礒村春

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礒村 春(いそむら はる、1908年 - 1990年)は、日本のファッションデザイナーで、教育者。

概要[編集]

1953年昭和28年)百貨店 大丸クリスチャン・ディオール社と独占契約を結び、1964年(昭和39年)に同社との契約を解消した後はジバンシィ社、バレンシアガ社と独占契約を結んだ。 礒村春は、上田安子服飾学院(現上田安子服飾専門学校)を創設した上田安子、神戸ドレスメーカー女学院(現神戸ファッション専門学校)を創設した福富芳美とともに、洋裁学校で洋裁教育に従事する傍ら大丸の顧問デザイナーとしてディオールジバンシィバレンシアガの作品の買付を行った。 大丸は各店舗で顧客からの注文を受け、礒村(京都)、上田(大阪)、福富(神戸)が運営する学校でオートクチュールを製作し販売した。 特に礒村は、大丸自身が京都店6階に開校し経営に関わった洋裁学校の校長であったことから、大丸との関わりが最も強かった。

略歴[編集]

  • 1908年(明治41年) 山口県で生まれる。
  • 1935年(昭和10年) 杉野学園ドレスメーカー女学院で14年間に渡り教員として活躍。
  • 1947年(昭和22年) 日本女子大学で2年間非常勤講師を努める。
  • 1949年(昭和24年) 大丸が京都店6階に開校した大丸ドレスメーカー女学院に学院長として就任。
  • 1950年(昭和25年) 大丸ドレスメーカー女学院が現在のディーズファッション専門学校所在地に移転。
  • 1951年(昭和26年) 京都で初のステージを使用したファッションショーを開催。
  • 1952年(昭和27年) 京都女子大学非常勤講師に着任。
  • 1953年(昭和28年) 大丸クリスチャン・ディオールと独占契約を結ぶ。海外デザイナーとの提携は日本初であった。
  • 1955年(昭和30年) 京都服飾デザイナー協会 特別会員となる。
  • 1958年(昭和33年) 学校法人大丸ドレメ学園 大丸ドレスメーカー女学院と改称し、同時に同校理事兼学院長に就任する。
  • 1962年(昭和37年) 京都府各種学校連合会15周年で京都府知事表彰を受賞する。
  • 1964年(昭和39年) 大丸ジバンシィと独占契約を結ぶ。
  • 1964年(昭和39年) ドレメ協会京都支部長に就任する。
  • 1966年(昭和41年) 京都府各種学校連合会20周年で京都府知事表彰を受賞する。
  • 1968年(昭和43年) 京都文京短期大学 教授に就任する。
  • 1970年(昭和45年) 私立学校法制度20周年で京都府知事表彰を受賞する。
  • 1970年(昭和45年) ニューヨーク・ファッション工科大学で立体裁断を学び既製服の技術教育を導入[1]
  • 1978年(昭和53年) 財団法人日本洋裁検定技術検定協会 評議員兼京都支部長に就任する。
  • 1979年(昭和54年) 京都デザイン協会 名誉会員となる。
  • 1979年(昭和54年) 京都府専修学校各種学校協会功労者として、同会会長賞を受賞する。
  • 1980年(昭和55年) 学校法の改正により専門学校に昇格し、大丸ドレスメーカー専門学校と改称。同時に同校理事兼学校長に就任する。
  • 1981年(昭和56年) 長年の服飾教育とデザイナー活動への貢献により勲五等瑞宝章を叙勲。
  • 1985年(昭和60年) 学校法人大丸ドレメ学園 大丸ドレスメーカー専門学校 理事兼学校長を退任する。
  • 1990年(平成2年)  永眠

脚注[編集]

  1. ^ 教育理念・沿革 ディーズファッション専門学校

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 関西文化研究叢書11「関西における洋裁文化形成に関する研究」2009年 武庫川女子大学関西文化研究センター
  • 「1960年代 日本におけるパリ・オートクチュールの受容ー大丸百貨店と大丸ドレスメーカー女学院に関わった礒村春の活動を手がかりにー」青木美保子