第四号駆潜艇

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第四号駆潜艇
基本情報
建造所 大阪鉄工所桜島工場
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆潜艇
級名 第一号型駆潜艇
建造費 1,579,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル3計画
起工 1938年1月19日
進水 1938年9月13日
竣工 1938年12月28日
最期 1945年8月13日触雷沈没
除籍 1947年5月3日
要目(竣工時)
基準排水量 291トン
全長 56.20m
最大幅 5.60m
吃水 2.10m
機関 艦本式22号6型ディーゼル2基
推進 2軸
出力 2,600hp
速力 20.0ノット
燃料 重油 20トン
航続距離 14ノットで2,000カイリ
乗員 定員59名
兵装 竣工時
40mm機銃 連装1基
・九四式爆雷投射機2基
・爆雷36個
1944年11月時点
・40mm機銃 連装1基
25mm機銃 単装3基
・九四式爆雷投射機2基
・爆雷36個
搭載艇 短艇2隻
レーダー 1944年11月時点
13号電探
ソナー 九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
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第四号駆潜艇[注釈 1](だいよんごうくせんてい)は、日本海軍駆潜艇。普遍的には第四号型駆潜艇の1番艇とされているが、海軍省が定めた特務艇類別等級および艦艇類別等級では第一号型駆潜艇の4番艇。太平洋戦争の終戦直前に戦没した。

艇歴[編集]

マル3計画の300トン型駆潜艇、仮称艦名第64号艦として計画。1938年1月19日、大阪鉄工所桜島工場で起工。5月28日、第四号駆潜艇と命名され、特務艇/駆潜艇/第一号型の4番艇に定められる。9月13日進水。12月28日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に定められ、佐世保防備隊附属に編入。

1940年11月15日、艦艇類別等級と特務艇類別等級の改正により、特務艇の駆潜艇から艦艇の駆潜艇となり、本籍を佐世保鎮守府に定められる。同日本艇、第5号駆潜艇第6号駆潜艇の3隻で第二十一駆潜隊を新編し、司令駆潜艇に指定された。同日付で第二十一駆潜隊(以下、1942年5月1日まで第二十一駆潜隊の行動)は第二艦隊第一根拠地隊に編入。1941年3月まで内地で訓練に従事。

1941年1月15日、第二艦隊第二根拠地隊に編入。3月25日に訓練を終え中支沿岸に出撃し、交通遮断に従事。4月10日、第三艦隊第二根拠地隊に編入。6月10日、支那方面艦隊作戦指揮下に編入。7月15日から8月まで軍隊区分ふ号艦隊第一護衛隊に配され、ふ号作戦では船団護衛やカムラン湾の警戒に従事。ふ号作戦終了後、支那方面艦隊作戦指揮を解かれて第二根拠地隊指揮下に復帰。8月27日に佐世保へ帰還し訓練と警戒に従事。10月1日、第二十一駆潜隊に第16号駆潜艇、第17号駆潜艇、第18号駆潜艇の3隻が編入され6隻編制となった。10月24日、司令駆潜艇を第17号駆潜艇へ継承。11月26日、寺島水道を発し、30日馬公着。

太平洋戦争の開戦時は軍隊区分菲島部隊第二急襲隊に配され、第四水雷戦隊司令官の指揮下で行動。12月7日に馬公を出撃しビガン攻略に従事[注釈 2]。12日、ビガン泊地の警戒任務を解かれ高雄へ回航。18日から24日までリンガエン攻略に従事し、続けてダバオの攻略に従事。

1942年1月24日からは厳島に座乗した第二根拠地隊司令官の直接指揮下でボルネオ島南東部の攻略に従事。3月10日、第二南遣艦隊第二十二特別根拠地隊に編入。5月1日、本艇は第5号駆潜艇、第6号駆潜艇とともに第二十一駆潜隊から除かれ、第二十二特別根拠地隊附属に編入された。以後、沈没するまで第二十二特別根拠地隊附属から転出せず、マニラからボルネオ島南東部にかけての船団護衛、哨戒等に従事した。

1944年4月18日、スラウェシ島ライカン湾で触礁し艇底を破損。6月13日までスラバヤの第百二海軍工作部で修理。11月8日、B02船団(特設運送船第二菱丸、同共榮丸[注釈 3])を第2号哨戒艇ら4隻とともに護衛しマニラ発。11日に第二菱丸がアメリカ潜水艦ハッドの攻撃により、16日には共榮丸が爆撃によりそれぞれ撃沈され船団は消滅した。

1945年8月13日、スラバヤ西水道で触雷し沈没した。

1947年5月3日、第四号駆潜艇は海軍編制の廃止に伴い除籍された。

駆潜艇長[編集]

艤装員長
  1. (兼)川崎陸郎 少佐:1938年10月1日 - 1938年11月1日 (本職:春風駆逐艦長)
  2. 大西勇治 大尉:1938年11月1日 - 1938年12月28日
駆潜艇長[注釈 4]
  1. (兼)大田春男 中佐:1940年11月15日 - 1940年12月5日 (本職:第二十一駆潜隊司令)
  2. 千本木徳二 予備大尉:1940年12月5日 - 1941年9月20日
  3. 福地秋二 予備大尉/予備少佐/少佐:1941年9月20日 - 1943年8月28日
  4. 野間龍雄 大尉/少佐:1943年8月28日 - 1944年12月25日
  5. 永田守 大尉/少佐:1944年12月25日 - 1945年8月30日

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 本来の艇名表記は第四號驅潛艇。以下、「第四号駆潜艇」の表記部について同じ。
  2. ^ 「軍極秘 軍令部通報 12月10日作戦経過概要」では、0900時に香港東口でと共同でイギリス哨戒艦セントモナース型1隻(820トン)を砲撃により撃沈したとあるが、第二根拠地隊戦時日誌との相関がとれない。
  3. ^ 駒宮『戦時輸送船団史』、p. 289では萬洋丸も被護衛対象として記述しているが、萬洋丸は第二南遣艦隊附属の特設砲艦である。
  4. ^ 昭和15年11月15日付 達 第256号による艦船職員服務規程第1条の改正で駆潜艇長が新設されるまでは、本艇に限らず駆潜艇の艇長は公式には存在しない。

参考文献[編集]

  • 海軍省
    • 法令、令達、命令
      • 昭和12年7月20日付 内令第347号。
      • 昭和13年5月28日付 達第88号、内令第418号。
      • 昭和13年12月28日付 内令第1175号。
      • 昭和15年11月15日付 達第256号、内令第836号。
      • 昭和16年10月1日付 内令第1164号。
      • 昭和17年5月1日付 内令第774号。
      • 昭和16年11月8日付 海軍公報(部内限)第3940号。
    • 人事発令
      • 昭和13年10月1日付 海軍辞令公報(部内限)号外 第246号。
      • 昭和13年11月1日付 海軍辞令公報(部内限)号外 第256号。
      • 昭和13年12月29日付 海軍辞令公報(部内限)号外 第281号。
      • 昭和15年11月15日付 海軍辞令公報(部内限)第555号。
      • 昭和15年12月5日付 海軍辞令公報(部内限)第565号。
      • 昭和16年9月20日付 海軍辞令公報(部内限)第716号。
      • 昭和18年8月31日付 海軍辞令公報(部内限)第1200号。
      • 昭和20年1月2日付 秘海軍辞令公報 甲 第1683号。
      • 昭和20年9月17日付 海軍辞令公報 甲 第1916号。
    • 戦時日誌、功績調査、その他
      • 第二十一駆潜隊支那事変第九回功績概見表。
      • 第二十一駆潜隊支那事変第十回功績概見表。
      • 第二根拠地隊戦時日誌。
      • 菲島部隊第二急襲隊/第四水雷戦隊戦闘詳報。
      • 軍極秘 軍令部通報 12月10日作戦経過概要(第4号)。
      • 呉鎮整理部機密第113号 大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 自昭和19年6月7日 至昭和19年11月16日 特設運送船共榮丸。
  • 復員庁第二復員局
    • 法令、令達
      • 昭和22年5月3日付 復二第327号。
  • 駒宮真七郎 『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9
  • 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 防衛研修所戦史室 『戦史叢書』、朝雲新聞社。
    • 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、1969年。
    • 第39巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(4) -第三段作戦前期-』、1970年。
    • 第46巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(6) -第三段作戦後期-』、1971年。
    • 第71巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(5) -第三段作戦中期-』、1974年。
    • 第77巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(3) -昭和十八年二月まで-』、1974年。
    • 第80巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(2) -昭和十七年六月まで-』、1975年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。