筑波大学

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筑波大学
Univoftsukuba2006.jpg
大学設置 1973年
創立 1872年
学校種別 国立
設置者 国立大学法人筑波大学
本部所在地 茨城県つくば市天王台一丁目1番地1
北緯36度6分41秒 東経140度6分14秒 / 北緯36.11139度 東経140.10389度 / 36.11139; 140.10389座標: 北緯36度6分41秒 東経140度6分14秒 / 北緯36.11139度 東経140.10389度 / 36.11139; 140.10389
キャンパス 筑波(茨城県つくば市天王台)
東京(東京都文京区
学部 人文・文化学群
社会・国際学群
人間学群
生命環境学群
理工学群
情報学群
医学群
体育専門学群
芸術専門学群
研究科 教育研究科
人文社会科学研究科
ビジネス科学研究科
数理物質科学研究科
システム情報工学研究科
生命環境科学研究科
人間総合科学研究科
図書館情報メディア研究科
ウェブサイト 筑波大学公式サイト
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筑波大学(つくばだいがく、英語: University of Tsukuba)は、茨城県つくば市天王台一丁目1番地1に本部を置く日本国立大学である。1973年に設置された。大学の略称は特にないが、筑波(つくば)、筑波大(つくばだい)などと呼ばれている。

目次

概観[編集]

大学全体[編集]

東京キャンパス文京校舎(2015年)
東京キャンパス大塚地区(2009年)

1872年明治5年)に日本で最初に設立された師範学校を創基とする東京師範学校(のち東京教育大学)を前身とする大学で、昌平坂学問所(昌平黌)を一部引き継ぐ形で設立された経緯もあり、その創立は日本で最も古い大学群の一つとなる。キャンパスが狭隘で分散していたので1963年昭和38年)8月27日閣議決定された筑波研究学園都市への移転が議論されたが、教授会間の意見のズレ・学生運動による入試中止があり、大学改革議論の中で、1973年(昭和48年)10月新構想大学として東京教育大学を母体に発足した[1]

筑波大学は筑波キャンパスの他に旧東京教育大学の敷地の一部も所管している。東京都文京区大塚の旧東京教育大学の本部敷地には東京キャンパス文京校舎(旧称:大塚地区)として、首都圏にある附属学校を統括する学校教育局と社会人対象の夜間大学院である大学院ビジネス科学研究科、法科大学院や各種研究センターを設置している。

現在の国立科学博物館1889年(明治22年)から1914年大正3年)に「東京教育博物館」として再独立するまで、東京高等師範学校の附属機関として存在した。前身の東京教育大学は、4つの学校(東京文理科大学東京高等師範学校東京農業教育専門学校東京体育専門学校)を母体としており、さらに筑波大学になってからも2002年平成14年)に図書館情報大学と統合するなど、様々な機関の歴史を背景に現在へと至っている。

基本的な目標[編集]

「開かれた大学」「柔軟な教育研究組織」「新しい大学の仕組み」を基本理念として、以下の目標を掲げている[2]

  1. 自然と人間、社会と文化に係る幅広い学問分野において、深い専門性を追求すると同時に、既存の学問分野を越えた協同を必要とする領域の開拓に積極的に取り組み、国際的に卓越した研究を実現する。
  2. 高度で先進的な研究に裏打ちされた学士課程から博士課程までの教育を通じて学生の個性と能力を開花させ、豊かな人間性と創造的な知力を蓄え、自立して国際的に活躍できる人材を育成する。
  3. 科学技術研究機関が集積する筑波研究学園都市の中核として、教育研究諸機関および産業界との連携に積極的に取り組み、自らの教育研究機能の充実・強化を図るとともに、広く社会の発展に貢献する。
  4. アジアをはじめ世界の国々や地域に開かれた大学として、国際的通用性のある教育研究活動の展開と連携交流に積極的に取り組み、国際的な信頼性と発信力を有する大学を実現する。
  5. 教員と職員のそれぞれが個性と多様な能力を発揮しつつ協働することにより、次代における大学のあり方を追求し、新しい仕組みを実現するための大学改革を先導する。

教育および研究[編集]

筑波大学のキャンパスは大きく分けて筑波キャンパス、東京キャンパスの2つに分かれている。筑波キャンパスの面積は 2,577,286m2 と、大学の単一キャンパスとしては国内第2位の大きさである(ちなみに、第1位は九州大学伊都キャンパス、第3位は広島大学東広島キャンパス。総面積では、第1位は北海道大学、第2位は東京大学、第3位は九州大学[3]。ほとんどの教育・研究活動はここを中心に行われている。東京キャンパスは社会人大学院などのために使われている。

開学以来、「研究」と「教育」を分離しており、これは一つの特徴となっている。さらに、教育組織としての教養学部が存在せず、開学から全学共通の一般教養と学群・学類毎の専門教育を並行して受講するくさび型教育体制を採っている。これは1991年大学設置基準大綱化を先取りした形になっている。

特に、医学専門学群は、旧来の2年制進学課程と4年制専門課程の区別を廃した6年一貫教育を日本の医学部で初めて行い、その後、筑波大に追随して6年制一貫教育を実施する新設医科大学も現れ始めている。

大学院には14個の研究科、大学には9個の学群(2006年度以前の入学者が属する学群は7個)がある。研究施設として全国共同利用施設が2個、学内共同教育研究施設が27個ある。

タイムズ・ハイアー・エデュケーション』の「世界大学ランキング 2016-2017」では、第401-450位、アジア第47位、国内第9位である。

2019年1月24日、軍事利用を目的とする研究は行わないとの基本方針を発表した。国内外の軍事、防衛機関から資金提供を受けて行う研究など、成果が軍事転用される可能性がある場合は、学内で事前審査する[4]

学風および特色[編集]

積極的に産学連携活動を行っており、筑波大学発ベンチャー数は平成18年度末で61件(日本の大学で第3位)である。また、平成18年度の大学発ベンチャー新設数は8件(日本の大学で第1位)である[5]

2008年11月より学生活動支援GPに採択されたつくばアクションプロジェクト (T-ACT) が開始されている。これは学生の主体的な活動を支援する目的で大学・教員・学生の相互的な支援ネットワークを構築し活動のスタートアップサポートを行う組織である。

沿革[編集]

略歴[編集]

本学は1970年昭和45年)に成立の筑波研究学園都市建設法[注 1]および1973年(昭和48年)に改正の国立学校設置法[注 2](2004年廃止)により設置された[注 3]。本学の前身であった東京教育大学は、1978年(昭和53年)に閉鎖された。

2002年(平成14年)、国立学校設置法の一部を改正する法律(平成14年法律第23号)により図書館情報大学と統合した。

年表[編集]

  • 1970年(昭和45年)10月 - 筑波大学建設事務所を開設。
  • 1973年(昭和48年)10月1日 - 筑波大学が開学。第一学群(人文学類、社会学類、自然学類)、医学専門学群、体育専門学群、附属図書館を設置。
  • 1975年(昭和50年)- 第二学群(比較文化学類、人間学類、生物学類、農林学類)、芸術専門学群設置。
  • 1976年(昭和51年)- 筑波大学附属病院を開設。
  • 1977年(昭和52年)- 第三学群設置(社会工学類、情報学類、基礎工学類)。
  • 1978年(昭和53年)- 東京教育大学が閉学。大学院博士課程社会工学研究科、医療技術短期大学部を設置。
  • 1980年(昭和55年)- 大学院博士課程医学研究科を設置。
  • 1981年(昭和56年)- 大学院博士課程工学研究科を設置。
  • 1983年(昭和58年)- 第三学群国際関係学類設置。
  • 1985年(昭和60年)- 第二学群日本語・日本文化学類設置。
  • 1989年平成元年)4月1日
    • 大塚キャンパスに大学院経営・政策科学研究科の1専攻として経営学社会人大学院「経営システム科学専攻 (GSSM)」を設置。
  • 1990年(平成2年)- 大塚キャンパスの法学系社会人大学院として「企業法学専攻」が追加設置される。
  • 1991年(平成3年)- 第三学群工学システム学類設置。
  • 1994年(平成6年)- 農林学類を生物資源学類に改称。
  • 1995年(平成7年)- 国際関係学類を国際総合学類へ改組。
  • 1996年(平成8年)- 大塚キャンパスの法学系社会人大学院に博士後期課程が追加され、「企業科学専攻」が設置される。
  • 1998年(平成10年)
    • 基礎工学類を工学基礎学類へ改組。
    • 大塚キャンパスの社会人大学院が経営・政策科学研究科から改組・再編され独立研究科として「ビジネス科学研究科」が設置される。
  • 2002年(平成14年)10月1日
    • 図書館情報大学と統合。
      • 春日キャンパス(筑波キャンパス春日地区)設置。
      • 図書館情報専門学群および大学院博士課程図書館情報メディア研究科を設置。
    • 医療技術短期大学部の学生募集停止。医学専門学群を改組し、医学類と看護・医療科学類を設置。
  • 2004年(平成16年)
    • 3月 - 図書館情報大学が最後の卒業生を送り出し、閉学。
    • 4月1日 - 国立大学法人筑波大学が発足。
  • 2005年(平成17年)
    • 4月1日 - 秋葉原キャンパス(東京キャンパス秋葉原地区)設置。
      • 専門職大学院であるビジネス科学研究科法曹専攻および国際経営プロフェッショナル専攻設置。
      • 大塚キャンパスは東京キャンパス大塚地区に名称変更。
    • 8月24日 - 同年7月22日限りで廃止された筑波キャンパスの「学内バス」(北地区〜春日地区を結ぶ循環路線)の代替として、新たに関東鉄道による「筑波大学循環」バス(つくばセンター発着)の運行開始。学生・関係者向けに低廉な定期運賃が設定される。
  • 2006年(平成18年)3月 - 医療技術短期大学部を廃止。
  • 2007年(平成19年)4月 - 本年度入学の学部一年生より、7学群(内専門学群4)15学類から9学群(内専門学群2)23学類に改組された新しい学群・学類に入学。
  • 2010年(平成22年)- 12月10日、嘉納治五郎先生之銅像除幕式(朝倉文夫作)が筑波大学会館前広場で挙行。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日 - 東日本大震災で被災。被害総額は70億円に達した[6]
    • 9月30日 - 旧・東京キャンパス大塚地区の再整備が完了したことを受け、東京キャンパス文京校舎の開所式を挙行[7]
  • 2013年(平成25年)9月30日 - 筑波大学石打研修所を廃止[8]

基礎データ[編集]

所在地[編集]

  • 筑波キャンパス(茨城県つくば市天王台一丁目1番地1)
  • 東京キャンパス(東京都文京区大塚三丁目29番1号)

象徴[編集]

シンボルマーク[編集]

校章や大学名書体、基本色などの規格と使用基準 (VI: Visual Identification System) を定めている[9]

スクールカラー[編集]

紫峰』という名の発行物もあるように紫色は筑波大学のキーワードとなっている。スクールカラーは「筑波紫」(HTML#6600CC) であるが、その使用は義務付けられてはいない。たとえば、全国レベルで活躍する蹴球部のユニフォームは青色、バレー部のユニフォームは緑色である。

校章[編集]

筑波大学の校章は「五三の桐葉型」である。この桐章は東京高等師範学校の附属小中学校(現・筑波大附属小同附属中・高)で1888年11月に校章として制定されたことに起源を持つ。これは明治天皇の行幸の際、皇室の御紋章である五七の桐章を校章に用いるようご沙汰を頂いたことによる。しかし五七の桐では不敬にわたることがあってはとの理由で五三の桐となった[10]

その後、母体である東京高師においても1903年に改定された「東京高等師範学校生徒徽章」で制定され、1949年製作の東京教育大学学生バッジにも受け継がれて現在に至る。「桐紋」と呼ばれる図形は、菊花紋章と並んで日本国の伝統的な紋章として用いられているが、筑波大学の校章は花の部分のみ「蔭」で表現される独特なものである。

スローガン[編集]

平成22年度より開学の理念を象徴するスローガンとして「IMAGINE THE FUTURE.」を使用しており、掲示物に取り入れられているほか、横断幕などが学内の至るところで掲揚されている。考案はOBの一倉宏による[11]

校歌・応援歌[編集]

公式配布物である学生便覧に学生歌『常陸野の』[注 4]および『筑波のガマ』[注 5]の歌詞が掲載されていることから、実質上の校歌になっていると言える。『常陸野の』は入学式、卒業式の時に歌われる。入学式には新入生に歌詞が配られ、伴奏のもと校歌練習が行われる。しかし、学生の中に浸透しているとは言い難く、体育会の学生の間では宣揚歌『桐の葉』[注 6]がよく歌われている。また、「IMAGINE THE FUTURE」の合唱等している学生も見受けられる。

筑波大学学生歌『常陸野の』
筑波大学開学間もない昭和50年1月に作られた歌である。東京教育大学から筑波大学への生まれ変わりを描いているとされる。
作詞は青木克彦、作曲は飯島睦子。
筑波大学学生歌「筑波のガマ」
筑波大学開学直後の時期の男子学生が(筑波大学の男子学生数は女子学生数の3倍にも上っていたため彼女を得たい一心で)学生宿舎の女子棟前で大声で歌っていたという笑い話が聞かれるが、事実ではない。実際には、『筑波のガマ』は少なくとも1980年まではほとんど歌われていない。
作詞は小田淳一、作曲は牧和美。
筑波大学宣揚歌『桐の葉』
東京高等師範学校時代の大正8年に大学昇格運動の一環として作成された。一番と二番の歌詞は当時学生であった大和資雄によるもので、三番の歌詞はのちに東京教育大学から筑波大学に改学される際に東京教育大学最後の学長である大山信郎によって加えられたもの。慶應義塾大学の応援歌が元曲である。
メッセージソング『IMAGINE THE FUTURE 〜未来を想え』
スローガンの制定に伴いメッセージソングとして新たにOBの吉川洋一郎によって作曲された。作詞はスローガンと同じく一倉宏[12]。最近では入学式・卒業式を始めとした公式行事で披露されることも多い。
校章『桐の葉』と新大団旗
筑波大学応援歌
  • 『立ちて勇姿を』
  • 『霊峰仰ぐ』
寮歌『桐花寮の歌』
旧東京教育大学校歌(東京師範学校、東京文理科大学校歌)

教育および研究[編集]

第3エリアから中央図書館を望む
5C棟
主に体育・芸術専門学群の講義で使用される。

学群・学類[編集]

教育研究上の基本となる組織の一つで、学生(大学院の学生などを除く)が所属する教育組織である。大学院が部局化されていない多くの大学の学部学科では教員と大学院生もこの中に含まれるが、学類/学系制では教育組織としての学群・学類と、教員および大学院生が所属する研究組織としての「学系」が異なる体系で存在している(この分類は、筑波大学以外に福島大学桜美林大学などで採用され、増加傾向にある)。

学群学類の再編(2007年度)[編集]

筑波大学の「学群・学類」制度は、学際性、文理融合などの観点に基づいていた。しかし、受験生や社会一般に対して理解しにくいという評価が長年あったことや、2000年から2001年にかけて行われた大学院の再編などを受け、学群・学類の再編成を行うことになり、2005年7月21日に正式発表された。

主な変更事項は以下の通り:

  • ナンバー学群制の廃止、学問内容による学群制の導入
  • 人間学類の学群化および主専攻レベルの学類化
  • 自然学類の主専攻レベルの学類化
  • 情報学類と図書館情報専門学群の「情報学群」化、情報メディア創成学類の新設
  • 工学基礎学類の名称変更
  • 医学専門学群の名称変更および看護・医療科学類の主専攻レベルの学類化

総定員に変更はない(2007年現在)。平成19年(2007年)度新入生から適用される。なお、2006年度までの学群学類制での入学者(および2008年度までの3年次編入学生)は卒業するまで、所属に関する変更は行わない予定である。

2007年度入学者からの学群構成[編集]

※2008年度までの3年次編入学生は従前の学群に属することとなる。

(学類名の右の△は専攻の学類化や新設された学類であることを表し、カッコ内は2007年の改組以前の組織での学類)
人文・文化学群
社会・国際学群
人間学群
生命環境学群
理工学群
情報学群
医学群
体育専門学群
芸術専門学群[注 18]
国際化拠点整備事業(グローバル30)
  • 社会国際学教育プログラム(受け入れは「社会・国際学群(社会学類、国際総合学類)」)
  • 生命環境学際プログラム(受け入れは「生命環境学群(生物学類、生物資源学類、地球学類)」)
  • 国際医療科学人養成プログラム(受け入れは「医学群(医療科学類)」)

2006年度入学者までの学群構成[編集]