皆川康夫

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皆川 康夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県浜松市
生年月日 (1947-11-03) 1947年11月3日(70歳)
身長
体重
176 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1970年 ドラフト5位
初出場 1971年4月11日
最終出場 1977年5月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

皆川 康夫(みながわ やすお、1947年11月3日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手投手)。

父は元プロ野球選手の皆川定之

経歴[編集]

浜松日体高から、中央大学に進学し硬式野球部に入部。大学時代は1勝も出来ず、1年下のエース・杉田久雄の影に隠れていた。大学同期に萩原康弘長井繁夫末永正昭がいる。

大学卒業後、社会人野球富士重工業に入団し、素質が開花。1970年産別対抗で活躍。同年の都市対抗には日立製作所の補強選手として出場し、東海理化との1回戦でリリーフ登板。同年のドラフト5位指名で東映フライヤーズへ入団し[1]、富士重工出身初のプロ野球選手となる。

1年目の1971年には、開幕3戦目の西鉄戦(平和台)に初登板初勝利。4月下旬から先発陣に入り11勝14敗、防御率3.44の成績でパ・リーグ新人王を獲得[2]。この年はオールスターゲームにも出場している[3]。その後は故障もあって一時低迷するが、リリーフとして復活。1975年には抑えに回って8勝10セーブを挙げる。

1977年鵜飼克雄新美敏内田順三と共に、佐伯和司宮本幸信久保俊巳との4対3の交換トレードで広島東洋カープへ移籍するが、一軍での登板はわずか4試合に終わる。2年後の1979年限りで引退した。

引退後は故郷・浜松へ戻り、「すなっく みな川」を経営している。

球種はスライダーカーブシュート

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1971 東映
日本ハム
46 24 8 3 1 11 14 -- -- .440 948 230.1 227 22 55 7 14 96 3 1 97 88 3.44 1.22
1972 22 4 0 0 0 1 3 -- -- .250 202 47.1 45 6 19 0 2 18 1 0 26 24 4.60 1.35
1974 31 0 0 0 0 4 3 1 -- .571 208 51.1 48 2 19 5 0 28 0 0 21 20 3.53 1.31
1975 49 0 0 0 0 8 6 10 -- .571 356 85.2 68 9 35 8 5 39 0 0 27 21 2.20 1.20
1976 21 1 0 0 0 2 2 1 -- .500 190 45.0 47 5 16 1 3 23 1 0 23 23 4.60 1.40
1977 広島 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 31 6.2 12 1 1 0 0 2 0 0 3 3 3.86 1.95
通算:6年 173 29 8 3 1 26 28 12 -- .481 1935 466.1 447 45 145 21 24 206 5 1 197 179 3.46 1.27
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 東映(東映フライヤーズ)は、1973年に日拓(日拓ホームフライヤーズ)に、1974年に日本ハム(日本ハムファイターズ)に球団名を変更

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
  • 初登板:1971年4月11日、対西鉄ライオンズ2回戦(平和台野球場) 9回裏に救援登板
  • 初勝利:1971年4月11日、対西鉄ライオンズ3回戦(平和台野球場) 5回裏に救援登板、被安打7、奪三振4、自責点2
その他の記録

背番号[編集]

  • 27 (1971年 - 1976年)
  • 17 (1977年 - 1979年)

脚注[編集]

  1. ^ 同期入団選手に先述の杉田久雄(ドラフト1位)や、江本孟紀(ドラフト外)など。
  2. ^ 年度別成績 1971年 パシフィック・リーグ
  3. ^ 1971年度オールスター・ゲーム 試合結果

関連項目[編集]