答ホン春初

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本来の表記は「答㶱春初」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

答㶱 春初塔本 春初、とうほん しゅんそ、生没年不詳)は、百済官吏、武人。官位は達率。故国の滅亡に伴い、白村江の戦いの後に倭国日本)へ亡命した。

記録[編集]

日本書紀』によれば、兵法にすぐれ、天智天皇4年(665年)秋8月に長門国へ派遣されて古代山城を築いた。

懐風藻』によると、皇太子となった大友皇子の賓客として、沙宅紹明吉大尚許率母木素貴子らとともに重用されたとある[1]

また、天智天皇10年(671年)1月には大山下の冠位を授けられた。

息子に神亀元年(724年)5月に改氏姓した文官・歌人の麻田陽春英語版がいる[2]。麻田連氏は、『新撰姓氏録』「右京諸蕃下」に「出自百済国朝鮮王淮也」とあり、答㶱(答本)氏も箕子朝鮮準王を祖先としていたことが分かる。

脚注[編集]

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  1. ^ 『懐風藻』淡海朝大友皇子二首 序文より
  2. ^ 答〓(“火へん”に「本」)春初(とうほん しゅんしょ)とは - コトバンク”. 2017年2月12日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]