稲田秀太郎

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稲田秀太郎
いなだ ひでたろう
Inada Hidetarou.JPG
生年月日 1854年10月30日
出生地 伯耆国米子(現鳥取県米子市紺屋町)
没年月日 不明

日本の旗 米子町会議員
在任期間 1898年 -
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稲田 秀太郎(いなだ ひでたろう、安政元年9月9日1854年10月30日) - 没年不明)は、日本政治家実業家地主

伯耆国米子(現鳥取県米子市紺屋町)出身。元米子町会議員。醤油醸造合名会社稲田本店代表社員[1]。稲田家の六代目。鳥取県平民[2]米子銀行監査役[3]。元衆議院議員、稲田家の七代目稲田藤治郎の兄。

家族・親族[編集]

稲田家[編集]

鳥取県米子市紺屋町・米子市久米町、東京都

参考文献[編集]

  • 『明治人名辞典Ⅱ 上巻』(底本・『日本現今人名辞典(明治三三年)』)いノ六十三

史料[編集]

大正5年(1916年)の地主層[編集]

当時、商工業の有力者は同時に地主でもあった[4]。この年度における米子町の地価1000円以上の地主名を挙げると次の通りである[5]10000円〜15000円の部稲田秀太郎の名前がみえる。

  • 1000円〜2000円の部[5]
    八幡貞蔵、森尾甚太郎、大塚誠太郎、三好豊吉、渡辺[6]幸四郎、隠岐村初太郎、野坂吉五郎、末好和三、小倉延衛、住田半三郎、今井兼文、富長為太、勝田伝六、久山義英、植田兼蔵
  • 2000円〜3000円の部[5]
    神庭政七、亀尾定右衛門、亀尾伝三郎、藤谷喜三郎、天野芳太郎、井田虎次郎、有本松太郎、渡辺慶太郎、船越正蔵
  • 3000円〜4000円の部[5]
    黒田繁夫、天満徳太郎、田中庄次郎、篠原義一、村上常三、長田吉太郎、小西芳太郎、中村藤吉、門脇孝一、津田宗一郎、広戸藤次郎
  • 4000円〜5000円の部[5]
    砂田竹太郎、坂江まつの
  • 5000円〜7000円の部[5]
    小坂市太郎、森久太郎、野波令蔵、松浦常太郎
  • 7000円〜10000円の部[5]
    大谷房太郎、平野万寿子、石賀善五郎
  • 10000円〜15000円の部[5]
    田村源太郎、近藤なお、益尾徳次郎、杵村喜市、船越作一郎、稲田秀太郎
  • 15000円〜20000円の部[5]
    木村吉兵衛
  • 20000円〜25000円の部[5]
    三好栄次郎後藤快五郎
  • 30000円〜35000円の部[5]
    野坂茂三郎
  • 35000円〜45000円の部[5]
    益尾吉太郎
  • 70000円〜100000円の部[5]
    名島嘉吉郎
  • 100000円以上の部[5]
    坂口平兵衛

国税営業税百円以上納入者及び納入額(綱島幸次郎編『山陰実業名鑑』(大正元年(1912年)12月、帝国興信所米子支所発行)[編集]

名島嘉吉郎博労町)、四百三十四円[7]
木村吉兵衛東倉吉町)、二百九十五円[7]
稲田秀太郎(紺屋町)、二百八十三円[7]
田村源太郎(糀町)、二百五十八円[7]
後藤快五郎(内町)、百八十四円[7]
益尾岩次郎(道笑町)、百七十八円[7]
野坂茂三郎(法勝寺町)、百七十円[7]
松浦常太郎(紺屋町)、百六十八円[7]
益尾吉太郎(道笑町)、百六十一円[7]
高橋台三郎(法勝寺町)、百五十九円[7]
藤谷善太郎(茶町)、百五十五円[7]
近藤ナオ(糀町)、百五十円[7]
平野猪三郎(道笑町)、百三十一円[7]
砂田竹太郎(紺屋町)、百三十円[7]
茅野治良八(灘町)、百二十七円[7]
三好豊吉(日野町)、百八円[7]
久留藤三郎(灘町)、百六円[7]
野波令蔵(法勝寺町)、百四円[7]
島田松三郎(立町)、百円[7]
小坂市太郎(糀町)、百円[7]

脚注[編集]

  1. ^ 蔵元 稲田本店【歴史】
  2. ^ 『人事興信録. 6版』(大正10年)い一二一
  3. ^ 『明治人名辞典Ⅱ 上巻』(底本・『日本現今人名辞典(明治三三年)』)いノ六十三
  4. ^ 『米子商業史』165頁
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『米子商業史』166頁
  6. ^ 綿辺か?
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『米子商業史』(1990年、編纂・著作 米子商工会議所米子商業史編纂特別委員会、140頁)