南方には冠岳山地の中岳、東岳、冠岳(西岳)の稜線を境にいちき串木野市に接しており、芹ケ野及び冠嶽に接する。また、東方には樋脇町市比野、西方には百次川を境に川永野町勝目町がそれぞれ接している。

字域の北部には住宅地が多く所在しており、薩摩川内市立永利小学校が所在している。付近には鹿児島県立川内厚生園があり、施設内に1979年までは永利小学校の分校が設置されていた。

また、字域のほぼ中央部を南北に鹿児島県道36号川内郡山線が通り、それに沿って九州新幹線の高架が南北に通っている。

主に北部の平野部には水田があり、南部の山地では畑作が行われている[4]

河川

  • 百次川

歴史

百次の成立と中世

百次という地名は古くは戦国期より見え、薩摩国薩摩郡のうちであった。天文5年の島津勝久から入来院重聡への宛行状に「薩摩国千台郡之内百次城所領之事」とあるのが初見であると考えられている[3]

大永6年には島津実久が百次の地を占領し、山崎成智を城主とするが、入来院氏により何度も攻撃を受け天文8年に陥落し、再び入来院氏が占領[5]。その後岩田ケ城は百次城と呼称されるようになった。元亀元年に入来院氏は百次と共に平佐(現在の平佐町)、高江(現在の高江町)、宮里(現在の宮里町)、天辰(現在の天辰町)、碇山を島津氏に献納した。

近世の百次

江戸期には薩摩国百次郷(外城)のうちであり、村高は「検地目録」及び「天保郷帳」では1,098石余、「旧高旧領」では984石余であった。明治2年には百次郷は山田郷と合併し、永利郷のうちとなった[3]

町村制施行以降

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、百次村は永利郷に属する山田村、田崎村と合併し、永利村となり、江戸期の百次村の区域は永利村の大字「百次」となった。

1956年(昭和31年)には永利村が川内市に編入され、大字百次は川内市の大字「百次町」となり[3]2004年(平成16年)に川内市などが新設合併し、薩摩川内市になった際も名称変更などは無く、薩摩川内市の大字となった。

施設

公共
  • 鹿児島県立川内厚生園
  • 鹿児島県立川内自興園
教育
  • 薩摩川内市立永利小学校
寺社
  • 永利護国神社
  • 早馬神社
  • 芋焼神社
  • 菅原神社
  • 猪額神社
  • 秋葉神社
その他
  • 南光開発ゴルフ場

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[6]

大字 番地 小学校 中学校
百次町 全域 薩摩川内市立永利小学校 薩摩川内市立川内南中学校

交通

道路

県道

脚注

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  1. ^ 川薩地区合併協議会 町・字の取り扱いについて (PDF)
  2. ^ 統計データ(町別住民基本台帳人口) - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年4月25日閲覧。
  3. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.624
  4. ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.764
  5. ^ 『永利郷土史』(角川日本地名大辞典 46 鹿児島県 P.624からの孫引き)
  6. ^ 薩摩川内市 義務教育”. 薩摩川内市役所. 2011年3月25日閲覧。

関連項目


座標: 北緯31度47分26.8秒 東経130度20分17.8秒

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