第百三十五号哨戒特務艇

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第百三十五号哨戒特務艇
入渠整備中の運輸省掃海艦 哨特第百三十五号 (1948年4月17日、三菱重工業下関造船所)
入渠整備中の運輸省掃海艦 哨特第百三十五号
(1948年4月17日、三菱重工業下関造船所
基本情報
建造所 船体:四国船渠工業所
兵装艤装:呉海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
Flag of Japan.svg 第二復員省/復員庁
Flag of Japan.svg 運輸省
Ensign of the Japanese Coast Guard.svg 海上保安庁
Flag of Coastal Safety Force of Japan 2012-03-04.jpg 保安庁警備隊
 海上自衛隊
艦種 特務艇(1944年11月)
掃海艦(1945年12月)
掃海船(1948年5月)
掃海艇(1954年7月)[注釈 1]
支援船(1962年3月)
級名 第一号型哨戒特務艇(1944年11月)
うきしま型掃海船(1951年12月)
うきしま型掃海艇(1954年7月)
建造費 1,350,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
竣工 1945年5月23日
除籍 1945年11月30日(日本海軍)
1948年1月1日(復員庁)
1952年8月1日(海上保安庁)
1964年3月31日(海上自衛隊)
改名 第百三十五号哨戒特務艇(1944年11月)
哨特第百三十五号(1945年12月)
MS-21(1948年5月)
哨特第一三五号(1948年8月)
まつしま(1951年12月)
特務雑船32号(1962年3月)
特務船32号(1963年1月)
要目(哨戒特務艇・計画時)
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
12センチ噴進砲2門
爆雷12個、魚雷落射機2基
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀三型1基
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第百三十五号哨戒特務艇[注釈 2](だいひゃくさんじゅうごごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の53番艇[注釈 3]太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。

艇歴[編集]

マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の135番艇、仮称艦名第2255号艦として計画。1944年11月5日、第百三十五号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の50番艇に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。1945年2月19日、船体概成により株式会社四国船渠工業所から呉海軍工廠へ引き渡し。5月23日竣工し、本籍を呉鎮守府に定められ、佐伯防備隊に編入。

終戦時は徳山に所在し徳山防備隊所属[注釈 4]。戦後は掃海に従事。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍。

1945年12月1日、第二復員省の開庁に伴い、呉地方復員局所管の掃海艦に定められ、同局掃海部徳山支部所属と定められる。また、同日から艦名を哨特第百三十五号としている。

1946年6月15日、復員庁の開庁に伴い、所属を徳山掃海部に改められる。8月15日、所属を大竹掃海部に改められる。1947年8月1日、大竹掃海部が廃止され、所属を下関掃海部に改められる。

1948年1月1日、復員庁が廃止され、運輸省に移管。5月1日、海上保安庁に編入され掃海船MS-21となる。8月20日、船名を哨特第一三五号 MS-21に定められる。朝鮮戦争日本特別掃海隊が派遣された際、本船は予備船として横須賀で待機した。1951年12月1日、船名をまつしま MS-21に改正。

1952年8月1日、保安庁警備隊に移管され、第二幕僚監部函館航路啓開隊第2掃海隊に編入。1954年1月15日、大湊地方総監部函館基地隊第2掃海隊に編入。

1954年7月1日、保安庁警備隊は海上自衛隊に改組。掃海艇となる[注釈 1]。大湊地方総監部函館基地隊第2掃海隊に編入。1957年9月1日、艇番号をMSI-686に改正。1962年3月31日、支援船に編入され船名を特務雑船32号 YAS-32に改正。1963年1月1日、船種呼称を特務船に改正。1964年3月31日、海上自衛隊から除籍された。

脚注[編集]

注釈
  1. ^ a b 世界の艦船『海上自衛隊全艦艇史』p. 42による。世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 113では、「昭和27年8月1日保安庁警備隊に移管、掃海艇に分類」としている。
  2. ^ 本来の艇名表記は第百三十五號哨戒特務艇(1945年12月20日以降は哨特第百三十五號)。
  3. ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇第33号哨戒特務艇第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は50番艇、これら3隻を含めると通算で53番艇となる。
  4. ^ 昭和20年8月31日付 徳山防備隊引渡目録には本艇の艇名があり、昭和20年9月1日付 佐伯地区兵器/軍需品/舟艇/施設等引渡目録には本艇の艇名が無い。本艇の佐伯防備隊から徳山防備隊への異動が編制によるものかそれとも軍隊区分によるものかは、それらを指し示す根拠法令や戦時日誌が存在しないため不明。
脚注

参考文献[編集]

  • 海軍省
    • 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
    • 昭和20年5月23日付 内令第458号、内令第459号。
    • 昭和20年8月31日付 徳山防備隊引渡目録。
    • 昭和20年9月1日付 佐伯地区兵器/軍需品/舟艇/施設等引渡目録。
  • 第二復員省復員庁
    • 昭和20年12月1日付 内令第5号、内令第7号。
    • 昭和21年6月15日付 復二第5号。
    • 昭和21年8月15日付 復二第177号。
    • 昭和22年8月1日付 復二第543号。
  • 運輸省海上保安庁
    • 昭和23年8月20日付 運輸省告示第230号。
    • 昭和26年12月24日付 海上保安庁告示第31号。
  • 保安庁警備隊海上自衛隊
    • 昭和27年8月1日付 保安庁訓令第3号。
    • 昭和28年9月16日付 政令第281号。
    • 昭和29年7月1日付 海上自衛隊内訓第1号。
    • 『朝鮮動乱特別掃海史』、1961年2月。[1]
    • 『朝鮮戦争に出動した日本特別掃海隊』、1978年。[2]
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 世界の艦船 No. 613 増刊第62集 『海上保安庁全船艇史』、海人社、2003年。
  • 世界の艦船 No. 630 増刊第66集 『海上自衛隊全艦艇史』、海人社、2004年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。