第二航空隊

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第二航空隊(だい2こうくうたい)および昭和17年11月1日に改称した第五八二海軍航空隊(だい582かいぐんこうくうたい)は日本海軍の部隊の一つ。最前線の外南洋防衛の主力爆撃機隊として、太平洋戦争中盤に外南洋・爆撃・戦闘・哨戒行動に従事した。

沿革[編集]

第一弾侵攻作戦が完了し、第二段侵攻作戦の準備期に移行しつつある昭和17年5月31日に戦爆連合隊として臨時編成された。部隊番号は若いが、編成時期はかなり遅い部類になる。従来の臨時航空隊は、純粋な戦闘機隊(第三航空隊第六航空隊など)、長距離攻撃隊(第一航空隊第十四航空隊など)、局地哨戒偵察機隊(第三十二第四十航空隊など)があるが、二空はどれにも属さない。多数の艦上爆撃機と護衛戦闘機から構成され、最前線基地から近距離の対艦攻撃を図った特殊な地上基地航空部隊である。第二段侵攻作戦の舞台となった外南洋に進出したが、到着直後に連合軍の反攻が始まった。しかし、最前線のブイン飛行場が未完成だったために、ラバウルを基地とせざるを得なかった。戦場となったガダルカナル島への往復は九九式艦上爆撃機では不可能なうえ、到着直後のツラギ報復攻撃のために片道攻撃を実行して機体を喪失し、進駐序盤は戦力とならなかった。以後は増援を受け、解隊まで外南洋で活動し、ラバウル航空隊の主力となった。

昭和17年(1942年)[編集]

5月31日 開隊。
8月6日 ラバウル進出(零戦15・艦爆16)
8月7日 ツラギ奇襲。ツラギ沖の水上艦を9機で爆撃、駆逐艦1隻小破・全機喪失(撃墜2・消息不明4・不時着放棄3)。

        九九艦爆の航続力では往復が不能なため、当初より着水・機体放棄を前提とした片道攻撃であった。

8月22日 零戦隊の一部は台南空ブナ派遣隊に帯同しブナに進出。
9月11日 零戦隊、六空と合同でヘンダーソン飛行場爆撃隊を護衛・空戦。二空に戦果・喪失なし。
9月28日 零戦隊、ブカに進出。この頃より戦爆連合爆撃を凍結、零戦隊の昼間強襲と陸攻隊の夜間爆撃に分離。二空零戦隊も参加。
10月3日 第2師団のガダルカナル島上陸を決行。零戦隊は船団の防空に従事。
10月7日 日進の重火器輸送を支援、零戦隊は防空に従事。荒天のため2機消息不明。
10月8日 ブイン飛行場落成、戦闘機隊進出。ブインには六空・三十一空が続行。
10月20日 24日の第2師団総攻撃への支援強襲開始。連日零戦隊は出撃。
11月1日 「第五八二海軍航空隊」に改称、編制変更。
11月11日 第三次ソロモン海戦前日の対艦攻撃に9機参加。翌日の海戦・14日の第17軍総攻撃への上空支援に従事。
11月15日 陸軍偵察機によりブナの敵飛行場発見。五八二空を攻撃隊に指定。
11月16日 ブナに敵増援部隊接近。二十六航戦の対艦爆撃に12機参加、輸送船3隻大破。
12月6日 二十六航戦、ブナへの輸送船団を攻撃。11機参加。
12月7日 二十六航戦、ブナの敵地上陣地を爆撃。6機参加。
12月27日 陸海軍共同航空作戦。五八二空艦爆12機・二〇四空零戦21機・第十二飛行団一式戦闘機31機。
12月28日 ブナ陥落、横須賀第五特別陸戦隊玉砕。残存戦力はギルワに撤退。

昭和18年(1943年)[編集]

1月2日 二〇四空と共同でネルソン岬沖の輸送船団を攻撃。
1月14日よりケ号作戦発動。ニューギニア戦線は小康。
2月1日 イサベル沖海戦に15機出撃。2機喪失。
3月28日 18機でニューギニアオロ湾の船団を攻撃。
4月7日 「い号作戦」発動。Y攻撃準備。
4月11日 Y攻撃に22機出撃。
4月14日 第二次Y攻撃に出撃。
4月16日 第三次Y攻撃中止、い号作戦終了。
6月16日 ルンガ沖航空戦 24機で対艦攻撃。13機喪失。
6月30日 レンドバ島上陸開始。翌日まで8機で泊地爆撃。5機喪失。
7月2日 龍鳳飛行機隊ラバウル着。以後、龍鳳艦爆隊と共同。
7月5日 ニュージョージア島上陸開始。7機で泊地爆撃。
7月 戦闘機隊は解散となり、純艦爆隊として再編成。戦闘機および搭乗員は201空・204空に編入[1]
8月1日 レンドバ島泊地を16機で爆撃。
8月15日 ベララベラ島に敵上陸。25機で爆撃。
9月4日 サラモア沖の船団を8機で爆撃。
10月15日 ブナ沖の船団を15機で爆撃。14機喪失。
10月18日 第五〇一海軍航空隊ラバウル着。以後、五〇一空と共同。
10月25日 ラバウルに敵機襲来。2機邀撃に参加。
10月28日 「ろ号作戦」発動。11月1日に第一航空戦隊飛行隊ラバウル到着。
11月8日 第二次ブーゲンビル島沖海戦。五〇一空と合同で38機出撃。
11月12日 一航戦撤退。
11月17日 第五五二海軍航空隊ラバウル着。以後、五五二空と共同。
12月15日 ニューブリテン島マーカス岬に敵上陸。7機で爆撃。
12月17日 陸軍舟艇機動部隊のマーカス岬逆上陸を12機で支援爆撃。
12月21日 マーカス岬沖の船団を爆撃。31日まで断続的に実施。

昭和19年(1944年)[編集]

1月7日 ラバウル空襲激化。19日までに艦爆は15機に激減。
1月25日 第二航空戦隊ラバウル進出。
2月5日 五五二空撤退。
2月20日 二航戦撤退。
年2月28日 五〇一空撤退。
年3月4日 解隊。

2月17日のトラック島空襲によって補給路が断たれたことを機に、外南洋の放棄が決定。進駐以来ラバウルに留まっていた五八二空は解散し、トラックに後退した上で、残存していた九七艦攻6機を第五五一海軍航空隊に移譲した。

主力機種[編集]

歴代司令[編集]

  • 山本栄 中佐:昭和17年5月31日 -
  • 峰松巌:昭和18年10月1日 - 昭和19年3月4日解隊)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ p.78、神立、2000年

参考文献[編集]

  • 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
  • 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
  • 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
  • 『戦史叢書 海軍航空概史』(朝雲新聞社 1976年)
  • 『戦史叢書 南東方面海軍作戦(1)』(朝雲新聞社 1971年)
  • 『戦史叢書 南東方面海軍作戦(2)』(朝雲新聞社 1975年)
  • 『戦史叢書 南東方面海軍作戦(3)』(朝雲新聞社 1976年)
  • 『ラバウル海軍航空隊』(学習研究社 2001年)
  • 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)
  • 神立尚紀『零戦最後の証言II』(光文社 2000年)