稲岡町 (横須賀市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 神奈川県 > 横須賀市 > 稲岡町 (横須賀市)
稲岡町
—  町丁  —
神奈川歯科大学
稲岡町の位置(神奈川県内)
稲岡町
稲岡町
稲岡町の位置
座標: 北緯35度17分4.08秒 東経139度40分11.96秒 / 北緯35.2844667度 東経139.6699889度 / 35.2844667; 139.6699889
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Yokosuka, Kanagawa.svg 横須賀市
地区 本庁地区
面積[1]
 - 計 0.246km2 (0.1mi2)
人口 (2017年(平成29年)10月1日現在)[1]
 - 計 16人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 238-0003[2]
市外局番 046 (横須賀MA)[3]
ナンバープレート 横浜

稲岡町(いなおかちょう)は、神奈川県横須賀市町名。丁番を持たない単独町名であり、住居表示未実施区域[4]郵便番号は238-0003。

地理[編集]

横須賀市の中北部に位置し、横須賀港に隣接している。また、北半分に楠ケ浦町、南に小川町と大滝町と隣接している。

歴史[編集]

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
稲岡町 16世帯 16人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

番地 小学校 中学校
全域 横須賀市立諏訪小学校 横須賀市立常葉中学校

経済[編集]

産業[編集]

店・企業
  • 記念艦三笠売店
  • 田中歯科器械店
  • 文具館アップル
その他

地域[編集]

教育[編集]

健康[編集]

  • 神奈川歯科大学附属病院

施設[編集]

公園
宗教
  • カトリック横須賀三笠教会

出身・ゆかりのある人物[編集]

政治・経済[編集]

小泉岩吉、杉山重、長濱佐一郎は貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[6]

  • 小泉又次郎(衆議院議員)[7]
小泉純一郎の祖父。小泉純也の義父。
政治家・小泉又次郎の弟。住所が稲岡町[8]
  • 小泉岩吉(神奈川県多額納税者、土木建築業)[9][10]
先代・岩吉の養子[10]。住所が稲岡町[10]
  • 小泉金三(土木建築業)[9]
  • 杉山重(神奈川県多額納税者[11]、商業[6]
  • 杉山れい(杉山回漕店社長)[7]
  • 長濱佐一郎(神奈川県多額納税者[11]、商業[6]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 住民基本台帳登載人口”. 横須賀市 (2017年10月13日). 2018年2月28日閲覧。
  2. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月28日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月28日閲覧。
  4. ^ 住居表示 - 横須賀市の町名一覧”. 横須賀市 (2017年2月27日). 2018年2月28日閲覧。
  5. ^ 通学区域一覧表”. 横須賀市 (2017年2月24日). 2018年2月28日閲覧。
  6. ^ a b c d 『貴族院多額納税者名鑑』61-81頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月18日閲覧。
  7. ^ a b 『日本紳士録 第41版』神奈川1-98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月14日閲覧。
  8. ^ a b 『人事興信録 第9版』コ4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月13日閲覧。
  9. ^ a b 『日本紳士録 第44版』神奈川ク、ケ、コの部28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月13日閲覧。
  10. ^ a b c 『人事興信録 第11版 上』コ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月13日閲覧。
  11. ^ a b 『日本紳士録 第29版』附録 全国多額納税者 神奈川県11-13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月19日閲覧。

参考文献[編集]

  • 交詢社編『日本紳士録 第29版』交詢社、1925年。
  • 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第41版』交詢社、1937年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。