福澤克雄

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ふくざわ かつお
福澤 克雄
生年月日 (1964-01-17) 1964年1月17日(56歳)
職業 ドラマ演出家映画監督
主な作品
ドラマ
私の運命
3年B組金八先生
Sweet Season
GOOD LUCK!!
さとうきび畑の歌
砂の器
MR.BRAIN
南極大陸
半沢直樹』シリーズ
LEADERS リーダーズ
ルーズヴェルト・ゲーム
レッドクロス〜女たちの赤紙〜
下町ロケット』シリーズ
陸王
ノーサイド・ゲーム
映画
私は貝になりたい
祈りの幕が下りる時
七つの会議
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福澤 克雄(ふくざわ かつお、1964年(昭和39年)1月17日[1] - )は、TBSテレビ・制作局ドラマ制作部所属のテレビドラマディレクター演出家映画監督。元・ラグビー選手。TBSテレビでの役職は役員待遇のエキスパート職。

人物[編集]

TBSテレビのエースディレクターであり、『日経エンタテインメント!』の調査によると2007年現在、日本で最も視聴率を獲得するドラマディレクターとされる。特に『半沢直樹』は、平成時代の日本のテレビドラマ最高視聴率(42.2%)を獲得し、社会現象を起こした。

TBS→TBSテレビの社員ではあるが、ずんぐりむっくりで大柄な体型であるため、ライバル局テレビ朝日の看板番組「ドラえもん」のキャラクター剛田武(ジャイアン)にちなんだ「ジャイさん」が愛称[1]。年上の武田鉄矢からは、「ジャイ」と呼ばれている。

東京都生まれ。福澤諭吉玄孫である[2][3]。諭吉の次男・福澤捨次郎(時事新報社長)を曾祖父、福澤時太郎を祖父とし、時太郎の子である福澤和子の子である。叔父に和子の弟の福澤武三菱地所会長)、親族に福澤幸雄(レーサー)などがいる。幼稚舎から大学まで慶應義塾で過ごした。慶應義塾大学法学部卒業[4]

来歴・略歴[編集]

学生時代まではラグビーの有名選手であった。慶應義塾幼稚舎(小学校)から始め、その後慶應義塾普通部(中学校)、慶應義塾高等学校慶應義塾大学と一貫して続けた[2]。特に、慶應義塾高等学校蹴球部(高校ラグビー部)在籍時は、ラグビー高校日本代表にも選ばれた。

慶應義塾體育會蹴球部(大学ラグビー部)在籍中は上田昭夫監督の下、1985年全国大学ラグビーフットボール選手権大会で優勝、同年の大学日本一と社会人日本一が対戦し、真のラグビー日本一を決める日本ラグビーフットボール選手権大会においてはトヨタ自動車(現在チーム名・トヨタ自動車ヴェルブリッツ)を破り 慶應史上初のラグビー日本一に輝いた。

また個人としては、大学時代に関東代表、学生日本代表、日本代表A(23歳以下日本代表)にも選ばれ、また190cm100kgと日本人離れした体格を持っていた。

大学卒業後は富士フイルムに入社するも、映画・テレビドラマに関わりたいという夢を捨てきれず、1989年東京放送TBSテレビ)に中途採用[4]。入社早々、ドラマ部に配属され『3年B組金八先生』シリーズ、『砂の器』、『さとうきび畑の唄』、『華麗なる一族』など、数多くのテレビドラマの演出を手掛ける[5]。特に『3年B組金八先生』では、第5シリーズから第7シリーズまで35本の演出を手掛け「金八」人気の再燃に貢献した。

2005年に、2006年1月に東宝系の劇場で公開予定だった映画『涙そうそう』の監督を担当していたが、撮影中に病気で倒れて入院し降板した[6][7]。これにより制作が延期された。結局、監督を土井裕泰に代えて制作を再開、2006年9月30日に映画は公開された(涙そうそうプロジェクトを参考)。

2008年11月22日劇場公開の映画『私は貝になりたい』で、ようやく初の映画監督を務めた。

評価[編集]

関係者によると体育系の人物であり、スタッフや俳優と衝突する事も少なく無かったという。

  • 3年B組金八先生』ではダイナミックな演出が評価されているものの、原作者の小山内美江子とは事あるごとに衝突し、結果、シリーズ途中での小山内の更迭に繋がってしまった[8]。その第7シリーズでは覚醒剤を巡る描写について賛否を呼び、第8シリーズは降板する運びとなった。
  • Jupitor』を、自らが手がける演出作品の山場で流す事も多い[9]

作品[編集]

テレビドラマ[編集]

連続ドラマ[編集]

※◎は最高視聴率が25%以上、かつ太字は30%以上、太字は40%以上を記録した作品。

単発ドラマ[編集]

監修[編集]

  • 小さな巨人(2017年)
  • 半沢直樹イヤー記念・エピソードゼロ(2020年)

映画[編集]

受賞歴[編集]

出典[編集]

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