石川県立工業高等学校

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石川県立工業高等学校
石川県立工業高等学校(正門前)
過去の名称 金沢区工業学校
石川県工業学校
石川県立工業学校
石川県立金沢工芸高等学校
石川県立工芸高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 石川県の旗 石川県
学区 全県一学区
校訓 敬愛協和を尚ばう
創意工夫を凝さう
矜持責任を有たう
設立年月日 1887年
創立者 納富介次郎
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 機械システム科
電気科
電子情報科
材料化学科
工芸科
テキスタイル工学科
デザイン科
学期 3学期制
高校コード 17119A
所在地 920-0964
石川県金沢市本多町二丁目3番6号
外部リンク 公式サイト
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石川県立工業高等学校の位置(石川県内)
石川県立工業高等学校

石川県立工業高等学校(いしかわけんりつ こうぎょうこうとうがっこう)は、石川県金沢市本多町二丁目にある県立高等学校。工芸・デザイン教育を施した制度としての教育機関として日本で最も歴史のある工業高等学校である[1]

通称は 県工 (けんこう) 。

よく「石川工業高校」と表記されるが間違いである。金沢市立工業高等学校と共に、校名表記が無い珍しい学校である[注 1]

沿革[編集]

納富介次郎によって、1887年に金沢区工業学校が兼六園内に設立される。1902年に現在の場所に移転。幾度かの改称を重ね、1958年に現在の名前になる。

納富によって後に設立された香川県立高松工芸高等学校佐賀県立有田工業高等学校富山県立高岡工芸高等学校とは姉妹校である。

校訓[編集]

敬愛協和を尚ばう
創意工夫を凝さう
矜持責任を有たう        

設置学科[編集]

現存[編集]

全日制

  • 機械システム(S)科(80人。うち、推薦枠20人。A組とB組に分かれる)
  • 電気(E)科(40人。うち、推薦枠10人)
  • 電子情報(i)科(40人。うち、推薦枠10人)
  • 材料化学(C)科(40人。うち、推薦枠10人)
  • 工芸(K)科(40人。うち、推薦枠10人)
  • テキスタイル工学(T)科(40人。うち、推薦枠10人)
  • デザイン(D)科(40人。うち、推薦枠10人)

例年、機械システム科、電気科、電子情報科、材料化学科は男子の比率が高く、工芸科、テキスタイル工学科、デザイン科は女子の比率が高い。

廃止[編集]

定時制(夜間部) - 2009年3月で廃止になった

  • 工業技術科

所在地[編集]

交通[編集]

  • 北陸鉄道バス18・19系統「幸町」・「本多町」バス停下車。「片町」バス停から通学する生徒もいる。

その他[編集]

最初は兼六園の中に高校が作られた。このため、校歌には「正面に金沢城がある」という意味の歌詞が、本多町移転後も残っている。

部活動[編集]

運動部

部活動が盛んで、北信越大会出場や全国大会出場をする部活動が多い。中でも男子バレーボール部は全国大会連続出場中である。

文化部

同好会

著名な出身者[編集]

なお1896年(明治29年)から1903年まで、陶芸家として初の文化勲章を受けた板谷波山(当時の号は勤川)が教諭を務めていた。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 「工業」は「商業」「農業」「実業」などと同様に教育課程上の種別を示す用語であり、通常は「●●工業」などと称されるのが通常である。そのため、これ単体では通常は校名にはならない。

出典[編集]

  1. ^ 『日本近現代美術史事典』(多木浩二,藤枝晃雄/監修、東京書籍, 2007年 ISBN:978-4-487-73335-4) 17【美術教育】「工芸・デザイン教育」
  2. ^ 金山隆一 (2015年6月30日). “経営者:編集長インタビュー 細野昭雄 アイ・オー・データ機器社長 2015年6月30日号”. エコノミスト. 2017年7月23日閲覧。

関連項目[編集]