神田真秋

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神田 真秋
かんだ まさあき
生年月日 (1951-10-01) 1951年10月1日(67歳)
出生地 愛知県中島郡奥町(現・一宮市奥町川崎)
出身校 中央大学法学部
所属政党 無所属

愛知県の旗 公選第14-16代 愛知県知事
当選回数 3回
在任期間 1999年2月15日 - 2011年2月14日

Flag of Ichinomiya, Aichi.svg 第7代 一宮市長
当選回数 3回
在任期間 1989年11月12日 - 1998年12月15日
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神田 真秋(かんだ まさあき、1951年10月1日 - )は、日本政治家弁護士愛知県知事(3期)、一宮市長(3期)などを歴任した。

来歴・人物[編集]

愛知県中島郡奥町(現・一宮市奥町川崎)生まれ。一宮市立奥小学校、東海中学校・高等学校卒業[1]。高校時代は弁論部に所属し主将を務めた[2]中央大学法学部在学中に司法試験に合格[1]。大学卒業後、名古屋市東区に弁護士事務所を構える[3]

1989年9月21日に一宮市長の森鉐太郎が在職中に死去すると[4]、神田は東海高校同窓会関係者を中心とする若手経営者のグループに担がれる[3]。10月9日、旧愛知3区海部俊樹首相は神田の推薦を決定した[2]。一方、同じ旧愛知3区の江崎真澄は市助役の福島義信を擁立。日本社会党民社党が福島を推したことからこの年の市長選は海部と江崎の代理戦争と化した。公明党保守同士の政争に巻き込まれることを恐れ、11月2日に自主投票を決定した[5]。11月12日投票の市長選で福島を約1万2千票の大差で破り初当選[6]。以後、3期9年務める。

1999年2月7日の愛知県知事選挙に与野党相乗り候補として出馬し[7]、初当選した。1期目には、公文書公開条例の改正などの改革を手がけ、それまでオンブズマンによる都道府県情報公開ランキング最下位であったものをランキング5位にまで押し上げた。

2003年知事選でNGO代表、津島市選出の県議会議員らを破り再選。

2005年中部国際空港(セントレア)開港と愛知万博開催、あいちトリエンナーレ2010年)の開催などに尽力した。

2007年2月4日に行われた知事選は、当時の民主党代表小沢一郎の意向で民主党の支持が外れたため、1975年の知事選以来32年ぶりに与野党の相乗りが崩れた選挙となった。民主党、社民党、国民新党の推薦を受けた石田芳弘に僅差で勝利した(神田:1,424,761票、石田:1,355,713票)。

2010年9月16日、4選不出馬の意向を表明[8]。2011年2月6日に行われた知事選では後継として、自由民主党愛知県連の擁立候補である元総務省課長補佐の重徳和彦を支援したが[9][10]、重徳は前衆議院議員大村秀章に大差をつけられ、次点で落選した。

2014年中部電力の元役員が、裏金2億5千万円から1999年と再選した2003年の知事選告示前、神田宅を訪問し現金300万円と500万円を本人に直接手渡したと証言したが、これを一部認めた[11]

略歴[編集]

現在、愛知学院大学大学院特任教授、日本赤十字社愛知県支部支部長、愛知県国際交流協会会長、東海東京調査センター顧問、愛知県スケート連盟会長、愛知芸術文化センター総長、学校法人名城大学理事。

参考文献[編集]

  • (全国青年市長会 (編))『青年市長ニッポンの新世紀』(河出書房新社、2000年)
  • (全国青年市長会 (編))『青年よ故郷に帰って市長になろう「地方から日本の変革を」』(読売新聞社、1994年)
  • ((社)名古屋中法人会発行)『(社)名古屋中法人会・広報誌 NAKA VOL.147』((社)名古屋中法人会、2011年)

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b 『一宮タイムス』1989年10月21日、1面、「神田氏、正式出馬表明 来月五日、支援団体旗揚げ 一宮市長選本格化」。
  2. ^ a b 中日新聞』1989年10月10日付朝刊、22面、「動き活発、一宮市長選 海部陣営は神田氏擁立 江崎陣営も一本化急ぐ 中道・革新も擁立の構え」。
  3. ^ a b 『一宮タイムス』1989年10月12日、1面、「一宮市に住所を移す 市長選出馬の神田氏」。
  4. ^ 『一宮タイムス』1989年9月22日、1面、「森一宮市長が死亡 入退院、高齢で衰弱」。
  5. ^ 『中日新聞』1989年11月3日付朝刊、3面、「一宮市長選 公明は自主投票」。
  6. ^ 『中日新聞』1989年11月13日付夕刊、1面、「一宮市長に神田氏 海部派に軍配 福島氏に大差で」。
  7. ^ 自民党民主党公明党自由党社民党がそろって推薦。当時の現職知事引退に伴い、自民党と民主党の旧新進党(=民社党)系と民主党の旧民主党(=社民・新党さきがけ)系・社民党とで推す後継候補が分かれ、妥協策として擁立された経緯がある。
  8. ^ “神田知事、4選不出馬を表明”. 中日新聞. (2010年9月17日). http://www.chunichi.co.jp/hold/2011/ele_aichi/list/201009/CK2010120602100009.html 2013年3月10日閲覧。 
  9. ^ “神田愛知県知事、重徳氏を支援 県知事選”. 日本経済新聞. (2010年1月11日). https://r.nikkei.com/article/DGXNASFD10011_Q1A110C1CN8000 2018年10月20日閲覧。 
  10. ^ “愛知の神田知事、後継に自民・重徳氏支援へ” (日本語). 読売新聞. (2010年12月17日). http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101217-OYT1T00432.htm 2010年12月17日閲覧。 
  11. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140721-00000021-asahi-soci
公職
先代:
森鉐太郎
Flag of Ichinomiya, Aichi.svg 一宮市長
第7代:1989年 - 1998年
次代:
谷一夫