立町 (仙台市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日本 > 宮城県 > 仙台市 > 青葉区 (仙台市) > 立町 (仙台市)
立町
立町の位置(仙台市中心部内)
立町
立町
立町の位置(宮城県内)
立町
立町
立町の位置
座標: 北緯38度15分47.96秒 東経140度51分58.49秒 / 北緯38.2633222度 東経140.8662472度 / 38.2633222; 140.8662472
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Miyagi Prefecture.svg 宮城県
市町村 Flag of Sendai, Miyagi.svg 仙台市
行政区 青葉区
人口 (2017年(平成29年)4月1日現在)[1]
 - 計 2,461人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 980-0822
市外局番 022[2]
ナンバープレート 仙台

立町(たちまち)は、日本の宮城県仙台市青葉区にある町名である。1970年昭和45年)の住居表示施行前とそれ以後では範囲が異なるが、現在の仙台市都心部からは西から北西に位置する。17世紀初めに仙台城下町が建設されたときに岩出山から町ごと移転して設けられ、御譜代町の1つ、24町のうち第4位につけた。現代は、範囲を北にずらし、中・高層の住宅地である。

位置[編集]

江戸時代の立町は、西端を柳町(後に元柳町)、東端を国分町に区切られる東西に長い町であった。現在の地名では広瀬通の西側の一部で、西を西公園通との交差点(地図)、東を国分町通との交差点(地図)までの区間の両側にあたる。当時は道路の両側をあわせて一つとする区割り法をとったので、立町はその両側の町であり、また道路をも指した。西には仲の瀬橋に通じる道が伸び[3]、東には立町通が東二番丁まで続いていた。立町通は、「立町まで通じる道」の意で、立町とは別の道である。北には本櫓丁、南には肴町と背中合わせで隣接した。

現代の立町は、道路に境界線を引く区割り法によって、南は広瀬通、北は定禅寺通、東は晩翠通、西は西公園通に囲まれた地区である。旧町名では立町、本櫓丁、本鍛冶丁、定禅通櫓丁、元柳町のそれぞれ一部からなる。旧立町は広瀬通と晩翠通によって4分割され、そのうち北西部だけが新しい立町に含められた。北東は国分町2丁目、南東は国分町1丁目、南西は大町2丁目に入れられた。

歴史[編集]

立町の割り出し[編集]

立町の語源ははっきりしないが、他の城下町の例から、城からみて「縦」に長く配置された町というところから名づけられたのだろうとする説がある。

戦国時代には伊達氏の本拠米沢にあり、奥州仕置によって伊達政宗が移転を命じられると、伊達氏に従って岩出山に移転した。関ヶ原の戦いの後に政宗が仙台に居城を移すと、また従って移った。こうして伊達氏とともに転々とした町は全部で6つあり、御譜代町という。仙台の町人町には町列という序列があり、立町は大町肴町南町に次ぐ第4位とされた。

立町は、御譜代町の中ではもっとも北に設けられた。城下を南北に走る奥州街道国分町)から、西に出る道の両側が立町である。南隣は背中あわせで肴町、北隣は武家屋敷であった。

江戸時代[編集]

立町は、御譜代町特権として、6年に1度、九月御日市を立てた。これは6つの御譜代町が順番に9月の間主要17品目の売買を独占するもので、期間中は城下の商人も外から来た商人も立町で店を借りて商売した。この特権は慶安4年(1651年)10月に廃止され、かわりに城下の商人から総額70480の日市銭を徴収する権利が、6年交替でめぐってくることになった。

また別に、城下での穀物取引を穀町とともに独占する権利もあったが、その特権は延宝3年(1675年4月の売り散らし令で、他の町の独占権ともども一斉に廃止された。代償として、他の町の商人は銭を立町と穀町に納めることになった。

御譜代町は城下町の中心部にまとめられたから、立町も仙台の中では中心部に位置した。しかし、町人町の中で比べるなら、街道筋から外れ、あまりよい立地ではなかった。屋敷やなどからみた町の繁栄は、仙台の町人町の中で中程度である。立町には、仙台糒を製造した夏井家[4]があった。

近現代[編集]

1945年昭和20年)7月10日仙台空襲で焼け野原になってから、仙台市は復興の中心街路の一つとして広瀬通を設定した。広瀬通は仙台でも有数の自動車交通量が多い道路になり、その東半分は中心街の一部になったが、立町にあたる西半分は中心部から少し外れたところにとどまった。21世紀初めには業務ビルと高層住宅が並んでいる。

1970年昭和45年)2月1日住居表示施行により仙台市都心部の多くの古い町名が消え去る中、立町は街区として名を残したが、その位置は北西に大きくずれた[5][6]。新たに取り込んだのは江戸時代には武家屋敷だったところで、そこは商業地としての歴史を持たずに住宅地であり続けた。この範囲の立町は21世紀初めの現在も中高層の建物が多い住宅地である。

町内に仙台市立立町小学校が設置され、現存する。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
立町 1,609世帯 2,461人

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 町名別年齢(各歳)別住民基本台帳人口” (日本語). 仙台市 (2017年4月28日). 2017年6月30日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  3. ^ 後の立町新丁。江戸時代の道は橋まで直線で通じない。
  4. ^ 1954年刊『仙台市史』第1巻302頁。
  5. ^ 歴史的町名復活検討委員会報告 資料(仙台市「歴史的町名復活検討委員会」)
  6. ^ 中央(昭45)(仙台市「仙台市の住居表示実施状況」 2.実施地区名一覧《実施年降順》)

参考文献[編集]

  • 仙台市企画市民局総合政策部政策企画課『町名別世帯数及び人口 (住民基本台帳による)平成20年4月1日現在』、2008年。
  • 仙台市史編纂委員会『仙台市史』第1巻(本篇1)、仙台市役所、1954年。
  • 仙台のしにせ編纂委員会『創業百年以上 仙台のしにせ』(仙台商工会議所創立100周年記念)、仙台商工会議所、1992年。