第十三号駆潜艇

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第十三号駆潜艇
1942年6月29日、館山湾に停泊する第13号駆潜艇(左奥)と第14号駆潜艇(手前)
1942年6月29日、館山湾に停泊する第13号駆潜艇(左奥)と第14号駆潜艇(手前)
基本情報
建造所 鶴見製鉄造船鶴見造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 特務艇(1940年2月)
駆潜艇(1940年11月)
級名 第十三号型駆潜艇
建造費 1,620,000円
艦歴
計画 マル4計画
起工 1939年7月18日
進水 1940年3月30日
竣工 1940年7月15日
最期 1943年4月3日被雷沈没
除籍 1943年5月1日
要目
基準排水量 438トン
全長 51.0m
水線長 49.0m
垂線間長 46.5m
水線幅 6.7m
吃水 2.75m
主機 艦本式23号甲8型ディーゼル2基
出力 1,700bhp
推進器 2軸
速力 16.0ノット
燃料 重油 16トン
航続距離 2,000カイリ/14ノット
乗員 (1940年1月・特務艇)
定員65名
特修兵教員最大43名
(1940年11月・駆潜艇)
定員73名
特修兵教員最大36名
兵装 40口径8cm高角砲 単装1基
13mm機銃 連装1基
九四式爆雷投射機2基
爆雷36個
搭載艇 短艇2隻
ソナー 九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
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第十三号駆潜艇[注釈 1](だいじゅうさんごうくせんてい)は、日本海軍の特務艇(駆潜艇)、駆潜艇。第十三号型駆潜艇の1番艇。船団護衛中に撃沈された。

艇歴[編集]

マル4計画の特務艇(440トン型駆潜艇)、第180号艦型の1番艇、仮称艦名第180号艦として計画。1939年7月18日、鶴見製鉄造船鶴見造船所で起工。

1940年2月23日、第十三号駆潜艇と命名されて特務艇(駆潜艇)第十三号型駆潜艇の1番艇に定められる。3月30日、進水。4月19日、艤装員事務所を鶴見製鉄造船鶴見工場内に設置し事務を開始。7月15日竣工し、艤装員事務所を撤去。11月15日、特務艇類別等級と艦艇類別等級の改正により特務艇の駆潜艇から艦艇の駆潜艇となり本籍を横須賀鎮守府に、役務を横須賀鎮守府警備兼練習駆潜艇に、第十三号型駆潜艇の1番艇にそれぞれ定められる。長浦を拠点として行動する。

1941年3月-11月 訓練[編集]

1941年3月31日、第14号駆潜艇第15号駆潜艇が竣工し、横須賀防備戦隊隷下に新編された第二駆潜隊に両艇とともに編入。軍隊区分横須賀鎮守府海面防備部隊に配置。4月1日、第二駆潜隊司令駆潜艇に指定される。以後、6月30日まで東京湾口の防備と訓練に従事。4月4日、第二駆潜隊司令駆潜艇を第15号駆潜艇へ変更。

7月1日、第二駆潜隊の各艇は役務を横須賀鎮守府警備駆潜艇に定められ、第二駆潜隊は大湊要港部に編入。軍隊区分直率部隊に配置。同日横須賀発。4日、大湊着。9月19日まで訓練に従事。

9月20日、第二駆潜隊は第三艦隊第一根拠地隊に編入。21日、大湊発。22日、横須賀着。以後11月25日まで内地で諸訓練に従事。10月30日、佐世保へ回航。11月26日、馬公へ進出するため寺島水道を出撃。

1941年12月-1942年4月 フィリピン、蘭印攻略[編集]

太平洋戦争の開戦時はフィリピン攻略に従事。1941年12月10日から12日までアパリ沖で行動し、14日高雄へ帰投。18日、ルソン島東部のラモン湾上陸部隊に合同し高雄を出撃。24日から30日まで、ラモン湾で行動。30日、蘭印作戦参加のためダバオへ向けラモン湾発。

1942年1月2日から6日までダバオで行動。9日から13日にかけてダバオ沖で対潜掃蕩に従事。14日、バンカ島へ向けダバオ発。16日から22日までバンカ島で行動。22日、ケンダリ攻略に参加するためバンカ島発。24日から27日までケンダリ攻略に従事。29日、バンカ島に帰投。30日、ダバオへ回航のためバンカ島発。2月1日、ダバオ着。

2月3日、バリクパパンに回航のためダバオ発。6日から18日までバリクパパンに所在。18日、マカッサルへ回航。19日マカッサル、20日バリクパパンにそれぞれ寄港。22日から23日までマカッサルで行動。23日、バリ島へ回航。25日からバリ島で行動。

3月10日、第二駆潜隊は第二南遣艦隊第二十一特別根拠地隊に編入。バタヴィアを拠点として船団護衛に従事。

1942年5月-7月 東京湾[編集]

1942年5月1日、第二駆潜隊の3隻は役務を横須賀鎮守府警備駆潜艇に定められ、第二駆潜隊は横須賀防備戦隊に編入、軍隊区分東京湾方面部隊第一掃蕩攻撃隊第二小隊に配置。同日、バタヴィアからスラバヤへ回航する陸軍船団をバタヴィア水路北口まで護衛。同船団の護衛を第14号駆潜艇に引き継いだ後は、水路北口の警戒に従事。その後、スラバヤを出港した第15号駆潜艇と合同し、内地へ回航のため高雄へ向かう。15日、第二駆潜隊が解隊され、元第二駆潜隊の3隻は横須賀防備戦隊に編入。21日、元第二駆潜隊の3隻は本艇長の指揮により内地へ向け高雄発。28日、特設駆潜艇こうせい丸の嚮導を受け横須賀に入港。29日、横須賀防備戦隊司令官の巡視を受ける。本艇は横須賀到着後に入渠修理を予定していたが30日、第一掃蕩攻撃隊第一小隊の特務艇浮島、同猿島と合同のため横須賀を出撃し、稲取沖の合同海面へ向かう。合同後は伊豆大島西方海面で対潜掃蕩を実施。31日からは、30日に第14号駆潜艇が潜水艦を探知した地点を中心に捜索を実施。

6月3日、哨区を徹して伊東に回航。4日、一旦浦賀に帰投して補給を行う。補給後は伊豆大島波浮港に進出する予定だったが、機械故障のため僚艇から分離し新島へ向かう。5日、風早埼沖で爆雷戦を実施。7日、長浦に帰投し、機械の修理に着手。24日、波浮港へ進出。同港到着後、伊豆大島-新島間の哨区で行動。28日、伊豆大島-新島-石室埼を結んだ海域で対潜掃蕩に従事。29日、第14号駆潜艇との合同と、合同後の対潜掃蕩を命じられ波浮港を出港。同日館山で第14号駆潜艇と合同し、野島埼灯台沖の潜水艦掃蕩に向かう。30日、補給のため長浦に帰投。

7月1日、石室埼沖の哨区へ向け長浦発。以後、第14号駆潜艇や第15号駆潜艇と交代しつつ、伊豆大島付近の哨区で行動する。7日、伊豆大島岡田港を出港し、横須賀へ向かう特務艦佐多を護衛。護衛終了後、岡田港に帰投。13日、11日に三宅島御蔵島で不時着した瑞鶴爆撃機搭乗員の救難に従事。

1942年7月-11月 アリューシャン列島[編集]

1942年7月20日、本艇、第14号駆潜艇、第15号駆潜艇の3隻は第五艦隊隷下に新編された第五駆潜隊に編入。27日、東京湾で行動。29日、キスカ島へ進出のため横須賀発。

8月1日、釧路に寄港。2日、釧路発。5日、占守島に寄港。7日、キスカ島へ向け占守島発。11日、キスカ島着。15日までキスカ湾で警戒に従事。15日、第14号駆潜艇とともにアッツ島へ向けキスカ湾発。16日から27日までアッツ島で警戒に従事し、28日キスカ湾に帰投。以後、キスカ島-アッツ島間を移動しつつ警戒に従事。

10月10日、キスカ湾外で警戒中にアメリカ陸軍機の空襲を受け、機銃掃射により駆潜艇長ほかが負傷した。11日、第五駆潜隊は、幌筵へ回航のためキスカ島発。15日、幌筵着。以後、本艇は11月13日まで幌筵に所在。

11月13日、北海道東部へ向け幌筵発。15日、択捉島紗万部に寄港。18日、紗万部発。19日、根室沖で行動[注釈 2]

1942年11月-1943年4月 船団護衛、沈没[編集]

1942年11月20日、第五駆潜隊の3隻は役務を横須賀鎮守府警備駆潜艇に定められ、第五駆潜隊は横須賀防備戦隊に編入、軍隊区分直接護衛部隊に配置。

12月3日、館山湾で仮泊。4日、横須賀着。9日、第五駆潜隊各艇は横須賀防備戦隊司令官の巡視を受ける。19日、石川島造船所に回航し入渠修理を行う。24日、第五駆潜隊が解隊され、横須賀防備戦隊に編入。本艇は軍隊区分直接護衛部隊から除かれ、軍隊区分東京湾部隊に配置。

1943年1月、石川島造船所での修理が終わる。13日と14日の両日、東京湾で単独訓練を実施。

2月15日、軍隊区分東京湾部隊から除かれ、軍隊区分直接護衛部隊掃蕩攻撃隊に配置。同日、大成丸を護衛して長浦を出撃し、同船とともに館山で仮泊。16日、引き続き大成丸を護衛して神戸へ向け館山発。18日、神戸着。神戸到着後、由良へ回航。20日、東行8220船団(4隻)[注釈 3]を護衛して由良発。22日、浮島西方で船団から分離し、長浦に帰投。25日、芝園丸護衛のため長浦発。第二海堡付近で芝園丸と合同し、八丈島へ向かう。26日、八丈島着。同日、サイパンから横浜へ向け航行中の特設運送船神洋丸を護衛するため八丈島を出撃し、風早埼東方で同船と合同する。27日、長浦に帰投。

3月、軍隊区分北三陸部隊に配置。三陸方面で船団護衛に従事する。4月3日、船団護衛中に野田湾沖でアメリカ潜水艦ピカーレルの攻撃を受けて被雷し、沈没した。

5月1日、第十三号駆潜艇は横須賀鎮守府警備駆潜艇の役務を解かれて帝国駆潜艇籍から除かれ、第十三号型駆潜艇から削除された。本艇の艦艇類別等級別表からの削除時に、第十三号型の艇型名は第十四号型に改められた。

駆潜艇長[編集]

艤装員長
  1. 若杉次一 大尉:1940年4月8日 - 1940年7月15日
駆潜艇長[注釈 4]
  1. 小林日本 大尉:1940年11月15日 - 1941年12月30日
  2. 川村喜一 予備大尉:1941年12月30日 - 1942年11月15日
  3. 鬼頭竹次郎 予備大尉:1942年11月15日 - 1943年1月18日
  4. 竹添常磐 予備大尉:1943年1月18日 - 1943年4月3日 戦死、同日付任海軍予備少佐

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 本来の艇名表記は第十三號驅潛艇。
  2. ^ 以上、10月11日から11月19日までの行動は第五艦隊戦時日誌による。
  3. ^ 銅山丸(名古屋行き)、蔵王山丸(東京行き)、東海丸、利山丸(川崎行き)。
  4. ^ 昭和15年11月15日付 達第256号による艦船職員服務規程第1条の改正で駆潜艇長が新設されるまでは、本艇に限らず駆潜艇の艇長は公式には存在しない。
脚注

参考文献[編集]

  • 海軍省
    • 昭和15年1月27日付 内令第52号。
    • 昭和15年2月23日付 達第31号、内令第132号。
    • 昭和15年11月15日付 達第256号、内令第820号、内令第821号、内令第841号、内令第842号。
    • 昭和16年3月31日付 内令第275号。
    • 昭和16年7月1日付 内令第754号。
    • 昭和17年5月1日付 内令第775号。
    • 昭和17年5月15日付 内令第853号。
    • 昭和17年7月20日付 内令第1325号。
    • 昭和17年11月20日付 内令第2135号。
    • 昭和17年12月24日付 内令第2376号。
    • 昭和18年5月1日付 内令第832号、内令第833号、内令第838号、内令第847号、内令第848号。
    • 昭和15年4月27日付 海軍公報(部内限)第3489号。
    • 昭和15年7月16日付 海軍公報(部内限)第3554号。
    • 昭和16年1月7日付 第3690号から昭和16年3月31日付 第3759号までの海軍公報(部内限)各号。
    • 昭和16年4月4日付 海軍公報(部内限)第3762号。
    • 昭和16年4月11日付 海軍公報(部内限)第3768号。
    • 昭和16年4月12日付 海軍公報(部内限)第3769号。
    • 昭和16年4月18日付 海軍公報(部内限)第3774号。
    • 昭和16年10月29日付 海軍公報(部内限)第3932号。
    • 昭和16年10月30日付 海軍公報(部内限)第3933号。
    • 昭和15年4月9日付 海軍辞令公報(部内限)第462号。
    • 昭和15年7月20日付 海軍辞令公報(部内限)第506号。
    • 昭和15年11月15日付 海軍辞令公報(部内限)第555号。
    • 昭和17年1月2日付 海軍辞令公報(部内限)第786号。
    • 昭和17年11月16日付 海軍辞令公報(部内限)第988号。
    • 昭和18年1月18日付 海軍辞令公報(部内限)第1036号。
    • 昭和18年5月15日付 海軍辞令公報(部内限)第1114号。
    • 昭和16年7月12日付 二駆潜隊機密第10号 第二駆潜隊支那事変第九回功績概見表。
    • 昭和17年1月5日付 二駆潜隊機密第10号ノ34 第二駆潜隊支那事変第十回功績概見表。
    • 第一根拠地隊戦時日誌。
    • 横須賀鎮守府戦時日誌。
    • 横須賀防備戦隊戦時日誌。
    • 第五艦隊戦時日誌。
    • 特設給糧船神洋丸戦時日誌。
    • 伊勢防備隊戦時日誌。
    • 第四監視艇隊戦時日誌。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 戦史叢書 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、朝雲新聞社、1969年。
  • 戦史叢書 第77巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(3) -昭和十八年二月まで-』、朝雲新聞社、1974年。
  • 戦史叢書 第80巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(2) -昭和十七年六月まで-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。