着付け

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着付けとは、着物を形良く着せ付けること、または着ること。着付けには履物を履くことも含まれる。現在では美容院で着付けをすることが多いため髪結いと着付けはセットで行われるが、髪結いは着付けの意味には含まれない。髪結いは着付けより前に行うことも、後に行うこともある。着付けには、自分一人だけで行う方法と、他者に手伝ってもらいながら行う方法がある。着付けをする人を着付師と呼ぶ。

着付けの手順[編集]

準備[編集]

縮緬類は半紙を四つ折りにして三つ襟の中に挟み、針で留める。 重ね着の場合は下着の襟だけを入れ、上下の背縫いを合せて1針留め、襟先も重ねて襟の付け根を1針留める。 長襦袢には半衿をつけておく。場合により半衿の中にプラスチックなどの芯を入れることもある。 腰帯、下締類は、モスリン並幅三つ割を芯無にくけたものが解けず最もよい。

女性の場合、直線的な体型に着つけるため、を巻いたり、和装ブラジャーを装着して胸のふくらみを抑えたり、の下になるウエストにタオルを巻くこともある。タオルを巻くのは、着崩れを防ぐためでもある。

なお、体型を隠すように直線的に着るべしとされたのは昭和30年代後半に入ってからのことである。和装ブラジャー、タオル等による補正もその頃に生まれた技術である。ちなみに、昭和30年代前半は、洋服の下着を身に付け、あえて体の線を強調して曲線的に着るのが良しとされ[1]、それ以前は、それぞれの体形なりに着付けるのが良しとされていた。

長襦袢[編集]

肌着の上に長襦袢を着て衣紋を抜き、下締を2回巻いて結ばずに前で潜らせておく。

着物[編集]

手を通して両手で襟先を持ち、上前襟先が右腰骨の上にくるまで前を合わせる。茶の湯などの座礼の場合、襟先が後に回るくらい深く合わせる。下帯は腰骨の上の辺に締め、右横で結び、手を入れて「おはしょり」を伸ばし、衣紋を作る。襟はあまり広げず、ばち襟ほどにして、下締を締める。身八ツ口から手を入れて、おはしょりを整え、伊達巻を巻く。

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帯のかけの長さは前に回して左腰骨に来るくらいがよい。丸帯は縫目が外になるように二つ折りすれば模様が前に来る。帯揚は盛装では大きめがよく、羽織下では低い方がよい。若い人があまり低い帯揚はよくない。

男性[編集]

襦袢は襦袢で合わせて胴着を合わせて上下着を重ねて着る。袴を履くならば角帯がよい。

子供[編集]

7、8歳以上の盛装は腰揚をせず、おはしょりをして腰揚のように見せる。付紐を上着と下着と一所につけておくと楽である。

畳み方[編集]

「本畳み」といわれる畳み方が一般的に普及しており、着付け方を紹介した本などにも多く取り上げられている。その他、礼装用などで本畳みにすると刺繍など折り目が付いてしまうことを避けるために行う「夜着畳み」という畳み方もある。仮仕立てと呼ばれる仮縫いの状態や仮絵羽になっている着物を畳む畳み方もあり、「絵羽畳み」と呼ばれる。また仮に衣桁などに架けたり、一時的に畳んでおく場合、「肩畳み」と呼ばれる背中心から折り込み、衿が肩方を向く畳み方がある。これは洋服を畳む時に似ているといえ、本畳みのような技術は要しない。なお、この畳み方を本畳みであるとする専門家もいる。また、襦袢や羽織などは本畳みにせずそれぞれの畳み方によって畳む。

洗濯[編集]

着物の糸をほどいて分解して洗濯し、染み抜きを行い、洗濯が終わったら大きな板に生地を張り付け上から薄く糊を引いて乾かした後に縫い直す。この洗濯方法を洗張と呼ぶ。縫い直すときに、服の寸法を直すことや弱くなった所の補修や弱った所を目立たないところに置き換える「繰り回し」などを行うこともある。

現代では、家庭で着物を洗濯することは困難なため、着物のクリーニングを専門に扱うクリーニング店に依頼することが多い。現代では、より安価なドライクリーニングの手法も多用されるようになっている。縮緬や綸子など高価な正絹で作られている着物の洗濯は手間がかかるため、洗濯の頻度は低い。一方、木綿などで仕立てた普段着は、家庭で容易に洗濯できるものが多い。家庭での洗濯にも耐えるように「水通し」をして、あらかじめ生地を収縮させて仕立てる方法と、洗濯による生地の収縮を見込んだ仕立てを行う方法がある。

右前(右衽)と左前(左衽)[編集]

着物を着る際、手を袖に通した後、右の衽(おくみ)を体に付けてから左の衽をそれに重ねる。このことを「右衽(うじん)」という。向かって右の衽が前になっていることから、「右前(みぎまえ)」とも呼ぶ。

死者に死に装束を着せる場合、通常と反対に「左前」(ひだりまえ)に着せるため、左前は不吉とされる。これは「死後の世界はこの世とは反対になる」という思想があるためであるといわれている。

日本で着物をなぜ右前にするのか、またいつから右前にするようになったのかについては、諸説がある。時期については、『続日本紀』(しょくにほんぎ)によると、719年に、全ての人が右前に着るという命令が発せられた。これはその当時手本としていた中国において右前に着ることが定められたのでそれに倣ったものといわれている。中国で左前にすることが嫌われたのは「蛮族の風習であるため」とされたが、この蛮族というのは北方に住む遊牧民のことで、彼らは狩猟を主な生活として行う上で弓を射やすいという理由で左前に着ていた。農耕民である漢民族とは全く違う暮らしをし、しばしば農耕民に対する略奪を行っていた遊牧民は、中国の古代王朝にとっては野蛮で恐るべき存在であり、これと一線を画することを決定したという説がある。それまでは中国でも日本でも左前に着ていた時期が存在する。また一説によると、一般的に右利きが多く、右手で刀を抜きやすいように腰の左側に刀を差すことが多いため、刀を鞘から抜こうとするとき、抜こうとした刀が衿に引っかかってしまうことがないように、右前に着るようになったのだという。

脚注[編集]

  1. ^ 例えば昭和32年の『主婦の友』4月号には、「体の美しい線を出す新しい装い方」という記事が掲載されている。

関連項目[編集]