福山町 (鹿児島市)

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福山町
—  町丁  —
鹿児島県立松陽高等学校
福山町の位置
福山町
座標: 北緯31度36分27.7秒 東経130度26分13.2秒 / 北緯31.607694度 東経130.437000度 / 31.607694; 130.437000
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 Flag of Kagoshima, Kagoshima.svg 鹿児島市
地域 松元地域
人口 (2009年(平成21年)9月末現在)
 - 計 749人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 899-2702

福山町(ふくやまちょう Fukuyama-Chō)は、鹿児島県鹿児島市町名。旧日置郡伊集院郷福山村、日置郡上伊集院村大字福山、日置郡松元町福山郵便番号は899-2702。人口は749人、世帯数は312世帯(2009年9月末現在)[1]

地理[編集]

鹿児島市の西部に所在しており、福山川上流域から中流域に位置している。南方には石谷町及び日置市伊集院町土橋、南方には上谷口町、西部に日置市伊集院町下谷口伊集院町清藤、東部に松陽台町がそれぞれ接している。

町域の中央には南九州西回り自動車道鹿児島道路が通っており、南端には鹿児島本線が通っている。東端には鹿児島県立松陽高等学校が所在する。

町域内の自治公民館は福山川に沿って、福山上、福山中、福山下の3つの自治公民館で構成される[2]

歴史[編集]

福山の成立[編集]

福山という地名は鎌倉期より見え、薩摩国伊集院のうちであった。正中2年の山田道慶譲状には「田地分 壱町 大道田・柳田・山下田・こは田同院福山村内」とありこのころより見える。

文永6年の所領譲状案などに見えるように紀氏がその後開発を進め、鎌倉中期には島津氏がこれに参画したとされており、その結果石谷村(現在の石谷町)と福山村が形成された。

福山は石谷と共に南北朝期には伊集院氏の支配下にあったとされている。その後宝徳2年に伊集院氏は没落し島津氏の直轄領となった[3]

近世[編集]

江戸期には薩摩国日置郡伊集院郷(外城)のうちであり、村高は「郡村高辻帳」及び「天保郷帳」では939石余、「旧高旧領」では538石余であった。村内には福山上、福山中、福山下の3つの字に分かれており、現在でも自治公民館に踏襲されている[3]

町村制施行以降[編集]

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、江戸時代の外城制における伊集院郷のうち南部の6村の区域より上伊集院村が成立し、それまでの福山村は上伊集院村の大字「福山」となった。1960年(昭和35年)には上伊集院村が町制施行及び即日改称し松元町となり、松元町の大字となった[3]

2003年平成15年)には福山、石谷、上谷口の各一部が分割され松陽台が設置された[4]、翌年の2004年(平成16年)に松元町が鹿児島市に編入され、鹿児島市の町名「福山町」となった[5]

字域の変遷[編集]

実施後 実施年 実施前
松元町大字松陽台の一部 2003年平成15年) 松元町大字福山の一部

施設[編集]

教育
寺社

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[6]

町丁 番地 小学校 中学校
福山町 全域 鹿児島市立松元小学校 鹿児島市立松元中学校

交通[編集]

道路[編集]

国道や県道は通らないが、南九州西回り自動車道が通過する。

バス[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 統計情報 - 鹿児島市ホームページ。
  2. ^ 『松元町閉町記念誌』 - 松元町 2004年発行
  3. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.562
  4. ^ 平成15年鹿児島県告示第863号(字の区域の設定及び変更、Wikisource-logo.svg 原文
  5. ^ 鹿児島市HP-合併後の新町名、2009-12-19閲覧。
  6. ^ 小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年10月31日閲覧。

関連項目[編集]

座標: 北緯31度36分27.7秒 東経130度26分13.2秒