筒石駅

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筒石駅
筒石駅2017.jpeg
駅舎(2017年7月)
つついし
Tsutsuishi
能生 (7.5km)
(4.2km) 名立
青.筒石駅、灰.旧筒石駅跡
所在地 新潟県糸魚川市大字仙納字大谷928[2]
所属事業者 えちごトキめき鉄道[1]
所属路線 日本海ひすいライン[1]
キロ程 40.9km(市振起点)
から50.3km
米原から335.4km
電報略号 ツツ[1]
駅構造 地下駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度-
15人/日(降車客含まず)
-2019年-
開業年月日 1912年大正元年)12月16日*[1]
備考 無人駅
* 1969年昭和44年)9月29日に現在地へ移転。
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筒石駅(つついしえき)は、新潟県糸魚川市大字仙納(せんのう)字大谷にある、えちごトキめき鉄道(ETR)日本海ひすいラインである[1]

歴史[編集]

北陸本線のもっとも東側の区間は、直江津駅を起点として1911年(明治44年)に起工され、同年7月1日に名立駅まで、そして1912年(大正元年)12月16日に糸魚川駅まで開通した[3]。この糸魚川延長の際に筒石駅も開設された[4]。筒石の集落が積極的に駅の誘致運動をおこなったが、当時の村長が藤崎集落出身であったことから、筒石と藤崎の中間付近に駅が設置されることになった。また当時は磯部村に属していたことから、磯部駅との名前が提案されたが、群馬県内の信越本線磯部駅が既に存在していたため、筒石駅という名前が採用されることになった[5]。1913年(大正2年)4月1日、青海駅 - 糸魚川駅間の開通に伴って北陸本線が全通し、それまで信越線と呼ばれていた直江津 - 糸魚川間も北陸本線の一部となって[6]、当駅は北陸本線の駅となった。

開業してからは、豊漁になると貨車に魚箱を積み込むために婦人たちが列をなし、また高田方面へ行商に行く人たちで賑わっていた[5]。しかし当初から地すべりに悩まされる駅で、駅構内の線路が変形しホームまで土砂が押し寄せる事態が数度繰り返された[7]

1963年(昭和38年)3月16日16時過ぎ、能生町小泊において大規模な地すべりが発生し、能生駅を出発した直後であった敦賀発直江津行き7両編成の普通列車が崩壊区間に突っ込む事故が起きた。地元の住宅約30戸が地すべりに巻き込まれて全壊し、死者2名、行方不明者2名を出し、機関車は日本海まで押し流されたものの、列車の乗員乗客約150名は全員が無事であった。この災害により20日間にわたって北陸本線が不通となった[8][9][注釈 1]

こうした防災上の問題点を抱えていたことに加え、この当時北陸本線の輸送需要が増加しつつあって線路容量の低いこの付近が隘路となっていたことから早期の複線化が望まれ、1963年(昭和38年)6月14日に複線化ルートの調査が開始された[10]。この結果、現在線では地すべりの時期も規模も予想困難で、抜本的な防止対策は不可能であり、危険度の高い地域を避けて新線を建設する必要があると結論付けられた[11]。これに基づいてAからCの3つのルートが立案されて比較検討された[12]

こうした検討のための地質調査を1964年(昭和39年)1月に完了したが、この際に相当内陸側まで調査を行っていたことや、当時世界最長となるトンネルの構想があることなどが新聞で先に報じられていたことから、地元では現在の路線と駅がなくなることへの不安が広がり、反対運動が開始された。多数の通勤通学旅客がバス輸送に転移しなければならないこと、鮮魚の搬出輸送ができなくなること、商工業に打撃があること、海水浴場の営業に問題があることなどが反対の論点で、影響を受ける糸魚川市能生町名立町などが連携して反対運動を行った。国鉄の地質調査委員会は3月に現在線の線増工事は不可能と結論を出したことから、各市町で反対決議がおこなわれ、反対運動が激化することになった。特に、もっとも長いトンネルとなる案では名立町には駅がなくなることから、名立町から強い反発があった。現在線を複線電化することが要望され、また新潟県ではトンネル案が実現する場合は現在線をローカル線として残すという提案もなされた。国鉄が検討した現在線に近い新ルートにおいて、名立駅は現在駅より約800メートル山側に移設して存続という提案がなされたことから、名立町では妥協する動きが生まれ、事実上反対運動を終結した[13]

一方能生町では、筒石駅がなくなることへの反発が強く、現在線と現在駅を維持することは難しい情勢になってきたことを考えて、新ルート上に筒石駅を造る運動に切り替えるようになった。地元では、新ルートをできるだけ海岸沿いに寄せて、筒石谷でトンネルから出て、そこに従来と同じ規模と機能を持つ筒石駅を設置するように要望したが、国鉄は技術的には斜坑を通路として連絡する地下駅しか建設できないと説明し、極めて不便な駅を約1億円かけて建設するよりは、バス輸送で代替することを提案した。しかし地元の筒石駅設置への主張は変わらず、国鉄も筒石駅を設置しないことで着工が遅れるばかりでは困るということから、ついに1965年(昭和40年)3月19日に国鉄幹部の間で筒石駅のトンネル内設置を説明する会合が実施された。従来頸城トンネルの建設に際して、濁澄斜坑を計画していたのを筒石斜坑に変更して、この斜坑を通路として地下駅を設置する内容であった。同年10月20日、能生町と工事に関する覚書を交換し、地元がトンネル残土の処分に協力することと引き換えに筒石駅が移転存続することになった[14]

1966年(昭和41年)3月1日に複線電化工事の起工式が行われた[15]。浦本 - 有間川間は1969年(昭和44年)9月29日に新線に切り替えられ、筒石駅も新駅に移転した[15]。10月1日付で貨物営業を廃止し、旅客駅となった[16]

こうして筒石駅は地下駅となって営業が継続された[5]。1984年(昭和59年)2月1日には荷物の取扱を廃止し[7]、1987年(昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化が実施されると、北陸本線は西日本旅客鉄道(JR西日本)の所属となり、筒石駅もJR西日本に承継された[16]。2015年(平成27年)3月14日、北陸新幹線長野 - 金沢間開業に際して、並行在来線としてこの区間の北陸本線は経営分離され、筒石駅もえちごトキめき鉄道の所属となった[1]

年表[編集]

駅構造[編集]

筒石駅上りホーム(JR西日本時代)

駅舎は海抜約60メートルの地点に位置するが、上下線ともホームは全長11,353メートルの頸城トンネル内(海抜約20メートル)にある[1]。駅舎は鉄骨造平屋建て延べ床面積61.6平方メートルである[24]

トンネルのプラットホーム設置部分は断面積を抑えながらホームを設置するため、側面に幅2メートルの片面ホームをトンネルの片方の側面に設置する特殊断面とし、これを上下線でずらして互い違いに配置する相対式2面2線である[1]。直江津方面行きのホームが市振寄りに、金沢・富山方面行きのホームが直江津寄りにあり、どちらもホームの長さは140メートルある[25]分岐器絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。

駅舎の改札口からホームまでは、途中まで建設時の斜坑(筒石斜坑)を活用した階段で降りて行き[26]、途中で上りと下りそれぞれのホームへと分岐している。改札から下りホームまでは290段[1][27]176メートル、同じく上りホームまでは280段[1][27]212メートルである。エスカレーターエレベーターは設置されていない[26]

列車が通過する際ホームは風穴のようになるため、風圧によって非常に強い風が吹き抜ける。このためホームと通路とは頑丈な引き戸で遮断されており、待合所もこの扉の内側にある[1]

のりば[編集]

ホーム 路線 方向 行先
西側 日本海ひすいライン 下り 直江津方面
東側 上り 富山金沢方面
  • 案内上ののりば番号は設定されていない。
1.地上駅舎、2.地下通路、3.上下ホームへの分岐、4.上り待合室、5.地下ホーム

有人駅時代の駅業務[編集]

後述のように1日の乗車客数は20人前後であるが、ホームがトンネル内にある特殊な構造となっていることから、危険防止のため駅員が配置されていた。JR西日本時代末期はジェイアール西日本金沢メンテックのへ業務委託し、委託駅員5名が交替で24時間年中無休で常駐し、窓口業務のほか列車到着ごとにホームでの安全確認や乗降客への案内と地上駅舎への連絡を行っていた(JR時代の管理元は糸魚川地域鉄道部)。普通列車到着時は、必ず地上の駅員がホームまで降りて客の乗降に立ち会い、ホームから客が全員退去したことを確認していた[28]

えちごトキめき鉄道移管後も引き続きジェイアール西日本金沢メンテックが業務を委託されていたが、5名配置されていた駅員は3名に減らされ、1名の駅員で駅舎での出札業務とホーム上での集札業務を兼務するかたちとされた。その後、2017年に業務がえちごトキめき鉄道直営とされた際に改札からホームへの通路上に監視カメラを設置した。同時に駅員配置は日中のみに短縮し集札業務を取りやめ、ワンマン列車においては終日車内精算となっている。

2019年になり1日平均利用客数が20人前後と落ちこんでいることを受け、同年3月16日より無人化された[23]

駅スタンプなど[編集]

JR時代には赤い地紋の青春18きっぷ(赤券)を発売していた[29][30]。特殊な駅構造を反映し、駅スタンプも「日本でも珍しいトンネル地下駅」であった。2007年(平成19年)4月からは入場券購入者に対し、絵はがき状の「入坑・入場証明書」を希望者に配布している[27]。これらはえちごトキめき鉄道移管後も無人化まで継続されていた。

無人化後は、来駅記念入場券を糸魚川駅能生駅直江津駅の窓口で販売している。

利用状況[編集]

2019年(令和元年)度の1日平均乗車人員15人である[31]

近年の1日平均乗車人員の推移は下記の通り[32][33][34]

年度 1日平均
乗車人員
2004年 68
2005年 67
2006年 62
2007年 57
2008年 59
2009年 60
2010年 49
2011年 46
2012年 42
2013年 39
2014年 37
2015年 29[35]
2016年 28[36]
2017年 23[37]
2018年 19[38]
2019年 15[39]

駅周辺[編集]

筒石駅の入口を示す看板(2016年3月24日)
筒石駅の入口を示す看板(2016年3月24日)
北陸自動車道高架下より筒石漁港方面を望む

駅舎からしばらく曲がりくねった坂道を登ると数戸の人家がある。そこから北東方向に300メートルほど起伏のある道を進み、北陸自動車道高架をくぐったあたりで眼下には日本海が見えるようになる。そこからさらに北東方向へ下り坂を500メートルほど行った海辺に筒石の集落が開けている。

1969年(昭和44年)9月の移転前の筒石駅は集落から西に少々離れた海岸沿いにあり、跡地には石碑が建っている。

筒石の集落には小学校郵便局がある。また筒石の海辺には国道8号が所在する。

路線バス[編集]

筒石学校下バス停

隣の駅[編集]

えちごトキめき鉄道
日本海ひすいライン
能生駅 - 筒石駅 - 名立駅

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 『越後の停車場』では3月18日と記載しているが、『能生町史 下巻』および『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』がいずれも3月16日と記載のため、こちらを採用した。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 鉄道友の会新潟支部『新潟県鉄道全駅 増補改訂版』新潟日報事業社、2015年6月30日、246頁。ISBN 9784861326066。
  2. ^ 沿線ガイド(筒石駅)日本海ひすいライン|えちごトキメキ鉄道”. えちごトキメキ鉄道. 2020年5月2日閲覧。
  3. ^ 『能生町史 下巻』p.155
  4. ^ 『能生町史 下巻』pp.156 - 158
  5. ^ a b c 『越後の停車場』p.148
  6. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』1巻 p.161
  7. ^ a b c 『能生町史 下巻』p.159
  8. ^ 『越後の停車場』pp.145 - 147
  9. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』p.1
  10. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』pp.1 - 2
  11. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』pp.7 - 8
  12. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』pp.9 - 10
  13. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』pp.14 - 18
  14. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』pp.18 - 24
  15. ^ a b 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』p.37
  16. ^ a b c 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2巻 p.142
  17. ^ 大正元年12月13日鉄道院告示第51号(『官報』第112号、大正元年12月13日、印刷局)
  18. ^ 大正2年3月26日鉄道院告示第14号(『官報』第194号、大正2年3月26日、印刷局)
  19. ^ 写真『鉄道物語』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 『最近国有鉄道災害記録』鉄道省工務局 編 (鉄道技術者新聞社, 1936)
  21. ^ 祖田圭介「北陸本線の線路改良,駅構内配線の興味」『鉄道ピクトリアル』第59巻第8号(通巻821号)、鉄道図書刊行会、2009年8月1日、 pp.15-23、 ISSN 0040-4047
  22. ^ 郡司武編、『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR13』(『週刊朝日百科』2009年(平成21年)10月11日号)、朝日新聞出版
  23. ^ a b 筒石駅の駅員無配置駅(無人駅)化について”. えちごトキめき鉄道 (2018年2月18日). 2018年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月18日閲覧。
  24. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』p.618
  25. ^ 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』p.614
  26. ^ a b “頸城トンネル内の筒石駅 閉ざされた異空間 地上に駅舎、ホームは地下40メートル/新潟”. 毎日新聞. (2018年8月10日). https://mainichi.jp/articles/20180810/ddl/k15/040/052000c 2019年1月24日閲覧。 
  27. ^ a b c 糸魚川市 鉄道だよりウラ 並行在来線沿線を巡る”. 糸魚川市. 2018年8月23日閲覧。
  28. ^ “笑顔が似合う不便なホーム 筒石駅(新潟県、JR北陸線)”. 朝日新聞デジタル. (2011年7月26日). http://www.asahi.com/travel/hitoekigatari/TKY201107250434.html 2019年1月24日閲覧。 
  29. ^ “地鳴り 青春18きっぷで楽しみな旅”. 北國新聞 (北國新聞社). (2002年7月5日) 
  30. ^ “(ひとえきがたり)筒石駅 新潟県、JR北陸線 笑顔が似合う不便なホーム”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 5(夕刊be火曜3面). (2011年7月19日) 
  31. ^ えちごトキめき鉄道ご利用状況
  32. ^ 令和元年度統計いといがわ 第10章 運輸・通信 (PDF)”. 糸魚川市. 2020年4月29日閲覧。
  33. ^ 平成27年度統計いといがわ 第10章 運輸・通信 (PDF)”. 糸魚川市. 2015年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月29日閲覧。
  34. ^ 平成24年度統計いといがわ 第10章 運輸・通信 (PDF)”. 糸魚川市. 2013年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月29日閲覧。
  35. ^ 平成27年度の乗車状況” (日本語). えちごトキめき鉄道. 2016年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月17日閲覧。
  36. ^ 平成28年度の乗車状況” (日本語). えちごトキめき鉄道. 2017年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月17日閲覧。
  37. ^ 平成29年度の乗車状況” (日本語). えちごトキめき鉄道. 2019年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月17日閲覧。
  38. ^ 2018年度の乗車状況” (日本語). えちごトキめき鉄道. 2019年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月17日閲覧。
  39. ^ 2019年度の乗車状況” (日本語). えちごトキめき鉄道. 2020年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月17日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『能生町史 下巻』能生町史編さん委員会、能生町役場、1986年6月30日。
  • 『越後の停車場』朝日新聞新潟支局、朝日新聞社、1981年12月15日。
  • 『北陸本線糸魚川・直江津間線路増設工事誌』日本国有鉄道岐阜工事局、日本国有鉄道岐阜工事局、1970年3月25日。

関連項目[編集]