秋月城
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秋月城 (福岡県) | |
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![]() 長屋門 | |
別名 | 杉本城 |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 秋月種雄 |
築城年 | 1203年(建仁3年) |
主な改修者 | 黒田長興(改築) |
主な城主 | 秋月氏、黒田氏 |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
遺構 | 長屋門、大手門、石垣、堀 |
指定文化財 | なし |
位置 |
北緯33度27分56秒 東経130度41分44秒 |
秋月城(あきづきじょう)は、福岡県朝倉市野鳥にあった日本の城である。秋月陣屋ともいう。
概要[編集]
中世・戦国時代の古処山城の麓にあった秋月氏の館跡を利用して築かれた平城で、福岡藩の支藩秋月藩の藩庁であり、黒田氏が居城していた。一筋に掘られた堀と石垣を築き二重櫓や平櫓を5基建て並べていた[1]。
明治期に廃城となり払い下げられた後、現在跡地には黒田長興を祀った垂裕神社が建てられている。堀、石垣、裏門であった長屋門、旧大手門である黒門が垂裕神社の神門として移築され現存する[2]。
歴史[編集]
- 1203年(建仁3年) - 秋月種雄が秋月城を築城。
- 秋月氏16代種実の時代、大友宗麟に何度か攻められるも、毛利元就の援軍もあり撃退、秋月氏は最盛期を迎える。しかし1587年の九州征伐に乗り出した豊臣秀吉に敗れ、秋月氏は日向国高鍋に移封される。これにより、秋月城は廃城となる。
- 1624年(寛永元年) - 福岡藩主黒田長政の三男、黒田長興が福岡藩2代忠之より夜須・下座・嘉麻の範囲で5万石を分封され、長興は、九州征伐以降廃城となっていた秋月城を大幅に改修し、陣屋を置く。以後、黒田氏12代が明治まで治める。
- 1873年(明治6年) - 廃城令によって廃城となり一部を残して撤去される[2]。
- 1980年(昭和55年) - 「秋月城跡」として県の史跡に指定。
現在[編集]
現在秋月城址は朝倉市立秋月中学校となっており、生徒が通う現役の木造校舎の佇まいは城下町秋月のシンボルとなっている。