神戸松竹座

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神戸松竹座(こうべしょうちくざ)は、神戸市兵庫区新開地(住居表示は福原町)にあった劇場映画館演芸場松竹直営。

概要[編集]

「神戸松竹座跡」の説明板
(2019年1月3日)

新開地本通りの市電通りより北に位置した、鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建の洋風建物。松竹が洋画上映館の松竹座チェーンを形成すべく、大阪道頓堀の他、京都・神戸・名古屋・東京に松竹座を開設していた一環として建てられたもので、当初は洋画興行を行っていた。また、当時松竹座では洋画上映の他に松竹楽劇部のアトラクションを併設していて、神戸松竹座にも松竹楽劇部によるレビューが興行されていた。このため、舞台とオーケストラ・ピットが存在した。

戦後もしばらくは映画興行を行っていたが、1959年1月1日に演芸場に転換した。新開地自体の地盤沈下や、演芸ブームの終焉などが重なり、興行成績が悪化して1976年9月下席をもって閉館、廃座となった。建物が取り壊された後、敷地は第三者の手に渡り、パチンコ店が建っている。

2018年7月11日に、神戸で当館以来42年ぶりの演芸場としてオープンした神戸新開地・喜楽館は、当館跡地の筋向い[1]、やや南側[2]に立地しており、喜楽館の開館を控えた2018年7月8日には当館の跡地近くに説明板が設置された[2]

沿革[編集]

定紋[編集]

松竹マーク

映画館[編集]

  • 1927年に神戸松竹劇場(新開地に別途存在していた劇場)が「神戸松竹座」と改称して洋画封切館に転換。1929年、福原町に別途松竹座を建設して移転。それまでの松竹座は神戸松竹劇場に再改称した(1972年4月16日閉館)。
  • SYチェーンの洋画封切館として洋画を上映していたが、上映の合間に松竹楽劇部→大阪松竹少女歌劇団(OSSK)のレビューを上演していた。
  • 戦後も映画館として営業していたが、映画館の末期は東映封切館となっていた。(後述する演芸場転換と同時に、東映は直営の神戸東映劇場を別途新開地に開場した。)

演芸場[編集]

  • 道頓堀角座と同様に提灯をトレードマークにしており、「神戸名物」「演芸の松竹座」「お笑いの松竹座」をキャッチフレーズにしていた。
  • 番組は上席(1 - 10日)・中席(11 - 20日)・下席(21 - 30日)と10日ごとに替わり、1日2回公演が原則。入れ替え制は採らなかった。なお、放送番組の収録もあった。
  • 出演者は松竹新演芸(のち松竹芸能)と千土地興行(のち日本ドリーム観光)から配給を受けていた。1969年に千土地が演芸から撤退してからは、道頓堀角座と同様に和光プロダクションの芸人も出演していた。
  • 出演者を示す「めくり」は新宿末廣亭吉本興業の花月劇場チェーンと同様にフリップ形式を採っていたが、新宿末廣亭や花月劇場チェーンが紙芝居と同様に一枚ずつめくる形式であるのに対し、角座や神戸松竹座はフリップを裏返すどんでん返し形式であった。
  • 基本的に漫才を主体に落語数本と諸芸が入った番組構成であった。昭和30年代後半は道頓堀角座と同様に軽演劇・「松竹とんぼり座」の公演もあった。しかし、ダイマル・ラケットやかしまし娘のような漫才の大看板は年に1・2回出演する程度であった。

主な出演者[編集]

漫才[編集]

落語[編集]

音楽ショウ[編集]

奇術[編集]

浪曲[編集]

講談[編集]

漫談・諸芸[編集]

曲芸[編集]

軽演劇[編集]

  • 松竹とんぼり座
  • 大阪爆笑三人組
    • 上方柳次・柳太、森乃福郎、他

脚注[編集]

  1. ^ “上方落語 新たな才能を開く地に 神戸にも定席(もっと関西)”. 日本経済新聞. (2018年7月20日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33167680Z10C18A7AA2P00/ 2019年1月1日閲覧。 
  2. ^ a b 30.7.8 神戸松竹座跡に案内板が! - 兵庫区ウェブサイト(2018年7月8日)