砂原格

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砂原 格(すなはら かく、1902年明治35年)4月3日 - 1972年昭和47年)5月8日)は、日本政治家衆議院議員(6期)。アメリカ合衆国による原子爆弾投下による被爆者の一人であり、焦土となった広島の復興に尽力した政治家の一人である。砂原組創業者。広島復興協会理事長。

来歴・人物[編集]

広島県高田郡白木町出身。広島市八丁堀に住んでいた1945年8月6日被爆したが一命をとりとめた。広島市議会議員、広島県議会議員を経て衆議院議員に当選。広島県第1区では、3つ上の灘尾弘吉と激戦を繰り広げたが、灘尾の後塵を拝することが多かった。計6回当選したが、閣僚にはなれなかった。

自由党日本民主党を経て自民党で副幹事長を務めた。また、厚生政務次官、通産政務次官と政務次官を2回務めた。

衆議院では、運輸、逓信の各委員長を歴任した。砂原組(大和商事、広島工業)の創業者でもある。

衆議院議員在職中、現職のまま死亡(病死)。1972年5月23日衆議院本会議場で行われた大原亨日本社会党、同じ広島県第1区での好敵手)の追悼演説は、砂原の歩み、人柄、思い出をふんだんに織り込んだ名演説で、支持者をはじめとした人々の涙を誘った。死後、勲二等旭日重光章を受け[1]。砂原を慕う人々によって「砂原格追想録」が出版された。

息子砂原克行も政治家で、広島県議会議員を務めた(平成9年に死亡)。に広島県議会議員の砂原克規がいる[2]。広島市議会議長を務めた平野博昭は元秘書

地元広島では、高小卒で衆議院議員になった立志伝中の人物として知られた。1974年5月、京口門公園に銅像が建った。銅像の題字は福田赳夫が揮毫した。胸像建設委員会の代表は森本亨が務めた[1]。被爆者への思いは強く、広島東照宮参道に原爆慰霊碑を建てたこともある。

脚注[編集]

議会
先代:
大野市郎
日本の旗 衆議院運輸委員長 次代:
福井勇
先代:
内藤隆
日本の旗 衆議院逓信委員長 次代:
松沢雄蔵