第九号駆潜艇

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第九号駆潜艇
復員庁特別輸送艦 駆潜第九号 (特別保管艦に指定後 1946年または1947年)
復員庁特別輸送艦 駆潜第九号
(特別保管艦に指定後 1946年または1947年)
基本情報
建造所 三菱重工横浜船渠
運用者  大日本帝国海軍
Flag of Japan.svg 第二復員省/復員庁
Flag of the Republic of China.svg 中華民国海軍
艦種 駆潜艇(日本海軍/第二復員省)
特別輸送艦(第二復員省/復員庁)
駆潜艦[注釈 1](中華民国海軍)
級名 第一号型駆潜艇
建造費 1,579,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 第三次海軍軍備補充計画
起工 1938年5月10日
進水 1838年10月15日
竣工 1939年5月9日
除籍 1945年12月20日(日本海軍)
1947年10月3日(復員庁)
1955年3月16日(中華民国海軍)
その後 1956年解体
要目(竣工時)
基準排水量 291トン
全長 56.20m
最大幅 5.60m
吃水 2.10m
機関 艦本式22号6型ディーゼル2基
推進 2軸
出力 2,600hp
速力 20.0ノット
燃料 重油 20トン
航続距離 14ノットで2,000カイリ
乗員 定員59名
兵装 40mm連装機銃1基
九四式爆雷投射機2基
爆雷36個
搭載艇 短艇2隻
ソナー 九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
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第九号駆潜艇[注釈 2](だいきゅうごうくせんてい)は、日本海軍駆潜艇。普遍的には第四号型駆潜艇の6番艇とされているが、海軍省が定めた特務艇類別等級および艦艇類別等級では第一号型駆潜艇の9番艇。

戦後は特別輸送艦として使用され、賠償艦として中華民国に引き渡された。

艇歴[編集]

マル3計画の300トン型駆潜艇、仮称艦名第69号艦として計画。1938年5月10日、三菱重工業株式会社横浜船渠で建造番号304番船[1]として起工。9月20日、第九号駆潜艇と命名され、特務艇/駆潜艇/第一号型の9番艇に定められる。10月15日、進水。1939年5月9日竣工し、大湊防備隊附属に編入。

1940年11月15日、艦艇類別等級と特務艇類別等級の改正により、特務艇の駆潜艇から艦艇の駆潜艇となり、本籍を呉鎮守府に定められる。同日、第7号駆潜艇第8号駆潜艇、本艇の3隻で第十一駆潜隊を新編し、第二艦隊第十一根拠地隊に編入。

1941年4月10日、第十一駆潜隊は第三艦隊第一根拠地隊に編入。以後1941年9月まで断続的に中国大陸沿岸で監視哨戒にあたる。10月31日、第十一駆潜隊は南遣艦隊第九根拠地隊に編入され、軍隊区分根拠地部隊に配される。11月中旬、海南島三亜に集結。太平洋戦争の緒戦ではマレー半島上陸船団を護衛し、コタバルシンゴラパタニで行動。12月16日から21日まで、軍隊区分馬来部隊護衛隊に編入されマレー半島南部の上陸作戦と護衛に従事。

1942年1月11日、軍隊区分馬来部隊第一護衛隊に編入され、プロコンドルに回航。23日までエンドウ上陸部隊の護衛に従事。26日から29日までアナンバス諸島の攻略に従事。3月5日、軍隊区分馬来部隊第二護衛隊に編入され、スマトラ島ラブハンルク、イディの各上陸作戦に従事。以後、蘭印作戦マラッカ海峡の啓開、アンダマン諸島の攻略などに従事。

5月19日、朝日を護衛しシンガポールを出発。26日、朝日が撃沈され溺者救助にあたる。7月18日、第十一特別根拠地隊に編入され、以後は第一南遣艦隊隷下の根拠地隊や特別根拠地隊間での異動を繰り返しつつ南西方面での護衛と哨戒に従事。

1945年1月7日、特設運送船利水丸を第7号駆潜艇とともに護衛しカーニコバル発。ペナンへ向け航行中の11日0406時、ペナン南東で潜航中の潜水艦を発見し爆雷を投下した。やがて現場付近には油が浮き、それは幅100m、長さ約7kmにわたった。これはイギリス潜水艦ポーパスのものと考えられている[注釈 3]。当時は第十五根拠地隊がマラッカ海峡での対潜掃蕩作戦(M五作戦)を実行中で、同日0957時には第三三一海軍航空隊天山がペナン西方100カイリの地点で浮上中の潜水艦を爆撃し、潜水艦は潜航したが多量の重油が海面に浮かんだことを確認した。この爆撃を受けた潜水艦と第9号駆潜艇が爆雷攻撃をした潜水艦とが同一艦かどうかは判明していない[注釈 3]。なおポーパスは、1月16日に喪失認定された。

3月5日、ヒ88I船団(7隻)を第33号駆潜艇、立石と護衛しシンガポール発。15日サンジャック着。19日サンジャックを出港したが、21日までに潜水艦と空襲により全ての油槽船を撃沈され、本艇も損傷し柳田駆潜艇長が戦死した。残された護衛艦艇はナトランに退避した。27日にヒ88J船団と合流し28日出発したが、29日までに船団は全滅し、護衛艦艇は三亜に退避。31日、香港に回航。4月4日から5日までホモ03船団を護衛。7月、内海西部に到着し、終戦時は呉に所在。

開戦後、第十一駆潜隊には第34号駆潜艇と第35号駆潜艇が編入され最盛期には5隻で編制されていたが、本艇以外の4隻は1945年2月から4月までの間に撃沈され、終戦時点で残存していたのは本艇だけで、駆潜隊司令も第8号駆潜艇の戦没時に戦死し欠員の状態だった。

12月20日、第九号駆潜艇は第十一駆潜隊から削除され、帝国駆潜艇籍から除かれた。同日付で呉地方復員局所管の特別輸送艦に定められ、艦名を駆潜第九号とし、復員輸送に従事。

中華民国海軍駆潜艦 閩江

1946年7月27日、特別保管艦に指定され佐世保で繋留。

1947年3月25日、所管を佐世保地方復員局に改められる。10月3日、特別輸送艦の定めを解かれ、賠償艦として青島中華民国に引き渡された。

中華民国に引き渡し時は接31号と仮称されたが、後に海大と命名され、日本海軍の武装を施し第一海防艦隊に編入。台湾脱出後の1951年1月、左営で整備と再武装を行い艦名を富陵(PC-107)に改名。1954年、艦名の命名法則の統一のため艦名を閩江に改名した。1955年3月16日に除籍され、翌年に解体された。

第九号駆潜艇長/駆潜第九号艦長[編集]

艤装員長
  1. 石西壽彦 少佐:1939年2月20日 - 1939年5月9日
駆潜艇長[注釈 4]/艦長
  1. 河原政頼 予備大尉:駆潜艇長 1940年11月15日 - 1941年5月15日
  2. 仁科俊郎 予備大尉/大尉:1941年5月15日 - 1943年10月20日
  3. 小寺藤治 大尉/少佐:1943年10月20日 - 1945年1月10日
  4. 柳田勉 大尉:1945年1月10日 - 1945年3月21日 戦死、同日付任海軍少佐。以後7月5日まで駆潜艇長の発令無し。
  5. 蔵重恒雄 大尉:1945年7月5日 - 1945年9月1日[注釈 5]
  6. 西垣英夫 第二復員官:艦長 1946年1月10日[2] - 退任年月日不明
  7. 廣松照房 復員事務官[注釈 6]:就任年月日不明 - 1947年9月20日
  8. 佐藤百太郎 復員事務官:1947年9月20日 - 1947年10月3日[注釈 7]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 英語のSubmarine chaserは、中国語では猟潜艦、または駆潜艦と表記される。
  2. ^ 本来の艇名表記は第九號驅潛艇(1945年12月20日以降は驅潛第九號)。
  3. ^ a b 月刊シーパワー 1985年10月号の記述による。
  4. ^ 昭和15年11月15日付 達 第256号による艦船職員服務規程第1条の改正で駆潜艇長が新設されるまでは、本艇に限らず駆潜艇の艇長は公式には存在しない。
  5. ^ 充員召集を解除されたことによる自動解職。
  6. ^ 現在公開中の海軍辞令公報、第二復員省辞令公報および復員庁第二復員局辞令公報では、廣松艦長の就任発令は確認できないため、官職(階級)は退任時のものを記す。
  7. ^ 昭和21年7月1日付 復二第67号の定めによる自動解職。
脚注
  1. ^ 『新造船建造史』、p. 126。
  2. ^ 昭和21年2月2日付 第二復員省辞令公報 甲 第50号。

参考文献[編集]

  • 海軍省
    • 昭和12年7月20日付 内令第347号。
    • 昭和13年9月20日付 達第145号、内令第807号。
    • 昭和15年11月15日付 達第256号、内令第836号。
    • 昭和14年2月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第303号。
    • 昭和14年5月10日付 海軍辞令公報 (部内限) 第333号。
    • 昭和15年11月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第555号。
    • 昭和16年5月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第638号。
    • 昭和18年10月22日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1244号。
    • 昭和20年1月17日付 秘海軍辞令公報 甲 第1695号。
    • 昭和20年7月13日付 秘海軍辞令公報 甲 第1855号。
    • 昭和20年8月26日付 秘海軍辞令公報 甲 第1896号。
    • 第十一駆潜隊司令 第十一駆潜隊機密第8号『第十一駆潜隊支那事変第九回功績概見表』。
    • 第十一駆潜隊司令 第十一駆潜隊機密第8号ノ2『第十一駆潜隊支那事変第九回功績概見表』。
    • 第十一駆潜隊司令 第十一駆潜隊機密第8号ノ17『第十一駆潜隊支那事変第十回功績概見表』。
    • 第九根拠地隊戦時日誌。
    • 第九特別根拠地隊戦時日誌。
    • 第十五根拠地隊戦時日誌。
    • 内令提要 「艦船要目公表範囲別表」。
  • 第二復員省
    • 昭和20年12月20日付 内令第12号、内令第14号、内令第15号、内令第16号、官房人第19号。
    • 昭和21年2月2日付 第二復員省辞令公報 甲 第50号。
    • 昭和21年5月24日付 第二復員省辞令公報 甲 第140号。
  • 復員庁第二復員局
    • 昭和21年7月1日付 復二第67号。
    • 昭和21年9月1日付 復二第230号。
    • 昭和22年3月25日付 復二第203号。
    • 昭和22年10月3日付 復二第751号。
    • 昭和22年10月2日付 復員庁第二復員局辞令公報 第60号。
  • 月刊シーパワー No. 31 1985年10月号、株式会社シーパワー、1985年。
  • 駒宮真七郎 『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9
  • 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
  • 『新造船建造史』、三菱重工業株式会社横浜製作所、1988年。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 防衛研修所戦史室 『戦史叢書
    • 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、朝雲新聞社、1969年。
    • 第39巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(4) -第三段作戦前期-』、朝雲新聞社、1970年。
    • 第46巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(6) -第三段作戦後期-』、朝雲新聞社、1971年。
    • 第71巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(5) -第三段作戦中期-』、朝雲新聞社、1974年。
    • 第77巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(3) -昭和十八年二月まで-』、朝雲新聞社、1974年。
    • 第80巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(2) -昭和十七年六月まで-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル潮書房
    • No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、1981年。
    • No. 111 太平洋戦争海空戦シリーズ 『終戦時の帝国艦艇』、1986年。
  • 歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol. 51 『真実の艦艇史2』、学習研究社、2005年。ISBN 4-05-604083-4