第二十一号掃海艇

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第二十一号掃海艇
戦後の第二十一号掃海艇 (1945年9月16日 青島)
戦後の第二十一号掃海艇
(1945年9月16日 青島
基本情報
建造所 播磨造船所
運用者  大日本帝国海軍
Flag of Japan.svg 第二復員省/復員庁
艦種 掃海艇(日本海軍)
特別輸送艦(第二復員省/復員庁)
級名 第七号型掃海艇(1942年1月)
第十九号型掃海艇(1942年4月)
建造費 2,660,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 第四次海軍軍備充実計画
起工 1941年9月20日
進水 1942年2月28日
竣工 1942年6月30日
最期 1947年10月7日実艦的として処分
除籍 1945年10月25日(日本海軍)
1947年10月1日(復員庁)
要目(竣工時)
基準排水量 648トン
公試排水量 755トン
全長 72.50m
水線長 71.30m
垂線間長 67.30m
最大幅 7.85m
深さ 4.65m
吃水 2.61m
ボイラー ロ号艦本式水管缶(混焼)2基
主機 艦本式衝動型単流タービン[注釈 1]2基
推進 2軸
出力 3,850hp
速力 20.0ノット
燃料 石炭105トン、重油 40トン
航続距離 14ノットで2,000カイリ
乗員 竣工時定員107名[1][注釈 2]
兵装 45口径十一年式12cm単装砲 3基
25mm機銃 連装1基
九四式爆雷投射機1基
爆雷36個
大掃海具6組
搭載艇 短艇3隻
ソナー 九三式水中探信儀3型1基[注釈 1]
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第二十一号掃海艇 (だいにじゅういちごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇第十九号型掃海艇の3番艇。同型17隻中、戦後まで残存した2隻のうちの1隻。

艇歴[編集]

マル4計画の700トン型掃海艇、仮称艦名第166号艦として計画。1941年9月20日、株式会社播磨造船所で建造番号325番船[2]として起工。1942年1月20日、第二十一号掃海艇と命名され、本籍を舞鶴鎮守府と仮定し第七号型掃海艇の8番艇に定められる[注釈 3]。2月28日、進水。4月1日、艦艇類別等級別表の改正により掃海艇の部中に第十九号型の項が新設され、その3番艇に定められる。6月12日、艤装員事務所を播磨造船所内に設置し事務開始[3]。30日竣工し、艤装員事務所を撤去[4]。同日付で本籍を舞鶴鎮守府に定められる。7月14日、第八艦隊第八根拠地隊に編入。ラバウル方面で船団護衛に従事。

1943年4月10日、馬公方面特別根拠地隊に編入。9月19日、鎮海警備府に編入。11月10日、鎮海警備府所属のまま南東方面艦隊作戦指揮下で行動。12月15日、第八艦隊第八根拠地隊に編入。トラックカビエン方面で船団護衛に従事。12月25日、カビエンで空襲を受け損傷。1月にトラックに回航して明石の修理を受け、速力は14ノットの発揮が可能なまでに回復。

1944年3月10日、第四艦隊第三十根拠地隊に編入。26日、舞鶴に入港し舞鶴海軍工廠で修理、機関の陸揚げ点検、訓令による諸工事を7月12日まで行う。訓令工事の主なものは3番砲と爆雷投下台を撤去し、電波探知機の設置、25mm機銃連装2基、同単装3基の設置、九三式水中探信儀3型を同5型に換装、九三式水中聴音機2型甲(小艦艇用)の設置、八一式爆雷投射機と九四式爆雷投射機の設置、爆雷投下軌条の設置。16日、佐世保へ回航し佐世保海軍工廠電波探信儀の基礎工事を行う。7月18日、第三十根拠地隊は第三南遣艦隊に転籍。20日、支那方面艦隊作戦指揮下に編入。8月1日、連合艦隊附属に編入。軍隊区分南西方面部隊で行動。沖縄上海方面の護衛に従事。

1945年2月12日、軍隊区分支那方面部隊で行動。以後上海、青島方面で船団護衛に従事。終戦を青島で迎える。10月25日、帝国掃海艇籍から除籍。12月1日、舞鶴地方復員局所管の特別輸送艦に定められる。12月20日、艦名を掃第二十一号に改称。

1946年12月15日、特別保管艦に指定される。

1947年10月1日、特別輸送艦の定めを解かれる。10月3日、賠償艦として青島でアメリカ合衆国軍に引渡し。10月7日、黄海北緯35度19分 東経123度13分 / 北緯35.317度 東経123.217度 / 35.317; 123.217実艦的として沈没処分。10月25日、残務整理終了。

第二十一号掃海艇長/掃第二十一号艦長[編集]

艤装員長
  1. 藤森三郎 予備大尉:1942年5月31日 - 1942年6月26日
  2. 森安榮 予備大尉:1942年6月26日 - 1942年6月30日
掃海艇長/艦長
  1. 森安榮 予備大尉/大尉:掃海艇長 1942年6月30日 - 1944年6月1日
  2. 氏原茂 大尉:1944年6月1日 - 1945年6月30日
  3. 阿土拓司 大尉/第二復員官:1945年6月30日 - 艦長 1945年12月20日 - 1946年2月15日
  4. 楠戸醇一 第二復員官/第二復員事務官:1946年2月15日 - 1946年5月10日
  5. 文澤義永 第二復員事務官/復員事務官:1946年5月10日 - 1947年1月20日
  6. (兼)田中健一 復員事務官:1947年6月5日 - (本職:舞鶴管船部勤務)
  7. 星子直明 復員事務官:1947年9月5日 - 1947年10月1日[注釈 4]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ a b 「第二十一号掃海艇戦時日誌」の記述による。
  2. ^ この数字は特修兵や、その他臨時増置された要員を含まない。
  3. ^ 昭和17年1月15日付 内令第50号で第10号掃海艇が艦艇類別等級別表から削除されているため、1942年1月20日時点では8番艇、第10号掃海艇を含めると通算9番艇となる。
  4. ^ 昭和21年7月1日付 復二第67号の定めによる自動解職。
脚注
  1. ^ 昭和16年7月10日付 内令第784号。
  2. ^ 『播磨50年史』、p. 460。
  3. ^ 昭和17年6月19日付 海軍公報(部内限)第4120号。
  4. ^ 昭和17年7月3日付 海軍公報(部内限)第4132号。

参考文献[編集]

  • 海軍省
    • 昭和13年9月10日付 内令第756号。
    • 昭和16年7月10日付 内令第784号。
    • 昭和17年1月20日付 達第18号、内令第114号、内令第116号。
    • 昭和17年4月1日付 内令第549号。
    • 昭和17年6月30日付 内令第1158号、内令第1162号。
    • 昭和20年10月25日付 達第181号。
    • 昭和17年6月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第873号。
    • 昭和17年6月29日付 海軍辞令公報 (部内限) 第890号。
    • 昭和17年7月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第892号。
    • 昭和19年6月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1498号。
    • 昭和20年7月11日付 秘海軍辞令公報 甲 第1853号。
    • 昭和17年6月19日付 海軍公報(部内限)第4120号。
    • 昭和17年7月3日付 海軍公報(部内限)第4132号。
    • 第二十一号掃海艇戦時日誌。
  • 第二復員省
    • 昭和20年12月1日付 内令第6号。
    • 昭和20年12月20日付 内令第12号、官房人第19号。
    • 昭和21年5月16日付 第二復員省辞令公報 甲 第133号。
    • 昭和21年5月20日付 第二復員省辞令公報 甲 第136号。
  • 復員庁
    • 昭和21年7月1日付 復二第67号。
    • 昭和21年12月15日付 復二第459号。
    • 昭和22年10月1日付 復二第712号。
    • 昭和22年1月30日付 復員庁第二復員局辞令公報 甲 第130号。
    • 昭和22年6月11日付 復員庁第二復員局辞令公報 第39号。
    • 昭和22年9月11日付 復員庁第二復員局辞令公報 第56号。
    • 昭和22年12月4日付 第二復員局公報 第160号。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年
  • 播磨造船所50年史編纂室 『播磨50年史』、株式会社播磨造船所、1960年。
  • 戦史叢書 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、朝雲新聞社、1969年。
  • 丸スペシャル No. 50 日本海軍艦艇シリーズ 『掃海艇・輸送艦』、潮書房、1981年。
  • 歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol. 51 『真実の艦艇史2』、学習研究社、2005年、ISBN 4-05-604083-4