稲垣長続

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稲垣 長続
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和8年8月15日1771年9月23日
死没 文政元年12月29日1819年1月24日
改名 栄之丞(幼名)、長続
戒名 義山天忠霊鷲院
墓所 群馬県伊勢崎市の天増寺
官位 従五位下、対馬守、信濃
幕府 江戸幕府
志摩国鳥羽藩
氏族 榊原氏稲垣氏
父母 父:榊原政永、養父:稲垣長以
兄弟 榊原政敦長続
正室:三浦前次の娘・
継室:内藤頼尚の娘・
側室:吉岡
長興、鑓、久五郎、娘(京極高聡正室)、
娘(小笠原孫三郎室)、勇三郎、長剛、環、
娘(松平乗顕継室)

稲垣 長続(いながき ながつぐ)は、志摩鳥羽藩の第4代藩主。鳥羽藩稲垣家8代。

明和8年(1771年)8月15日、越後高田藩榊原政永の十男として高田城で生まれる。天明7年(1787年)に鳥羽藩第3代藩主稲垣長以の養子となり、寛政6年(1794年)11月11日の長以の隠居家督を継いだ。

文政元年(1818年)12月29日に死去した。享年48。跡を四男の長剛が継いだ。