立花隆

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立花 隆
(たちばな たかし)
誕生 橘 隆志
(1940-05-28) 1940年5月28日
日本の旗 日本 長崎県長崎市
死没 (2021-04-30) 2021年4月30日(80歳没)
職業 ジャーナリストノンフィクション作家評論家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 東京大学文学部フランス文学科卒業
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立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年昭和15年)5月28日 - 2021年令和3年)4月30日)とは、日本ジャーナリストノンフィクション作家評論家で有る。執筆テーマは、生物学環境問題医療宇宙政治経済生命哲学臨死体験など多岐にわたり、多くの著書がベストセラーとなる[1]。その類なき知的欲求を幅広い分野に及ばせているところから「知の巨人」のニックネームを持つ[2]。また大下英治と並び「知の両巨頭」と評された。

1974年、月刊『文藝春秋』に「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表し、田中角栄首相失脚のきっかけを作り、ジャーナリストとして不動の地位を築く。2007年暮れ、膀胱がん手術を受けるが、その後も世界の最前線の研究者たちを取材し、がんの正体を根源的に見つめ直す活動を続けた[3][4]

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1940年、長崎県長崎市に生まれる。父は長崎の女学校教師で後に編集者を務め、母は羽仁もと子の信奉者で、クリスチャンの家庭。戦前の右翼思想家・橘孝三郎は、父のいとこに当たる。1942年(昭和17年)、父が文部省職員として北京師範学校副校長となったため、一家で中華民国へ渡る。

1946年引き揚げで日本へ戻り、一時母方の茨城郡那珂西に住み、のちに父の郷里茨城県水戸市に移る。茨城師範学校茨城大学附属小学校中学校を経て、1956年(昭和31年)に水戸一高、さらに千葉県に移ったため東京都立上野高等学校への転入を経る。小学校時代から読書に熱中し、自らの読書遍歴を記した文章を残している[5]。また、中学時代は陸上競技にも熱中。俳優の梅宮辰夫・モータージャーナリストの徳大寺有恒は中学時代の先輩であり、三人とも陸上競技選手だった。

1959年(昭和34年)、東京大学文科二類へ入学。在学中は小説を書き、イギリスで開かれた原水爆禁止世界会議に参加。卒業論文フランス哲学者メーヌ・ド・ビラン

雑誌記者として[編集]

1964年(昭和39年)、東京大学文学部フランス文学科卒業後、文藝春秋に入社[2]岩波書店NHKの試験も受けたが不合格だったという[6]。入社後は希望通り『週刊文春』に配属される。上司に堤尭がいた。先輩記者の導きで、文学青年時代から一転ノンフィクションを濫読して多大な影響を受けるが、もっともやりたくないプロ野球の取材をさせられたことから3年足らずで文藝春秋を退社[7]

1967年(昭和42年)、東京大学文学部哲学科に学士入学。翌68年に東大紛争が勃発し休校となる。

ルポライターとして[編集]

東京大学休校中に、文春時代の仲間の誘いで文筆活動に入りルポライターとして活動を開始する。創刊時の雑誌『諸君!』に「生物学革命」、「宇宙船地球号」、「石油」などをテーマとしてノンフィクションや評論を書く。1968年、「立花隆」のペンネームで文藝春秋増刊号「素手でのし上がった男たち」を発表。『諸君!』の初代編集長田中健五(後の『文藝春秋』編集長)との交友が後の「角栄研究」に繋がる。1969年、『文藝春秋』や『週刊文春』に「60年安保英雄の栄光と悲惨」、「東大ゲバルト壁語録」、「この果てしなき断絶」、「実像・山本義隆秋田明大」などを発表[8]1970年、東大紛争中の学費支払いを巡り大学事務と衝突。東大哲学科を中退。

デビュー作『思考の技術』で、「人間は進歩という概念を盲目的に信じすぎている」として、生態学に学ぶ思考法を披露。現実の自然は常に具体的で、無限に複雑かつ多様で、そこには測定不能のもの、つまり数量化できない要素が満ち満ちている。現実はムダムラに満ち満ちているが、これに対して、人間の作ったものは、ムラなくムダなく、実にスッキリと、合理的にできている。さながら、自然の作るものより、人間の作ったものの方が、はるかに上等なものであるかのように見えるが、これは人間の価値観の狂いにほかならない。理論は常に純粋なものを扱うが、技術はものを現実に操作する必要上、かなり純度の低いものまで扱う。ここで現われてくるギャップが、いわゆる理論実践のギャップであり、技術の面では、公害などの問題として現れる。自然界には、生物個体にも、生物群集にも、さらには生態系全体にも、目に見えないホメオスタシス維持機構が働いている。文明にいちばん欠けているのはこの点で、進歩という概念を、盲目的に信仰してきたがゆえに生まれた欠陥である、とする基本的な考えを発表している[9]

「ガルガンチュア」の看板(右下)(花園交番通り公道上より撮影)

数名の友人と資金を出し合い、新宿ゴールデン街バー「ガルガンチュア立花」をオープンさせた[10]。このバーでは経営だけでなく、バーテンダーとしてカウンターにも立ったが、報道・出版業界の知り合いが客として訪れるようになり「それなりに儲かった」[10] という。編集者の川鍋孝文や映像作家のブリス・ペドロレッティらも、客として通っていた[10]。のちにペドロレッティが新宿ゴールデン街をテーマにしたOV『フェスク・ヴドラ』を撮った際には、バーの店主として出演している[11]。バーを経営していたのは1971年前後だが、店自体は現在も残っている[10]

1972年講談社の川鍋孝文(のちの『週刊現代』編集長)の紹介でイスラエル政府の招待をうけ2週間イスラエルに滞在。招待期間終了後は自費で中東各地、地中海・エーゲ海を中心としたヨーロッパ諸国を放浪する。放浪期間中に偶然テルアビブ事件が発生。東大紛争以後中断していたジャーナリスト活動を現地で再開した。

田中角栄研究[編集]

1974年(昭和49年)10月9日発売の『文藝春秋』11月特別号に、立花の「田中角栄研究〜その金脈と人脈」と、児玉隆也の「淋しき越山会の女王」が掲載される。田中金脈問題として大きな反響を呼び、田中角栄首相退陣のきっかけを作ったとされる(ただし、立花本人は自らのレポートについて、「田中退陣の必要条件の一つであったことは否定できないが、十分条件でなかったことはたしかである」と述べている)[12]。「特集 田中角栄研究」により児玉隆也とともに第36回文藝春秋読者賞を受賞。

文藝春秋は角栄批判から手を引くが(その為単行本は講談社で出された)、その後も発表場所を変え、折に触れて田中の問題を取り上げ、ロッキード事件で田中が逮捕された後は東京地裁での同事件の公判を欠かさず傍聴し、一審判決まで『朝日ジャーナル』誌に傍聴記を連載した。また同誌上で「ロッキード裁判批判を斬る」を連載し、俵孝太郎渡部昇一ら田中角栄擁護論者を「イカサマ論法にして無知」と非難した。なお渡部は後年には、立花のことを評価するコラムを雑誌に発表している[要出典]

また「田中角栄研究〜その金脈と人脈」では、ロッキード事件の「丸紅ルート」、「全日空ルート(これを立花はロッキード事件から独立した「全日空疑獄」であると論じている)」についても詳細な取材、記述を行っている。『朝日ジャーナル』での担当者は筑紫哲也。以後、筑紫の番組に出演するなど公私ともに親交を持つ。なお、1984年には、「田中角栄と私の9年間」で第45回文藝春秋読者賞を受賞した。

田中角栄研究以降[編集]

1976年(昭和51年)には『文藝春秋』に『日本共産党の研究』を連載。これに対して日本共産党側が組織的な反立花キャンペーンを展開して反論し、大論争に発展する。なお、立花自身は後年、この時の大論争によって学習・論争能力が鍛えられ、上記のロッキード裁判での田中擁護論者との論争に役立ったと述べている。また、「総合商社」、「農協」、「中核革マル」、脳死問題などの究明を行う。また、『諸君!』時代に書いていたサイエンス関係のテーマにも手を広げ、1981年には『中央公論』に「宇宙からの帰還」を発表。平凡社アニマ』に連載された「サル学の現在」、ノーベル賞受賞者利根川進との対談『精神と物質』、『科学朝日』に連載された「サイエンス・ナウ」「電脳進化論」「脳を究める」、などのテーマを手がける。また、NHKやTBSなどにおいてドキュメンタリー番組制作にも携わり、連動した臨死体験などの著作もある。これらにより、1983年菊池寛賞1998年司馬遼太郎賞をそれぞれ受賞。

1995年スタジオジブリの長編アニメーション作品『耳をすませば』で主人公の父親役を演じた。同年、東京大学先端科学技術研究センター客員教授に就任。1996年 - 1998年、東京大学教養学部で「立花ゼミ」を主催。ゼミは2005年に再開され、現在も続いている。この時期にも、「画家香月泰男」関連など様々な形でNHKなど放送メディアに出演した。2002年12月25日に大きな大腸ポリープS字結腸に発見され切除するが、癌化を疑い自らを被写体として健康状態の患者からポリープが発見され切除、がんかどうかの病理検査、診断、告知までのドキュメンタリー番組の制作をNHKに提案。NHK側も同意して撮影開始。このとき、約束をしながら果たしていないことが7つほどあると判明。簡単には死ねないと感じる。いちばんの大仕事は1998年から連載していた『わたしの東大論』を本にする仕事であった。1999年頃には前妻が末期がんに侵され、彼女の依願で病院に同行を繰り返したりするが、1年間の闘病の末2000年に死去。この頃よりがんへの関心を深める。

2005年東京大学大学院総合文化研究科特任教授に就任。2007年東京大学大学院情報学環特任教授、立教大学大学院特任教授に就任。同年12月に膀胱癌の手術を受け、『文藝春秋』2008年4月号に手記「僕はがんを手術した」を発表。

2009年11月27日鳩山由紀夫内閣事業仕分けで大型研究プロジェクトに交付される特別教育研究経費が予算要求の縮減と判定されたのを受けて、全国各地の国立研究所長らと共に東京大学で記者会見を開き、「民主党は日本をつぶす気か」と仕分け結果を非難した。「資源小国の日本は科学技術による付加価値で生きていくしかない」と指摘した上で、「目の前で起きている出来事を見て怒りに震えている」と話した。作業風景の印象について「訳のわからない人たちが訳のわからないことを論じている」と評し、仕分け人を「バーバリアン(野蛮人)」と形容した[13]

ドキュメンタリー番組『旧友再会』(NHK)にて、梅宮辰夫と出演し、かつての住まい茨城県水戸市を訪問。2014年『読書脳 ぼくの深読み300冊の記録』で第68回毎日出版文化賞書評賞受賞。2016年『武満徹・音楽創造への旅』で吉田秀和賞受賞。

2021年4月30日急性冠症候群のため死去。80歳没。訃報は6月23日になって主要メディアで報じられた[14]

人物[編集]

  • 幼少期より人のの問題に関心を持ってきた。あるいは人間存在の本質に興味を抱き続けてきた。立花自身は次のように述懐している。「人生というのは、いつでも予期せぬことに満ち満ちている。計画など立てたところで、計画通りの人生など生きられるはずがないのである。もし自分の計画通りの人生を生きた人がいるとしたら、それはたぶん、つまらない人生を生きた人なのだ…(略)」[15]
  • 脳研究に尋常ならぬ興味を抱き脳関係の著書も多いが、その理由のひとつとしてより良い頭の使い方というものが存在して、それを習得することで自分の知的生産能力が向上するのではという実用的、功利的な興味があった[2]
  • 臨死体験脳死異常性格者、超能力などを科学的な視点から論じることで、一部の者からオカルト主義者との評価が生まれた。
  • 知りたいという根源的欲求は人間にとって性欲食欲と並ぶ重要な本能的欲求であると位置づけ、その強い欲求人類文化を進歩させ科学を発達させた根源的動因と考える。「知の巨人」のニックネームでも知られている[2]
  • 猫好きで、東京都文京区小石川に「猫ビル」(巨大な猫の顔が壁に描かれている)の別名で呼ばれる地上三階地下一階建の事務所兼書庫を保有。数万冊にも上る蔵書を抱える。地下にはワインセラーを設置しており、無類のワイン好きである。猫ビルについては、妹尾河童が『ぼくはこんな本を読んできた』で図解で紹介している。また、猫ビルはNHK『探検バクモン』でも紹介された。
  • 兄は朝日新聞社監査役を務めた橘弘道(たちばな ひろみち、1938年 - )。
  • KEKへの取材を続けている[16]
  • 1995年公開のジブリ作品『耳をすませば』で声の出演をしている(主人公の父・月島靖也[17]役)

エピソード[編集]

  • 週刊文春』の記者時代、プロ野球にだけは全く興味が無いため、その関係の仕事だけはさせないでほしいと宣言したが、「あの野郎は生意気だ」ということで、見せしめにプロ野球の取材を1週間させられたことから、退社する決意を固めた。自分がやりたくもないことを上司の命令というだけでやらねばならない事実に我慢ができなかった。現在もプロ野球には一切関心はなく「なぜあんなものに多くの人が夢中になれるのか全く理解できない」と自著[要文献特定詳細情報]に記している。
  • 漫画家赤塚不二夫と『週刊プレイボーイ』で対談したが、初対面ながら共に、満州から引き揚げ出身でもあり意気投合している。立花自身それなりに面白い体験だったと自著に記している[18]
  • 中華人民共和国北京大学で特別講義を行なって、中国経済を「躍動する経済」と評価している。

批判[編集]

  • 科学関連の仕事は、文系と理系のクロスオーバーとして評価されているが、自己満足でしかないという批判も受けている[19]
  • 講談社から出版された『文明の逆説―危機の時代の人間研究』における、「だいたい女は男にくらべて脳細胞の数が少ないせいか(中略)浅はかさと愚かしさをもってその身上とし」「多淫な女、複数の男性を望む女は例外なく冷感症、不感症」「女性が真に解放されたいと望むなら、早くオルガスムスを味わわせてくれる男を見つけることだ」といった立花の記述に対し、右派の評論家日垣隆は「男根主義」と皮肉った[20]
  • ライブドア前社長堀江貴文は、「堀江被告の保釈・幕引きで闇に消えたライブドア事件」(2006年5月10日)の記事で暴力団と関係があるように書かれたとして、立花と「日経BPネット」を運営する日経BP社を相手取って5000万円の損害賠償請求訴訟を起こした[21]。2008年10月3日、東京地裁は、「記事の内容は真実と認められない」として、立花らに200万円の支払いを命じた[22]
  • 2007年2月21日付の「日経BPネット」に、「政権の命取りになるか 安倍首相の健康問題」として、「安倍首相は紙オムツを常用せざるをえない状態」「安倍一族は短命の家系。一族の墓誌を丹念に調べた人の報告によると、40代50代で死んでいる人が沢山」などと記述し、「J-CASTニュース」は、それに対する安倍事務所の怒りの声と、ネット掲示板2ちゃんねる上の立花批判の書き込みを取り上げている[23]
  • 自民党の鳩山邦夫の元秘書であったジャーナリスト上杉隆は、小沢一郎民主党幹事長の政治資金問題を挙げ、立花が検察や小沢や民主党など事件当事者への取材を一切行わず、新聞・テレビの報道や過去の経験を基に憶測で記事を書いている点、更には、10年以上永田町で取材を行っていない点などを批判した。
  • 日本共産党は、著書『日本共産党の研究』などに対し「戦前の特高警察検察が弾圧に使った資料を用いてのでっち上げ」と激しく非難している[24]

教育・執筆・講演活動[編集]

  • 2010年2月現在、東京大学大学院情報学環特任教授、立教大学21世紀社会デザイン研究科特任教授、大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員も務める。
  • 文系や理系などの垣根を乗り越え、学問の総合・融合・全体像という俯瞰的な視点から、その時代の最先端科学の現場へ足を運んで取材し、一般市民でも理解できるような執筆・出版・ネット発信活動を行ってきた。
  • 宇宙飛行士の野口聡一は高校3年生のときに立花の著書『宇宙からの帰還』を読み、宇宙飛行士になる決心をした[25]。2005年12月、野口・立花の対談が実現[26]
  • 2007年に膀胱癌が見つかってから、をテーマにした執筆・講演活動が増えた。
  • ほぼ毎年行われている自然科学研究機構シンポジウムに、プログラムコーディネータとして参加している。
第1回 「見えてきた!宇宙の謎。生命の謎。脳の謎。」
第2回 「爆発する光科学の世界 量子から生命体まで」
第3回 「生物の生存戦略 われわれ地球ファミリーは いかにして ここに かくあるのか」
第4回 「宇宙の核融合・地球の核融合」
第5回 「解き明かされる脳の不思議 脳科学の未来」
第6回 「宇宙究極の謎 暗黒物質、暗黒エネルギー、暗黒時代」
第7回 「科学的発見とは何かー『泥沼』から突然『見晴らし台』へ」
第8回 「脳が諸学を生み、諸学が脳を統合する」
第9回 「ビックリ4Dで見るサイエンスの革新」
第10回 「多彩な地球の生命-宇宙に仲間はいるのか」
第11回 「宇宙と生命-宇宙に仲間はいるのかII」
第12回 「知的生命の可能性-宇宙に仲間はいるのかIII」

著作[編集]

※文庫版は版元や巻数が、単行初版と同一の場合は記述省略
  • 『素手でのし上がった男たち』番町書房 1969
  • 『思考の技術』日経新書 1971、中公文庫 1990、中公新書ラクレ 2020
  • 『日本経済・自壊の構造』日本実業出版社 1973。菊入龍介名義
  • 中核 vs 革マル』全2巻 講談社 1975、講談社文庫 1983
  • 『田中角栄研究』講談社 1976(のち新版+文庫 全2巻)
  • 『文明の逆説 危機の時代の人間研究』講談社 1976(のち文庫)
  • 日本共産党の研究』講談社 全2巻 1978(のち文庫 全3巻)。第1回講談社ノンフィクション賞受賞
  • 『ジャーナリズムを考える旅』文藝春秋 1978(のち「アメリカジャーナリズム報告」文庫)
  • 『アメリカ性革命報告』文藝春秋 1979(のち文庫)
  • 『農協』朝日新聞社 1980(のち朝日文庫
  • 『ロッキード裁判傍聴記』全4巻、朝日新聞社 1981〜85(のち「ロッキード裁判とその時代」文庫)
  • 『田中角栄いまだ釈明せず』朝日新聞社 1982(のち「田中角栄新金脈研究」文庫)
  • 『宇宙からの帰還』中央公論社 1983、中公文庫 1985 新版2020
  • 『「知」のソフトウェア』講談社現代新書 1984
  • 『青春漂流』清家冨夫(写真) 講談社スコラ 1985 (のち文庫)
  • 『論駁 ロッキード裁判批判を斬る』全3巻 朝日新聞社、1985-86(のち文庫)
  • 『脳死』中央公論社 1986(のち文庫)
  • 『脳死再論』中央公論社 1988(のち文庫)
  • 『同時代を撃つ 情報ウオッチング』全3巻、講談社 1988-90(のち文庫)
  • 『サイエンス・ナウ』朝日新聞社 1991(のち文庫)
  • 『サル学の現在』平凡社 1991(のち文春文庫 全2巻)
  • 『脳死臨調批判』中央公論社 1992(のち文庫)
  • 『電脳進化論 ギガ・テラ・ペタ』朝日新聞社 1993(のち文庫)
  • 『巨悪 vs 言論』文藝春秋 1993(のち文庫 全2巻)
  • 臨死体験』文藝春秋(全2巻)1994(のち文庫)
  • 『ぼくはこんな本を読んできた』文藝春秋、1995(のち文庫)
  • 『インターネット探検』講談社、1996
  • 『脳を究める』朝日新聞社、1996(のち文庫)
  • 『立花隆の同時代ノート』講談社、1997
  • 『インターネットはグローバル・ブレイン』講談社、1997
  • 『立花隆・100億年の旅』朝日新聞社、1998(のち文庫)
  • 『100億年の旅2 宇宙・地球・生命・脳 その原理を求めて』朝日新聞社、1999(のち文庫)
  • 『100億年の旅3 脳とビッグバン』朝日新聞社、2000(のち文庫)
  • 『人体再生』中央公論新社、2000(のち文庫)
  • 『21世紀 知の挑戦』文藝春秋、2000(のち文庫)
  • 『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本』文藝春秋、2001(のち文庫)
  • 『東大生はバカになったか 知的亡国論+現代教養論』文藝春秋、2001(のち文庫)
  • 『解読「地獄の黙示録」』文藝春秋、2002(のち文庫)
  • 『「田中真紀子」研究』文藝春秋、2002(のち「政治と情念」文庫)
  • 『「言論の自由」VS.「●●●」』文藝春秋、2004
  • 『イラク戦争・日本の運命・小泉の運命』講談社、2004
  • 『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』[27]文藝春秋、2004
  • 『思索紀行 ぼくはこんな旅をしてきた』書籍情報社、2004、ちくま文庫(全2巻)、2020
  • 『エーゲ 永遠回帰の海』須田慎太郎(写真)、書籍情報社、2005、ちくま文庫、2020
  • 『天皇と東大 大日本帝国の生と死』文藝春秋(全2巻)、2005、文庫(全4巻)2012-13
  • 『滅びゆく国家 日本はどこへ向かうのか』日経BP、2006
  • 『ぼくの血となり肉となった500冊 そして血にも肉にもならなかった100冊』文藝春秋、2007
  • 『小林・益川理論の証明 陰の主役Bファクトリーの腕力』朝日新聞出版、2009
  • 『立花隆の書棚』薈田純一(写真)、中央公論新社、2013
  • 『自分史の書き方』講談社、2013、講談社学術文庫、2020
  • 『読書脳 ぼくの深読み300冊の記録』文藝春秋、2013、文庫 2016
  • 『四次元時計は狂わない 21世紀文明の逆説文春新書、2014
  • 『死はこわくない』文藝春秋、2015、文庫 2018
  • 武満徹 音楽創造への旅』文藝春秋、2016
  • 『「戦争」を語る』文藝春秋、2016
  • 『知的ヒントの見つけ方』文春新書、2018
  • 『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』文春新書、2020。口述での回想
  • 『サピエンスの未来』講談社現代新書、2021

対談・編著・共著[編集]

9つの討論会の司会を務め、「現代人における<遊び>の構造」を執筆
  • 『われらが青春―安東仁兵衛対談集』現代の理論社 1979
安東仁兵衛が立花や、吉村昭坂本義和柴田翔丸山真男と対談集
利根川進へのインタビュー・編著 (第4回新潮学芸賞受賞)
  • 『ランダムな世界を極める』米沢冨美子との対話、三田出版会 1991、平凡社ライブラリー 2001
  • 『脳死 NHKスペシャルNHK取材班と共編著、日本放送出版協会 1991
  • 『宇宙よ』 秋山豊寛との対話、文藝春秋 1992(のち文庫 全2巻)
  • 『マザーネイチャーズ・トーク』新潮社 1993(のち文庫) 8人との対話集
  • 『生、死、神秘体験 対話篇』書籍情報社 1994(講談社文庫 2007) 10人との対話集
  • 『宇宙を語る 立花隆・対話篇』書籍情報社、1995(中公文庫 全2巻 2007) 7人との対話集、文庫化で講演記録を増補
  • 『証言・臨死体験』文藝春秋 1996(のち文庫) インタビュー集
  • 埴谷雄高 生命・宇宙・人類』角川春樹事務所 1996 インタビューほか
  • 『無限の相のもとに』埴谷雄高との対話、平凡社 1997
  • 『立花隆のすべて』文藝春秋 1998(のち文庫 全2巻) インタビューほかの編著
  • 『環境ホルモン入門』東京大学・立花隆ゼミ編、新潮社、1998
  • 『サイエンス・ミレニアム』中央公論新社 1999(のち文庫) 科学者との対話集
  • 『二十歳のころ』東大立花ゼミ編、新潮社 1998。68名へのインタビュー編著
  • 『東大講義 人間の現在1 脳を鍛える』 新潮社、2000(のち文庫) 編著
  • 『新世紀デジタル講義』 新潮社、2000(のち文庫) 編著
  • 『立花隆「旧石器発掘ねつ造」事件を追う』朝日新聞社、2001 編著
  • 『読む力・聴く力』 河合隼雄谷川俊太郎との対話、岩波書店、2006、岩波現代文庫、2015
  • 南原繁の言葉』東京大学出版会、2007 編者代表
  • 戸塚洋二 がんと闘った科学者の記録』文藝春秋、2009 共編著
  • 『ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊』 佐藤優との対話、文春新書、2009
  • 『がん 生と死の謎に挑む NHKスペシャル』 NHK取材班 文藝春秋 2010、番組DVD付き、のち文庫(DVDはなし)
  • 『二十歳の君へ 16のインタビューと立花隆の特別講義』 東大立花ゼミ編、文藝春秋 2011
  • 『立花隆の「宇宙教室」 「正しく思考する技術」を磨く』岩田陽子、日本実業出版社 2014
以下は論考寄稿(主に青少年向け)

翻訳[編集]

  • 『アメリカ人の雑学おもしろ小百科』バリー・ターシス(講談社 1984)
  • 『バーバラ・ハリスの臨死体験』ライオネル・バスコム共著(講談社 1993、講談社+α文庫 1998)
  • アポロ13号奇跡の生還』ヘンリー・クーパーJr(新潮社 1994、新潮文庫 1998)

脚注[編集]

  1. ^ 上原佳久 (2018年5月30日). “上り坂への郷愁、今なお 立花隆「田中角栄研究」”. 好書好日. https://book.asahi.com/article/11579000 2020年8月2日閲覧。 
  2. ^ a b c d 立花隆『脳を究める』(2001年3月1日 朝日文庫
  3. ^ がんサポート - がん闘病中の「知の巨人」VS「がん検診の伝道師」 がん徹底対論、立花 隆(評論家) × 中川恵一(東京大学病院放射線科准教授)”. 2020年9月18日閲覧。
  4. ^ NHKスペシャル 立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む”. 2020年9月18日閲覧。
  5. ^ 『ぼくはこんな本を読んできた』[要ページ番号]
  6. ^ (人生の贈りもの)わたしの半生 朝日新聞2016年4月6日夕刊
  7. ^ “分野も時間も軽々越えた「知の巨人」 立花隆さんが残したもの”. 毎日新聞. (2021年6月23日). https://mainichi.jp/articles/20210623/k00/00m/040/018000c 2021年6月23日閲覧。 
  8. ^ 『立花隆のすべて (下)』文春文庫[要ページ番号]
  9. ^ 「文明のベクトルは速度を上げながら破局に向かっている」人類は自然をもっと恐れるべきだ”. PRESIDENT ONLINE (2020年9月3日). 2021年4月4日閲覧。
  10. ^ a b c d 立花隆「フランス・ユマニスムの精神」『文藝春秋』94巻9号、文藝春秋2016年6月1日、77頁。
  11. ^ 立花隆「フランス・ユマニスムの精神」『文藝春秋』94巻9号、文藝春秋2016年6月1日、78頁。
  12. ^ 真山仁『ロッキード』2021年1月、文藝春秋
  13. ^ リアルスポーツ(2009年11月28日)
  14. ^ “ノンフィクション作家 立花隆さん死去”. NHK NEWSWEB(首都圏). NHK. (2021年6月23日). https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210623/1000066142.html 2021年6月23日閲覧。 
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  18. ^ 『赤塚不二夫の「これでいいのだ!!」人生相談』(集英社、1995年)
  19. ^ 『立花隆先生、かなりヘンですよ - 「教養のない東大生」からの挑戦状』谷田和一郎著(洋泉社 2001年11月)
  20. ^ 『通販な生活 一生を1ギガで終えないための買い物学』(講談社 2008年4月)
  21. ^ “堀江氏が立花隆さんを提訴”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2007年8月24日). オリジナルの2007年8月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070826141002/http://www.daily.co.jp/newsflash/2007/08/24/0000566773.shtml 2020年11月16日閲覧。 
  22. ^ 立花のコラムについて堀江被告、立花氏に勝訴=コラムの名誉棄損認定-東京地裁[リンク切れ] 時事通信 2008/10/03-19:36
  23. ^ “首相は「紙オムツ常用」状態!? 立花隆の超過激コラム”. J-CASTニュース (株式会社ジェイ・キャスト). (2007年2月26日). https://www.j-cast.com/2007/02/26005786.html 2020年11月16日閲覧。 
  24. ^ 闇から出てきた亡霊 立花隆氏の新版“日共”批判をきる
  25. ^ 野口聡一 宇宙飛行士”. 宇宙ステーションキッズ. JAXA|宇宙航空研究開発機構. 2020年11月16日閲覧。
  26. ^ 『宇宙を語るI 宇宙飛行士との対話』(中公文庫)
  27. ^ 元版は立花が代筆した、香月泰男『私のシベリヤ』文藝春秋 1970 のち筑摩叢書。没後の新版で明らかにした。

参考文献[編集]

  • 文藝春秋編『立花隆のすべて』(文藝春秋、1998年 ISBN 4-16-353810-0 / 文春文庫 上下、2001年)ISBN 4-16-721776-7 / ISBN 4-16-721777-5
  • 佐藤進『立花隆の無知蒙昧を衝く 遺伝子問題から宇宙論まで』(社会評論社、2000年、増補改訂版2001年)ISBN 4-7845-0608-X
  • 谷田和一郎『立花隆先生、かなりヘンですよ 「教養のない東大生」からの挑戦状』(洋泉社、2001年 ISBN 4-89691-580-1 / 宝島社文庫、2002年)ISBN 4-7966-2840-1
  • 別冊宝島編集部『立花隆「嘘八百」の研究』(宝島社、2001年)ISBN 4-7966-2556-9 / 宝島社文庫、2002年)ISBN 4-7966-2781-2
  • 佐々木千賀子『立花隆秘書日記』(ポプラ社、2003年)ISBN 4-591-07659-8。秘書による日々のドキュメント
  • CD『慶應MCC夕学セレクション 立花隆「科学ニッポン最前線」』(日本音声保存、2008年)

関連人物・関連項目[編集]