石巻漁港

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石巻漁港(いしのまきぎょこう)は、宮城県石巻市魚町にある特定第3種漁港である。水揚げ岸壁の長さ(1,200m)と魚市場の上屋根の長さ(652m)はいずれも日本一の長さを誇り、水揚げ量、水揚げ高ともに日本有数の漁港である。

概要[編集]

1974年昭和49年)の開港以前は旧北上川河口(内港:石巻市川口町付近)に漁港設備があった。このため、現港(外港)は、それと区別するため「石巻新漁港」と称される場合がある。

データ[編集]

  • 管理者 - 宮城県
  • 魚市場の名称 - 石巻市水産物地方卸売市場
  • 魚市場の開設者 - 石巻市
  • 魚市場の卸売人 - 石巻魚市場株式会社
  • 水揚数量 - 100,245t(2019年)【全国5位】[1][2][3]
  • 水揚金額 - 165億円3700万円(2019年)【全国9位】[2][3]
1984年(昭和59年)撮影の石巻港と石巻市中心部周辺の空中写真。画像右下部の港湾施設が石巻漁港である。旧北上川を挟んで西側にある大規模な掘込式港湾は石巻港(石巻工業港)である。1984年撮影の21枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

歴史[編集]

石巻として利用され始めたのは江戸時代以降で、往時の石巻は、北上川の河口は別にあり、隣村である稲井から流れる真野川の河口にすぎなかった[4]
1623年元和9年)、伊達政宗は海陸要衝の地となるべき石巻の地勢を見抜き、川村孫兵衛に命じて新河道を開削し北上川本流を導入してから、水運の便は一時に開け、仙台藩は元より北上川上流に位置する南部藩領から江戸に至る交通・物資集散の地として、あるいは文化導入の関門として繁栄するようになり、「三十五反の帆をまきあげて、行くよ仙台・石巻」とうたわれ150tもの千石船が続々と入港し、徳川幕政16大港のひとつとして「みなと石巻」の名を成すに至った[4]
その後、1887年明治20年)になって東北本線の開通により一時衰退の時期もあったものの、市民の尽力が明治末期から大正昭和にかけて北上川の改修、河口の浚渫、接岸施設の整備事業となって現れたことでこれを打開[4]、500t級の貨物船も自由に入れるようになった[5]
また、世界三大漁場の一つと言われる金華山沖の漁場資源を活かす、石巻がもつ立地的特性も相まって水産業が大いに振興し、漁獲物の流通や水産加工業の拠点となって、これに関連する企業が興り、商工業もまたとみに活発となり、現在の発展を見るに至っている[4]
石巻漁港は、1950年地方港湾に指定され[5]1951年から漁港修築事業により整備がすすめられ、旧北上川河口の左右の海岸を魚市場として利用してきたが、上流からの流下土砂と漁船の大型化に伴い、航路及び泊地の水深が確保できない状況となったため、1963年の第3次漁港整備長期計画から、現在の位置に新漁港の建設を始めた。1967年には出入国港に[5]1973年には特定第三種漁港となり、翌年の1974年に市場の開設とともに、供用を開始している[4]

東日本大震災[編集]

東北地方太平洋沖地震に伴う東日本大震災により、甚大な被害を受けたが2012年から第3次漁港漁場整備計画(震災復興地区計画)に基づき復旧工事を行い、順次供用開始している。市場についても、2011年7月には仮設テントでの水揚げを再開し、高度衛生管理型施設として復旧整備を行った。2014年8月に一部供用開始し、2015年9月から全棟供用開始している[4]

脚注[編集]

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出典[編集]

関連項目[編集]