福田八之助

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ふくだはちのすけ
福田八之助
生誕 持田千代吉
文政11年(1828年
武州秩父郡野上村
死没 明治12年8月14日(1879年
記念碑 長瀞町大字本野上字袋八幡神社
頌徳碑「福田先生の碑」
長瀞多宝寺
「福田柳儀斎の記念碑」
国籍 日本の旗 日本
職業 柔術家、接骨師
流派 奥山念流
気楽流
天神真楊流
身長 六尺余(約180cm)
肩書き 講武所師範
持田松三郎

福田八之助(ふくだ はちのすけ)(文政11年(1828年)- 明治12年8月14日(1879年))とは日本の柔術家である。号は柳儀斎。享年52。天神真楊流、気楽流、奥山念流の免許皆伝を持つ。

経歴[編集]

武蔵国秩父郡本野上村(現・埼玉県秩父郡長瀞町大字本野上)の生まれである。

本名は持田千代吉で後に福田八郎右衛門の養子となり福田八之助と改名する。

少年期、奥山念流に入門し柔術を学ぶ。また秩父大宮で盛んだった気楽流の稽古場にも通い両流派を極めた。

嘉永四年(1851年)24歳の春に江戸へ出て神田お玉ヶ池天神真楊流磯正智に弟子入りした。

30歳の春に磯正智から幕府の講武所師範にならないかと勧められたが、百姓は講武所師範にはなれなかった。

そこで、磯正智が妻の縁者の福田八郎右衛門(野州都賀郡日光山内取締の家系)に頼み持田を養子とした。

これにより持田は福田八之助を名乗り幕府講武所師範となった。

講武所師範の余暇に日本橋の大工町と、芝神明町に天神真楊流の道場を開き門弟の指導をした。

講道館柔道の創始者嘉納治五郎の師として有名である。

参考文献[編集]

  • 『初代講道館長嘉納治五郎恩師柳儀斎福田八之助伝』秩父市柔道連盟編

関連項目[編集]