石谷清倚

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石谷清倚
時代 江戸時代
生誕 不明
死没 不明
別名 友之助
幕府 江戸幕府
氏族 石谷氏
父母 石谷主水
養子:石谷帯刀

石谷 清倚(いしがや せいき、生没年不明)は、江戸時代旗本

生涯[編集]

『寛政譜以降旗本家百科事典』に拠れば、『弘化5年武鑑』において、1,100石旗本の石谷清暠の跡を継いだ様子である。しかしながら石谷清倚の父は石谷主水と記載されており、石谷清暠が主水を称したかどうかが不明であるため、石谷主水が石谷清暠と同一人物かどうかは不明である。

石谷清倚は、天保15年(1844年)1月11日に、西丸書院番より使番を務めたという。嘉永元年(1848年)5月27日に職を辞し、安政元年(1855年)には、寄合であったという。

狛江市に拠れば、明治元年(1868年)5月の上野戦争において、和泉村を知行していた石谷清倚が、入間村の御用商人油屋清兵衛の道案内を受け、菩提寺の泉龍寺まで退去したと伝えられている。

参考文献[編集]