笑福亭梅香

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笑福亭 梅香(しょうふくてい ばいか)は、上方落語名跡。現在は空き名跡となっている。なお「梅香」の名跡には、他に桂梅香がある。明治から大正にかけての番付に「梅香」の名はよく見られるが、一体、何人の梅香がいたのか、詳細は不明である。本項では桂梅香についても詳細。

代々の梅香[編集]

  1. 笑福亭梅香生没年不詳)は、安政頃、素噺で有名だった林家正三に対抗し、鳴物入り茶屋噺で評判を取ったという。その他の詳細不明。
  2. 笑福亭梅香1819年 - 1874年4月2日)は、後の初代桂文枝
  3. 笑福亭梅香1842年10月15日 - 1923年7月2日)は、後の初代桂文之助2世曽呂利新左衛門
  4. 笑福亭梅香(? - 1899年8月2日)は、初め2代目笑福亭松鶴門下で、九鶴、梅香を名乗る。後に東京へ移り、4代目三遊亭圓生門下で三遊亭海老丸を名乗る。本名は梅谷清兵衛。享年未詳。『落語系圖』では、この「海老丸の梅香」と次代「呑んだの梅香」を混同しているようである。
  5. 笑福亭梅香1855年 - 1912年秋)は、本名: 飛呂秀吉。享年未詳。1872年1873年頃に初代桂梅枝の門で梅寿(梅壽)、桂文昇(代数不明、初代ないし2代目)の門で文車(文舎とする史料もある)、1887年3代目松鶴の門で円光(圓光)を経て、1904年に3代目梅香を襲名。俗に「呑んだの梅香」と言い大酒呑みだった事が伺える。三友派の幹部として活躍するが、1912年秋には没していた。得意ネタには「しんこや新兵衛」「雑穀八」「猿後家」などがあった。
  6. 笑福亭梅香明治2年 - ?)は、明治20年代に3代目松鶴門下で、初代光鶴1896年ごろに松助(松輔)、1907年3代目笑福亭圓笑門下で鱗史、1910年4代目松鶴門下で呂角を経て、1920年ごろに梅香を襲名。松助時代から幇間に転じるなど動向が不安定、得意ネタは「虱茶屋」「蜜柑屋」「胴取り」などの即席噺を好んで演じていた。1928年に「桑名船」をラジオで演じている。以降消息不明。本名は檀辻光蔵。享年不詳。互楽派時代に最も活躍したという。

余談[編集]

遥か後の話ではあるが、6代目笑福亭松鶴の遺言には、笑福亭鶴瓶が「梅香」の名を継ぐようにと書かれてあったが、名前が似合っていないことや、「梅」の字を「うめ」、「香」の字を「こう」と読み間違えられると近畿方言で言う卑猥な言葉と似たになってしまうという理由などから、現在に至るも襲名はされていない。

出典[編集]

  • 『古今落語系図一覧表(文之助系図)』(日本芸術文化振興会、2004年)
  • 『落語系圖』(月亭春松編)
  • 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)

関連項目[編集]