石川総尭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
 
石川 総尭
時代 江戸時代中期
生誕 延享元年7月16日1744年8月23日
死没 明和元年11月14日1764年12月6日
改名 吉六(幼名)→総矩(初名)→総尭
戒名 恭敬院殿大礼日定大居士
墓所 東京都北区田端の大久寺
官位 従五位下、左近将監、主殿頭
幕府 江戸幕府
伊勢亀山藩
氏族 石川氏
父母 父:石川総慶、母:まん(吉野氏)
兄弟 総英総尭
正室:なし
養子:総純
テンプレートを表示

石川 総尭(いしかわ ふさたか)は、伊勢亀山藩の第2代藩主。伊勢亀山藩石川家7代。

生涯[編集]

延享元年(1744年)7月16日、初代藩主・石川総慶の次男として江戸で生まれる。初名は総矩(ふさのり)であったが、宝暦5年(1755年)に総尭と改名した。宝暦9年(1759年)に嫡子だった兄の総英が早世したため、11月に世子に指名される。宝暦10年(1760年)7月に従五位下、左近将監に叙位・任官された。

明和元年(1764年)6月30日に父が死去したため、8月23日に家督を継ぎ、主殿頭に遷任する。しかし父の後を追うように11月14日に江戸で死去した。享年21。

跡を兄・総英の長男で養子の総純が継いだ。