福原武

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福原 武(ふくはら たけし、1904年明治37年)4月3日 - 1996年平成8年)1月21日)は、日本医師生理学者、医学博士岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座初代教授、岡山大学名誉教授。

略歴[編集]

新潟県新潟市寄居町(現新潟市中央区寄居町)出身。1921年大正10年)3月に新潟中学校を4年で修了、1924年(大正13年)3月に新潟高等学校を卒業、1928年昭和3年)3月に新潟医科大学を卒業[1]

1928年(昭和3年)4月に新潟医科大学生理学教室(担任:横田武三教授)助手に就任[1]1930年(昭和5年)4月に講師に就任、1932年(昭和7年)2月に新潟医科大学から医学博士号を取得、1933年(昭和8年)4月に新潟医科大学生理学教室助教授に就任[1]1938年(昭和13年)11月に永井潜の推薦で北京大学医学院生理学教室初代教授に就任[2]太平洋戦争後、1945年(昭和20年)12月に日本に帰国[1]1946年(昭和21年)6月に新潟医科大学薬理学教室(担任:木原玉汝教授)助教授に就任[1]1948年(昭和23年)7月に米子医科大学生理学教室初代教授に就任[1]1949年(昭和24年)5月に鳥取大学医学部生理学教室初代教授に就任[1]1954年(昭和29年)7月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座初代教授に就任[3]1966年(昭和41年)7月に岡山で第8回日本平滑筋学会総会を主催[4]1970年(昭和45年)3月に岡山大学を定年退官、4月に川崎医科大学生理学教室初代教授に就任[1]1976年(昭和51年)3月に同大学を退任[1]、同大学客員教授に就任。

1996年平成8年)1月21日午後0時30分に東京都清瀬市ベトレヘムの園病院肺炎のため死去[2]

動物の腹壁を開き透明な板を埋め込んで消化管の運動を観察する腹窓法(ふくそうほう)[注 1]を改良し、映画撮影法を併用し小腸運動の分析を行って画期的な業績を上げるなど、消化管運動の生理学的研究の権威であった[1][6]

北京大学医学院生理学教室教授の時、捕虜人体実験を勧められたが断っている[7]

門下生[編集]

親族[編集]

著書[編集]

  • 『生理學實驗法』南山堂、1950年。
  • 『消化管運動の生理』医学書院、1953年。
  • 『消化管運動のメカニズム』文光堂、1973年。

論文[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 医学辞典の腹窓法の項目では福原武による腹窓法が解説されている[5]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 「福原武」『日本近現代 医学人名事典 1868-2011』523頁、泉孝英[編]、医学書院、2012年。
  • 「名誉教授 福原武先生を偲んで」『日本生理学雑誌』第58巻第6号、235-236頁、中山沃[著]、日本生理学会、1996年。
  • 生体実験を拒否した生理学者 横山正松 (PDF) 」『日本醫史學雜誌』第54巻第3号、239-248頁、末永恵子[著]、日本医史学会、2008年。
  • 「生理学第一講座」『新潟大学五十年史 部局編』413-414頁、新潟大学五十年史編集委員会[編]、新潟大学五十年史刊行委員会、2000年。
  • 「生理学第一教室」『新潟大學醫學部五十年史』502-509頁、新潟大学医学部五十周年記念会[編]、新潟大学医学部五十周年記念会、1962年。
  • 「生理学第一教室」『新潟大学医学部七十五年史 下巻』26-33頁、新潟大学医学部創立七十五周年記念事業期成会・新潟大学医学部学士会[編]、新潟大学医学部創立七十五周年記念事業期成会・新潟大学医学部学士会、1994年。
  • 『岡山大学医学部百年史』岡山大学医学部百年史編集委員会[編]、岡山大学医学部創立百周年記念会、1972年。
  • 「腹窓法」『医学書院 医学大辞典』第2版、2440頁、医学書院、2009年。
  • 「腹窓法」『南山堂 医学大辞典』第20版、2145頁、南山堂、2015年。
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 日本平滑筋学会総会会長 
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