矢野目孫一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
矢野目 孫一
やのめ まごいち
Lieutenant-of-Engineers Yanome Magoichi.PNG
工兵中尉時代
生誕 1870年6月9日
日本の旗 日本大分県
死没 (1961-01-12) 1961年1月12日(90歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
軍歴 1891 - 1920
最終階級 帝國陸軍の階級―肩章―中将.svg 陸軍中将
テンプレートを表示

矢野目 孫一(やのめ まごいち、1870年6月9日明治3年5月11日) - 1961年(昭和36年)1月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴[編集]

大分県出身。1891年(明治24年)7月30日、陸軍士官学校(2期)を卒業。翌年3月21日、工兵少尉任官。1894年(明治27年)10月7日、工兵中尉に昇進し、1896年(明治29年)11月28日、陸軍砲工学校高等科(4期)を優等で卒業[1]1897年(明治30年)10月25日工兵大尉に昇進し[2]1900年(明治33年)12月、陸軍大学校(14期)を卒業。第12師団参謀に就任。

1903年(明治36年)5月1日工兵少佐に昇進[3]し、日露戦争第4軍参謀として出征。1905年(明治38年)6月22日工兵中佐に昇進[4]し、1908年(明治41年)12月、参謀本部要塞課長に就任。1910年(明治43年)11月30日工兵大佐に昇進[5]し、1912年(大正元年)9月、工兵第14大隊長となり、1913年(大正2年)8月、第7師団参謀長に異動。1916年(大正5年)1月、陸軍少将に進級し陸地測量部長に就任。

1919年(大正8年)7月25日、陸軍中将に進み[6]東京湾要塞司令官に着任。1920年(大正9年)8月に待命、同年12月、予備役に編入された。

栄典[編集]

位階
勲章等

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第4031号、明治29年12月4日。
  2. ^ 『官報』第4297号、明治30年10月26日。
  3. ^ 『官報』第5947号、明治36年5月2日。
  4. ^ 『官報』第6593号、明治38年6月23日。
  5. ^ 『官報』第8234号、明治43年12月1日。
  6. ^ 『官報』第2093号、大正8年7月26日。
  7. ^ 『官報』第2707号、明治25年7月7日。
  8. ^ 『官報』第3426号、明治27年11月28日。
  9. ^ 『官報』第4341号、明治30年12月18日。
  10. ^ 『官報』第6631号、明治38年8月7日。
  11. ^ 『官報』第2132号「叙任及辞令」1919年9月11日。
  12. ^ 『官報』第2524号、大正9年12月29日。
  13. ^ 『官報』第3689号、明治28年10月14日。
  14. ^ 『官報』第3862号・付録「辞令」、明治29年5月16日。
  15. ^ 『官報』第5824号、明治35年12月1日。
  16. ^ 『官報』第7032号、明治39年12月6日。
  17. ^ 『官報』第539号、大正3年5月18日。

参考文献[編集]

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。


軍職
先代:
伊部直光
陸地測量部
第7代:1916年1月21日 - 1919年7月25日
次代:
松村法吉
先代:
成田正峰
東京湾要塞司令官
第20代:1919年7月25日 - 1920年8月10日
次代:
岡野友次郎