祖大寿

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祖 大寿(祖 大壽、そ だいじゅ、? - 1656年5月8日)は、末から初の将軍。は復宇。

生涯[編集]

遼東の人。軍人家族の出身であった。妹は呉襄の後妻で呉三桂の母であった。

崇禎元年(1628年)、寧遠(現興城市)防衛の功により前鋒総兵官に抜擢され、錦州に駐屯した。崇禎3年(1630年)、孫承宗らと合流して永平の四城を奪回した。同年、友人の袁崇煥が崇禎帝の指示により凌遅刑に処され、悲しみ恐れおののいた。

翌年、大凌河ホンタイジの清軍に囲まれた。食糧が尽き援軍もなく、やむなく清に偽降したが、まもなく逃げて錦州を固めた。ホンタイジにたびたび降伏を勧められたが従わなかった。崇禎15年(1642年)、清軍に1年にわたって錦州を囲まれ、洪承疇の援軍も敗れ、城中で食人まで多発し、やむを得ず清に降った。ホンタイジは祖大寿を非難しなかった。

その後、清で総兵官に任じられ、漢軍正黄旗に属し、厚遇されたが重用はされなかった。順治13年(1656年)4月15日に北京で病没した。

参考資料[編集]