神道六合流

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神道六合流
しんとうりくごうりゅう
神道六合流柔術 三尺間
神道六合流柔術 三尺間
発生国 日本の旗 日本
発生年 明治31年(1898年)
創始者 野口潜龍軒源兼信
源流 夢想流
無念流、起倒流揚心流
眞蔭流真之神道流気楽流
派生流派 一技道、神道一天流
主要技術 当身関節技投技絞技固技
接骨、活法、乱捕 捕縄術
伝承地 日本全国
欧州中国インド
アメリカ台湾
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当身

神道六合流(しんとうりくごうりゅう)とは、野口清(一威斎・潜龍軒)が夢想流、無念流、起倒流、揚心古流、眞蔭流、真之神道流、気楽流を合一し開いた柔術の流派である[注釈 1]

歴史[編集]

野口潜龍軒の丹田集力法

帝國尚武會野口潜龍軒(1878-1930)が開いた流派である。

野口は最初に夢想流に入門し柔術の手解きを受けた。その後無念流、起倒流、揚心流、真蔭流、真之神道流、気楽流を学んだ。他に天神真楊流も学び奥義を極めたとされる。流名の由来は柔術六流派(夢想流、無念流、起倒流、揚心流、眞蔭流、真之神道流)を合流したことからである。1898年(明治31年)、茨城県結城町(結城市)に武徳館を開き神道六合流の教授を始めた。1903年(明治36年)時点で門弟1600余人で各地に道場を設けていた。

1908年、兄の野口正八郎が清国の官憲(警察機関)に招聘された際に、正八郎の代理で清国に渡り神道六合流を教授した。また、日本軍の支援を受け天津租界に柔術道場を開いた。野口は各国の軍、警察、学校で神道六合流を教授し、最盛期は、欧州中国、インドに支部があった。また、日本軍憲兵隊柔術捕縄術を教授した。

野口潜龍軒は、整法にも通じ整法を詳細に解説した整法百技詳解を刊行している。また、柔道整復術の公認運動に参加した柔術家の一人でもある。

神道六合流は乱捕制定基本深井子之吉が作った型から成り立っている。

通信教育による武道伝授法を考案し日本全国に広まった。

内容[編集]

初期の神道六合流は、乱捕と七流派の形420本を教えていた。その後七流派の技法を折衷した制定型を定めた。さらに制定型から36技の制定基本型に纏められた。通信教授部開設時に、深井子之吉が戸塚派揚心流の技を基に編み出した型が加わった。

乱捕技[編集]

投技[編集]

1893年(明治26年)頃に野口清が編み出した潜龍巴

投技は足業、手業、腰業、腰横捨身業、眞捨身業の五種類に分類される。出足掃、體落、巴投を基本に、そこから派生する技を効率よく練習できるように投技出足掃系統技體落系統技巴投系統技に分類し各系統技を順に稽古する練習方法を確立した。これは、既に会得した技と次に学ぶ技との差異が少なくなるように並べているので、技の理を理解しやすく、また動作も移りやすいため上達が非常に速くなるという。

足技のは戸塚派揚心流の技とされる。

出足掃系統技
出足掃、支足、燕返、拂足、膝車、送掃、
外鎌、内鎌、横分、横掛、浮技、釣込倒、横落、谷落
裏投、後腰、横車、抱分、帯落、掬投、立木添、蟹捨
體落系統技
體落、浮落、外車、逆鎌、鎌腰、送鎌、胸倒、山嵐、股落、足車
外股拂、内股拂、大腰、釣腰、浮腰、釣込腰、跳腰、拂腰、移腰
腰車、小車、巻込、肩落、背負投、背負腰、背負落、絹擔
巴投系統技
巴投、本巴、潜龍巴、隅返、俵返、釣落

抑技、締技[編集]

逆エビ固めに似た神道六合流の鯱締(裏締)

締技には、関節技も含まれる。

抑技
襷固、逆襷、肩固、浮固、十字固、四方固、崩四方、閂固、後固、假固(馬乗固)
喉締技
並十字、逆十字、後十字、襟絞、送襟、腕絞
指絞、握絞、片手絞、裸絞、片羽絞、早絞、垂落
首締技
頸拉、頸締、首絞(足挟)、抱首、膝絞、首捻
手締技
逆指、小手挫、内小手、外小手、逆小手、腕緘、腕搦
閻魔、腕挫、膝固腕挫、腕固腕挫、腕固腕挫別法、立腕挫(七里引)
胴締技
胴絞、胴殺、胸落、背挫、腰挫、海老締
足締技
指詰、足挫、足撚、股絞、鯱締、足緘、足搦

当技[編集]

急所は即死と即倒に分けられ各急所への攻撃方法が伝えられていた。諸流派の説と自身の経験及び実験から定めたとされる。

当身に用いる部位
握拳、拳固、手刀、肘、足底
頭部、手甲、膝頭
即死の當
天倒、烏兎、両毛、霞、人中、下昆、松風、村雨、肢中、水月
明星、脇陰、月影、稲妻、陰嚢、電光、尾胝、頚中、活殺
即倒の當
膻中、胸尖、尺澤、内踝、甲利、獨古、肘詰
潜龍、早打、後稲妻、夜光、腕馴、草靡
拳法七十二門
拳法基本六法
發止、風水、明正、電光、雙龍、本體

活法[編集]

  • 序活呼吸法(人口呼吸術)
  • 脊活誘動法(誘ヒ活)
  • 襟活發心法(脊活)
  • 肺活吸氣法(背面活、裏活、總活)
  • 總活氣海法(死活、一傳活、上段襟法、気海法)
  • 睾活下鐘法(鐘活、陰嚢活)
  • 水法吐水法(眞揚總活)
  • 縊活静御法(吊活、仰御法、縊死活)

整法[編集]

人體骨格及骨の名称
関節の解
打撲治療法
挫折脱臼治療法
顎骨脱臼、鎖骨挫折、肋骨挫折、肩脱臼、肘脱臼、腕骨脱臼
指骨脱臼、腰脱臼、膝脱臼、蹠骨脱臼、趾骨脱臼、上膊骨挫折、脛骨挫折
整法要訣
整法薬の製法及用法
蒸薬製法及用法、塗薬製法及用法、附薬の製法及用法
繃帯法
應急救護法

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初期の型[編集]

初期の神道六合流の型。420本あった七流派の型をまとめたものであり、制定基本型の前身である。

基本形55手、表裏撰抜形24手

基本形集意 5手
透捕、片胸捕、両胸捕、逆手捕、腰車
基本形初段 10手
仰倒、向締、ノビ擧、襟頭、引倒
行違、投定、引當、腕馴、元返 (鬼之一口)
基本形二段 10手
五分添、一寸添、尺添、三尺間、一里引
七里引、左槌、前二人、後二人、回馬 (天狗倒)
基本形三段 10手
横斬、杖投、捨身投、轉立、尺八取
小鷹返、足據、百人捕、飛逃、刃折、(羽斷)
基本形四段 20手
逆刃突、上巻、棒締、鬼神、荒意志
脇倒、後打、天光、地水、可行
鎗止、石引、玄關、左右投、山割
立木据、角挫、弓厄、鎌四方、竜虎、(咽七五三)
撰抜基本 24手
隙捕、閻魔捕、脊負投、垂落、立木添、胸倒
腰投、頸締、後捕、羽切、襟頭棄、居捕
四車、三尺間、逆手、龍巻、腕馴、鬼轉
抜手捕、逆刃突、野口巴、襷締、胴殺、面摺

制定基本[編集]

制定基本は、夢想流、無念流、起倒流揚心流眞蔭流真之神道流気楽流の大同を採り小異を捨てて合一したものである。本来の神道六合流には型が420本あったが全て知る必要はないので活用的技36本を選抜し再編したとしている[1]。この型は乱捕の欠点を補うものであるとされており、初段は乱捕技と同一である。

諸流の最高奥義の粋を抜いたもので、これを修得したならば如何なる流儀の型も学ばずして要点を知ることができるとしている。制定基本は36技であるが、それとは別に裸體捕がある。また、制定基本には表、返、裏技を連続で行う「三光無我の位」という練習法がある。

手解
第一、第二、第三、第四、第五、第六
集意
隙捕、閻魔、両胸、逆手、腰車、頸締
初段
浮落、背負投、絹擔、腰投、胸倒、肩落
中段立合
後捕、羽切、廻引、襟頭捨、隅返、横車
中段居捕
向締、仰倒、四車、襷締、龍巻、虎轉
上段
三尺間(立合、居捕)、逆刄突(右勝手、左勝手)
抜手捕(立合、居捕)、返切(直入、轉入)
白刄捕、百人捕
裸體捕
組腰、掬落、巌砕

深井子之吉の形[編集]

この形は、戸塚派揚心流大竹森吉門下の深井子之吉が戸塚派揚心流を基に斯道大家の説を参考にし戦場実地の経験から編み出したものである[注釈 2]。内容は戸塚派揚心流に新たな技を加えたものであり技法数は106手である。同名の形は戸塚派揚心流をほぼそのまま伝えている。真剣勝負、実地活用の形であるとしている。

初段 起合手解 12手
片襟捕、兩襟捕、片胸捕、兩胸捕、紅葉捕、衣紋崩、帯引、片手捕、兩手捕、諸手捕、添捕、小手返
初段 起合逆手捕 13手
襟捕、車捕、紅葉捕、衣紋崩、帯引、片手捕、両手捕、諸手捕、添捕、小手返、氣捕、突身、山陰
初段 起合逆手投 15手
襟捕、合捕、脛押、引廻、衣紋崩、帯引、小手捌、両手捕、添捕、打込、虎縛、突身、巻込、松葉殺、應太刀
初段 起合 15手
指捕、手車、袖車、腕車、衣紋崩、甲廻、帯車、小裙返、大殺、小廻、伏鹿、巖石、壁副、刀當、心車
中段 行合 18手
小當、小返、紅葉亂、紋所、外掛、内掛、虎走、瀧落、脇山陰、向山陰、後山陰、
劒之位、龍飛前、小膝廻、後返、小車、突身、下り藤
上段 居捕 13手
心之位、無刀別、袖車、膳越、車劔、拔身之目付、
應太刀、釣堅、打込、猿猴、玉霰、小車、龍虎
上段 白刃捕 10手
無心之刀、抜身留、切付、一文字、貫、刀縛、行合、上段、關留、電光
上段 當身 10手
突付、大當、浦風、電光、磯之浪、丸橋、乗身、猛家保、松風、合氣
活法
整法

神道六合流の関係者[編集]

例として一部を記す。

永井尚知
『帝國尚武會制定型圖解』の著者。天神真楊流の柔術家。講道館柔道四段。永武館という道場を開いていた[注釈 3]
深井子之吉
戸塚派揚心流師範で野口の協力者。帝国尚武会実習部主任を務めた。『奥秘龍之巻』、『奥秘虎之巻』の著者。
鈴木清三
1905年に出版された『戦捷紀念 日本魂』の著者。初め講道館で柔道を学ぶ。体育会の助教授を数年務めた後、野口の武徳館に入門。神道六合流六段。
永井慶雄
神道六合流二代目。
椎木敬文
茨城県の人。一技道を開いたことで知られる。1915年に上京し麻布の清心館で野口から神道六合流を学ぶ。通信教授生ではなく野口清の直門である。神道六合流の他に香取神道流鹿島新當流真蔭流為我流、講道館柔道(6段)なども学んでいる。
佐藤完實
帝国尚武会宮城支部長を務めた。鈴木監治郎より喜多流を学び初目録を許される。また武田惣角より大東流合気柔術を七年学び秘伝奥義の目録を得た。明治37年に帝国尚武会正会員になり目録免許状を得て宮城県支部長に任命された。同年秋季試合で三段となり、明治38年12月に四段に昇進する。神道六合流や大東流などから婦人用の女子護身術(神道一天流)を編み出した。手解と基本形5本、初段7本、中段8本、上段10本の計30本からなる。
手解: 第一教~第八教
基本形:打下、手首押、抱締、首締、俵返
初段: 横打、胸捕、抜逃、抜倒、肩押、腕押、後襟
中段: 甲手上、四方投、抱腰、左右捕、二人捕、四人捕、突込、突當
上段: 切掛、蹴出、逆腕、袂押、後返、甲手挫、逆引、引倒、當引、掬投
須藤繁吉兼清
栃木県の人。明治32年入門。明治34年9月野口の命により気楽流師範と試合して勝つ。同年に目録を得る。日露戦争で戦死。
中野銀郎剣堂
三重県の人で中野流の創始者。稲葉太郎の弟子でもある。
犬飼健勝(犬飼重雄)
兵庫県神戸市の人。練武館柔道、神変不動流を開く。
田中清太郎顕興
神道六合流を野口清から学ぶ。合気道植芝盛平の門人。神略兵法神伝合気護身術を開く。
森本義男
徳島県の人。大正初期に上京し四谷区新宿で野口清から神道六合流を学んだ。徳島県に帰り阿波郡土成字秋月城趾に森本道場を設けた。神道六合流の徳島支部。
富田兵左衛門
1839年(天保10年)生まれ。茨城県の為我流和無比流杖術師範。東京の野口清と交流があった。帝国尚武会の正会員であり神道六合流目録免許を受けている。
草薙信勝
香川県仲多度郡吉野村の人。無相流新柔術の師範。
西牧一雄
岡山県不遷流柔術の師範。不遷流と神道六合流より神道不遷流を開く。
星彦十郎
宮城県柳生心眼流の師範。
浦野一次
『整法百技詳解』の著者。荒木流の師範。
黒須春次
神道六合流四段。浦野一次より荒木流免許皆伝を受ける。後の講道館柔道九段。
ブロンクホルスト
ドイツのボクサー。来日して帝国尚武会に入り柔術を学ぶ。野口正八郎と板垣退助から相撲取になることを薦められた。

神道六合流の教授書[編集]

教授書の種類[編集]

『戦捷紀念 日本魂』(武道宝典)鈴木清三 1905年(明治38年11月3日発行)
『甲・乙・丙種科教授書』 永井尚知著、野口潜龍軒監修、帝国尚武会、1909年(明治42年5月26日発行)
最初の教授書。三冊一組。 
神道六合流の乱捕、当技、整法、活法、薬法について師と弟子の問答や図を交えて詳細に解説している。
『帝國尚武會制定型圖解』 永井尚知著 1909年(明治42年)
制定基本型を解説した書。
『奥秘龍之巻』 深井子之吉著 野口潜龍軒監修、帝国尚武会 1911年(明治44年4月3日発行)
乱捕を解説したもの。
『奥秘虎之巻』 深井子之吉著 野口潜龍軒監修、帝国尚武会 1911年(明治44年12月25日発行)
形を解説したものである。1914年に特科虎之巻という名称に変更された。
『柔術修業秘法』 野口潜龍軒著 帝国尚武会 1912年(大正元年8月4日発行)
独習法について詳細に解説した書。後に、柔術教授書独習之巻という名称に変更された。
『制定基本詳解』 野口潜龍軒著
帝國尚武會制定型圖解の増補訂正版。
『龍虎之巻』 1913年(大正二年) (第二、三期)
神道六合流の乱捕技、当技、整法、活法、薬法について書かれている。
『特科虎之巻』 1914年 (第四期)
奥秘虎之巻を増補訂正したものである。
技法についての解説は全く同じであるが、奥義秘伝の項は大幅に増補している。
『柔術教授書独習之巻』 (第一期)
内容は柔術修業秘法と同じである。
『柔術教授書基本之巻』 (第五期)
制定基本詳解と同じ。手解から中段立合まで。
『柔術教授書基本之巻』 (第六期)
制定基本詳解と同じ。中段居捕、上段、裸体捕。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 武道宝典の序文には、眞之神道流、夢想流、無念流、起倒流、揚心流、眞蔭流、天神真楊流となっている。
  2. ^ 戦場実地の経験とは日露戦争での経験である
  3. ^ 小西康裕著『入門新書図解空手入門』p221 大正9年に永井尚知から永武館柔道五段を授かったとある。

出典[編集]

  1. ^ 帝國尚武會制定型圖解


参考文献[編集]

  • 『柔術教授書』
  • 『日整六十年史』
  • 『武士道之日本』
  • 朝日新聞「廣告詐欺(二十五){各種廣告を利用する詐欺師の化けの皮を剥く}通信教授-速成柔術」1908年7月2日付朝刊
  • 朝日新聞「廣告詐欺(二十六){各種廣告を利用する詐欺師の化けの皮を剥く}通信教授-速成柔術」1908年7月3日付朝刊

関連項目[編集]