節分

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葛飾北斎画:『北斎漫画
『節分の鬼』豆撒き
『吉田神社追儺』 - 都年中行事画(1928年

節分(せつぶん/せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春立夏立秋立冬)の前日のこと。節分とは「季ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。
太陰太陽暦(旧暦)では、立春に最も近い新月を元日とし、月(太陰)の満ち欠けを基準(月切)にした元日(旧正月)と、太陽黄経を基準(節切)にした立春は、ともに新年ととらえられていた。したがって、旧暦12月末日(大晦日)と立春前日の節分は、ともに年越しの日と意識されていたことになる。今も節分を「年越し」「年取り(数え年とは、生まれた日を1歳とし、誕生日に関係なく新年に皆が年を取る数え方)」と呼ぶ地域があるのはこの名残である。
本項目では、立春の前日、およびその日に行われる伝統的な行事について述べる。

一般的には「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆(煎り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行う。また、邪気除けの柊鰯などを飾る。これらは、地方や神社などによって異なってくる(後述)。

概要[編集]

季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われる。

宮中での年中行事であり、『延喜式』では、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っていた。

「土牛童子」ともいわれ、大寒の日の前夜の夜半に立てられ、立春の日の前夜の夜半に撤去された。『延喜式』によれば、土偶(土人形の意)も土牛も、各門での大きさは同じで、土偶は高さ2尺で、方1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。土牛は高さ2尺・長さ3尺で、長さ3尺5寸・広さ1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。陽明門および待賢門には、青色のものを、美福門および朱雀門には、赤色のものを、郁芳門、皇嘉門、殷富門および達智門には、黄色のものを、藻壁門および談天門には、白色のものを、安嘉門および偉鑒門には、黒色のものを、立てる。『公事根源』十二月には、「青色は春の色ひんかしにたつ赤色は夏のいろ南にたつ白色は秋のいろ西にたつ黒色は冬の色北にたつ四方の門にまた黄色の土牛をたてくはふるは中央土のいろなり木火金水は土ははなれぬ理有」とある。

これは、平安時代頃から行われている「追儺」から生まれた[1]。元々中国から伝わったの行事は日本に定着していき、現在の節分の元となった [2]

続日本紀慶雲三年十二月の条によると706年にこの追儺が始まり(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺」とある)、室町時代に使用されていた「の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となって行った。

近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、当日の夕暮れ、の枝にの頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった[1]

日付[編集]

節分の日付(未来は予測)
4で割った余り
1 2 3 0
1873年 - 1884年 3日 3日 3日 3日
1882年 - 1900年 2日 3日 3日 3日
1901年 - 1917年 3日 4日 4日 4日
1915年 - 1954年 3日 3日 4日 4日
1952年 - 1987年 3日 3日 3日 4日
1985年 - 2024年 3日 3日 3日 3日
2025年 - 2057年 2日 3日 3日 3日
2055年 - 2090年 2日 2日 3日 3日
2088年 - 2100年 2日 2日 2日 3日
2101年 - 21??年 3日 3日 3日 4日

現在は毎年2月3日であるが、これは1985年から2024年ごろまでに限ったことであり、常にそうではない。

1984年までは、4年に1度の閏年2月4日だった。2025年から(2021年からになる可能性あり)は閏年の翌年に2月2日になる。グレゴリオ暦での最初の節分となった1873年から22世紀初頭までの具体的な日付は表のようになる(重複している年はどちらの欄を使っても正しい日付が出る)。数十年のスケールで徐々に前倒しになってくるが、4で割り切れても閏年とならない1900年2100年2200年……の翌年に1日遅れて帳消しとなる。

立春の前日であり、立春は太陽黄経が315度となる日である。このように、間接的に天体の運行に基づいているので、日付は年によって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできない。なお厳密には、基準とする標準時によっても異なるが、日本以外では祝う風習がないので、旧正月のように国による日付の違いが話題となることはない。

年内節分[編集]

太陰太陽暦では、19年に7回閏月を加え閏年とするため、年末に立春を迎えることがある。それに伴い節分も年内となる。これを年内節分という。

九星[編集]

暦注において、年の九星は立春をもって切り替わるので、節分までは前年の九星となる。

豆まき[編集]

神社における豆撒きの様子
家庭の豆撒きで使用する豆とお面

邪気を追い払うために、古くから豆撒きの行事が執り行われている。室町時代の百科事典『壒囊鈔』巻一の八十三「節分夜打大豆事」によれば、宇多天皇の時代に、鞍馬山の僧正が谷と美曽路池(深泥池)の端にある石穴からが出て来て都を荒らすのを、祈祷し、鬼の穴を封じて、三石三升の炒り豆(大豆)で鬼のを打ちつぶし、災厄を逃れたという伝承に由来するとしている[3]。豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある[1]

豆を撒き、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。また、自分の年の数の1つ多く食べると、が丈夫になり、風邪をひかないという習わしがあるところもある。初期においては豆は後方に撒くこともあったと言う。

方法[編集]

豆をまく際には掛け声をかける。室町時代の相国寺の僧侶、瑞渓周鳳の日記である『臥雲日件録』の文安4年(西暦1448年)12月22日の記述には「散熬豆因唱鬼外福内」とある[4]ように、掛け声は通常「鬼は外、福は内」である。

しかし、地域や神社によって異なる場合がある。鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている[1]。奈良県吉野町の金峯山寺で行われる節分会では役行者が鬼を改心させて弟子にした故事から「福は内、鬼も内」としている[5]。また新宗教大本は鬼神を「艮の金神国常立尊)」と解釈しているので、同じく「鬼は内」とする[6]。「鬼」の付く(比較的少数だが「鬼塚」、「鬼頭」など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多いという。山形市の鳥海月山両所宮でも鬼の字が姓に含まれる世帯もあることから、掛け声を「鬼は外、福は内」だけでなく「福は内、鬼も内」としている[7]。大名九鬼家の領地でも、藩主に敬意を表して「鬼は内」としている[8]。また、丹羽氏が藩主であった旧二本松藩領内の一部では「鬼は外」と言うと「おにわそと」転じて「お丹羽、外」となるため、それを避けるために「鬼、外」と言う所がある[9]

使用する豆は、お祓いを行った炒った大豆(炒り豆)である。豆を神棚に供えてから撒く地方もある。炒り豆を使用するのは、旧年の厄災を負って払い捨てられるものであるため、撒いた豆から芽が出ては不都合であったためであるという。北海道・東北・北陸・南九州の家庭では 落花生を撒き、寺社や地域によっては餅や菓子、みかん等を投げる場合もあるが、これは「落花生は大豆より拾い易く地面に落ちても実が汚れない」という合理性から独自の豆撒きとなった[10]

かつては、豆のほかに、米、麦、かちぐり、炭なども使用されたという。豆まきとなったのは、五穀の中でも収穫量も多く、鬼を追い払うときにぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったからとする説もあるが定かではない。

近代の傾向[編集]

大國魂神社節分祭 新横綱稀勢の里関の豆まき(2017年2月3日撮影)

スーパーマーケットなどの特設コーナーで、炒った豆をパックにし、福豆(ふくまめ)などの名称で販売される。鬼のお面(お多福の面が入っている商品もある)がおまけとしてついているものもあり、父親などがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げる。しかし、元来は家長たる父親あるいは年男が豆を撒き鬼を追い払うものであった[1]

小学校では5年生が年男・年女にあたるため、5年生が中心となって豆まきの行事を行っているところもあり、神社仏閣と幼稚園保育園が連携している所では園児が巫女稚児として出る所もある。相撲力士を招いて(醜・しこ・四股を踏む事により、凶悪な鬼を踏みつけ鎮める悪魔祓いをする)豆撒きをする社寺もある。

豆が幼児の鼻や耳に入ってけがをする危険やアレルギーなどを考慮して、豆の代わりに新聞紙を丸めて豆まきを行う乳幼児施設もあり[11]、もはや豆まきではないとも言えよう。

その他の民俗[編集]

邪気・魔物・妖怪[編集]

  • 付喪神 - 立春前の「煤払い」に廃棄された古道具の精霊「付喪神」が腹を立て、節分の夜に妖怪となって一揆を起こす物語が『付喪神絵巻』に記されている。
  • 百鬼夜行 - 節分に鬼や妖怪などが深夜に群れ歩く「百鬼夜行」が現れるとする、『増補下学集』(山脇道円)などの文献もある。
  • 一本足 - 奈良県吉野郡中龍門村(現・吉野町)では節分の日に「一本足」が現れるのを防ぐため、ヤイカガシを玄関に掲げる風習がある。
  • 銭貸し - 節分の夜に銭の入った袋を担いで四つ辻に現れる。銭を貸してくれるが、次の節分の夜に返さなければ、恐ろしい事になるといわれる。
  • カイナデ(カイナゼ) - 京都で、節分の夜に便所で尻を撫でるとされる妖怪。「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」と唱えると避けられるという伝承がある。

魔除け[編集]

柊鰯[編集]

門口に挿した「やいかがし」

柊の小枝と焼いた鰯の頭、あるいはそれを門口に挿したもの。西日本では、やいかがし(焼嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいう。

虫の口焼き」といって、鰯を焼くときに唾を吐きかけ、作物の害虫を退治する呪文を唱える地域が各地にある[12]

鬼ぐい[編集]

愛媛県では、タラノキトベラやヒイラギの葉と煮干しを括り付けた「鬼ぐ(喰)い」を戸口につるす風習がある[13]。「鬼バラ」という地域もある。山口県の瀬戸内地域にもタラノキや山椒の枝にトベラやすすきを挿す同様の習慣がある[14]

目籠[編集]

  • 千葉県では目籠を逆さまにして竹竿に吊るし、鰯の頭を大豆の枝に刺したものとヒイラギ・グミの枝を束ねて門口に刺し、鬼が近づかないようにする[15]
  • 静岡県の中西部では、目籠にハナノキビンカを結び付けて竹竿に吊るし、軒先高くに掲げて鬼を払う「鬼おどし」と呼ばれる習慣がある[16]
  • 山梨県では、目籠とネズの枝をしばり付けた長い竹竿を庭先に立て、籠の目を鬼の目として豆を投げてこの目をたくさんつぶすと一年の災いや不幸が減少するという信仰があり、昭和30年代まで盛んに行われていた[17][18]
  • 岐阜県恵那地方では、割り箸に刺したイワシの頭としっぽ、柊または馬酔木の枝を目籠に挿して、玄関に置く。鬼が玄関前で立ち止まり、籠の目を数え始めるとされる[19]

護符[編集]

  • かにかや・蟹柊・蟹柊鰯 - 長野県上伊那には、5cm角程度の紙片に「かにかや」などと書いて家や便所・土蔵・納屋等の出入口の戸に貼りつける習慣があった[20]。これを読んだ鬼は意味が分からず迷っているうちに夜が明けてしまうとされる。
  • 十三月 - 岐阜県東農地方には、「十三月」と書いて柊鰯とともに門口に貼る習慣がある[21]
  • 角大師・豆大師 - 東日本には元三大師の護符を節分に頒布する寺院がある[22]

厄祓い[編集]

四つ辻[編集]

節分の夜に炒り豆を年の数だけ紙に包み、人知れず家に近い四つ辻の真ん中に捨てて、振り返らずに家まで戻り、厄を落とす風習が各地にある[23]。豆ではなく、[24]、金銭[25]、火吹竹、炮烙、ふんどし[26]、履物[27]などのこともある。

節分お化け[編集]

「お化け」と呼ばれる事もある。一説では、当初は子供の様な格好をしたことから「お坊髪」と呼ばれ、それが「お化け」になったともされている。 厄払いのために、普段と違う服装で社寺参拝を行う。いつもと違う扮装をすれば、魔を追い払うことが出来る、と信じられたことから始まったもの[1]

東京の浅草、四ツ谷、京都の花街、大阪の北新地などでは、芸者舞妓芸妓)やホステスが、通常の芸妓衣装ではない、様々な扮装をする。

参詣[編集]

櫛田神社の大お多福面
  • 大お多福面 - 福岡県下では、節分の時期、神社に「大お多福面」が設置され、大きな口をくぐると、商売繁盛や家内安全などの御利益があるとされている。

占い[編集]

豆占[編集]

豆を並べて焼き、焦げ具合からその年の作柄や月ごとの天候を占う[29]

初夢[編集]

文献での初夢の初出は、鎌倉時代西行が著した『山家集』巻上(1首目)の「年くれぬ 春くべしとは 思ひ寝に まさしく見えて かなふ初夢」である。その題に「立春の朝よみける」とあり、この時代には暦上の新年とは無関係に節分から立春の夜に見るを初夢としている[30]

行事食[編集]

炒り豆と恵方巻
  • 福豆 - 「炒り豆の花が咲く」とはあり得ないことが実現することを例えたことわざ。厄払いに用いた豆から芽が出ないようにしっかりと炒って、数え年の数だけ食べる。福豆を保存しておき、初雷(立春後最初の雷)が鳴ったら食べると病気をせず健康に過ごせる、魔除けになる、落雷の災いから免れる、という風習が各地にある。
  • 節分鰯
    • 西日本には節分にの焼き魚を食べる「節分いわし」の風習がある。
    • 奈良県大和高原地域では鰯をアラメで巻いた「め巻き」を食べる[31]
  • 福茶 - 福豆(大豆)と昆布梅干しなどの具に煎茶や湯を注いだ茶。
  • なた餅 - 遠州から三河にかけての風習で、一升餅から数え年の数だけ餅を取り、きな粉をまぶして厄落としの餅とする[32]
  • 節分蕎麦 - 文化11年(1814年)刊『大坂繁花風土記』にある年中行事の条に「十二月三十日 晦日そばとて、皆々そば切く(喰)ろふ。当月節分、年越蕎麦とて食す」「正月十四日 十四日年越とて、節分になぞらへ祝ふ。この日そば切を食ふ人多し」とある[33]。本来は節分に食べる蕎麦を「年越蕎麦」と呼び、大みそか(旧暦)に食べる「晦日そば」と区別していた[34][35][36]。明治の改暦により「年越し」が節分から新暦の大みそかに移ったため、しだいに年越し蕎麦は大みそかに食べられるようになっていった。しかし、節分に蕎麦を食べる習慣を残す地域もあり「節分蕎麦」と呼んで区別するようになった。
  • 麦飯
    • 大坂船場安土町の水落家の「行事帳」文政6年(1823年)に記された節分の行事食に「塩いわし 麦飯」とある。また、大坂町奉行久須美祐雋が安政3年(1856)正月22日に起筆した随筆『浪花の風』には「節分大晦日には必らず麦飯を焚て、赤いわしを添へて祝ひ食ふ。」とある。さらに、上方落語の「厄払い」には「年越しの晩はどこのお家(うち)でも、みな麦ご飯にイワシを焼いて、それをおかずにして食べなはるなぁ」というくだりがあり、神戸まで電車が通じている時代設定になっている[37]。これらのことから江戸時代から近代まで、大阪の多くの家庭では麦飯に鰯が節分の食事であったことがわかる。
    • 奈良県では麦飯を炊くことを「麦をよます」と言い、「ようまわす」(良い世の中になる)ように験を担いで食べる[31]
  • とろろ芋 - 長野県では麦飯にとろろ汁をかけて食べる。トリガチと言って早食いをする。寒明けに胃袋を試すため大食するのが目的であるとする[38]
  • 恵方巻 - 恵方を向いて無言で食すると縁起が良いとされる[39]巻寿司
  • 蒟蒻 - 「腸の砂おろし」と呼び、「体内にたまった砂を出す」として食べる[40]
  • ナマコ - 島根県隠岐では「砂おろし」と称し、ナマコを酢の物にして食べる習慣がある[41]
  • 水菜の辛子和え - 奈良県では麦飯や鰯のめ巻きとともに水菜の辛子和えを食べる[42]
  • カナガシラ(魚) - 長崎県ではその名が「お金が貯まる」に通じるとして、節分に食べる風習がある。
  • 鯨料理
    • 青森県八戸市鮫町蕪嶋神社「節分厄除祭」では、直会にくじら汁を食べる習慣がある[43]
    • 大坂船場安土町の水落家の「行事帳」文政6年(1823年)に、節分の行事食として「汁 くじら、大こん」とあり、江戸時代に大坂船場の商家ではくじら汁を食べる習慣があったことがわかる。
    • 山口県では「大きなものを食べると縁起が良い」として鯨料理を食べる風習がある[44][45]
    • 長崎県では「金頭(かながしら)の煮付け」や「尺八イカの煮付け」とともに「鯨の百尋(ひゃくひろ)」が節分の伝統料理として食べられていた[46]
  • 粕汁 - 奈良の寺院では、節分会にあたり関係者に振る舞われる[47][48]
節分福引せんべい
  • がらがら・福引煎餅 - 小麦粉と卵黄に砂糖で味付けた生地を焼いた煎餅の中におもちゃや縁起物の入った伝統的な食玩駄菓子。がらがらは、山梨県甲府市の大神宮節分祭の名物[49][50]。また、福引煎餅は、三重県津市で食べられる厄除けの煎餅。
  • 切山椒 - 切山椒は、糝粉に砂糖と山椒を炒った粉をまぜた生地を蒸して搗き、拍子木形に切って作った餅菓子で、山梨県甲府市の大神宮節分祭の名物[49]
  • 小判菓子 - 福井県小浜市で「一生お金に困らないように」と、炒り豆とともに神棚に供えて食べる小判の形をした縁起物の焼き菓子[51]

節分祭・節分会[編集]

神社では節分祭(せつぶんさい)、寺院では節分会(せちぶんえ・せつぶんえ)の呼称が一般的である。

神社[編集]

春日大社節分万灯籠

寺院[編集]

宝光院節分会はだか祭り
壬生狂言
  • 壬生寺(京都府京都市中京区) - 壬生狂言が行われる
  • 東大寺奈良県奈良市) - 節分万灯明・星祭。日中、古くなったお札やお守り等を火にあげる儀式「還宮(げんぐう)」と二月堂の舞台の上から「節分豆まき」が行われる。星に「除災与楽」を祈る法会「星祭り」は、二月堂本堂に万灯明を灯し、「星曼荼羅」を掲げて勤められる。
  • 元興寺(奈良県奈良市) - 節分会柴燈大護摩供。山伏が弓矢と剣で魔を祓い、不動明王を勧進した大護摩を焚いて、山伏と一般参列者が火渡り行をする。八雷神や元興神の鬼の発祥地であるので、「福は内、鬼は内」と豆まきをする。
  • 興福寺(奈良県奈良市) - 追儺会・鬼追い式。松明をかざして暴れまわる3匹の鬼が、毘沙門天によって退治された後、大黒天打出の小槌で参拝者に福を授ける。年男による福豆まきが行われる。
  • 法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町) - 追儺会。西円堂の周囲を回りながら松明を投げる鬼3匹を毘沙門天が退治。鬼の魔性を調伏する。
  • 安倍文殊院(奈良県桜井市) - 節分銭ぶつけ厄払い大法要。恵方に当たる方位守護仏に年齢と同数の一円玉を投げ、厄除けをする。
  • 信貴山朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町) - 節分鬼追式。鬼が松明や金棒を持ち本堂から僧侶や年男に追われ逃げ回る。鬼は寺内だけにおさまらず、里の家にも押しかける。
金峯山寺節分会
  • 金峯山寺蔵王堂(奈良県吉野郡吉野町) - 節分会・鬼火の祭典。「福は内、鬼も内」と唱え、全国から追われてきた鬼を迎え入れ、経典の功徳や法力と豆まきによって、鬼たちを仏道に導く。
  • 石手寺愛媛県松山市) - 鬼に豆をぶつけるのではなく鬼が参拝者を「ささら」と呼ばれる竹の棒で叩き、厄を落として福をもたらす。

その他[編集]

  • 鬼恋節分祭(群馬県藤岡市) - 「福は内、鬼は内」。鬼呼び豆まき。合併で消滅した鬼石町の名にちなむ
  • 鬼岩福鬼まつり(岐阜県御嵩町) - 「鬼は内」
  • 鬼の豆広島県三原市) - 子供たちが民家や店などを訪ね「鬼の豆ちょうだい」と言ってお菓子をもらう風習がある[54]

関連作品[編集]

  • 狂言
    • 「節分」 - 人妻に恋した鬼が、隠れ蓑、隠れ笠、打出の小槌を差し出して家に入れてもらうが、最後は豆を投げて追い出される。
    • 「福の神」 - 福の神の社に年越しの参拝にきた2人の男の前に福の神が現れ、神酒を飲みつつ豊かになる秘訣を諭す[55]
  • 歌舞伎
    • 「三人吉三廓初買」安政7年(1860年)初演、河竹黙阿弥作 - 「大川端の場」は、節分におとせという夜鷹から、百両の金を奪ったお嬢吉三が名ぜりふを発する[56]
  • 小唄
    • 「吉三節分」田島断、岡野知十作詞、草紙庵作曲 - 上記歌舞伎の名ぜりふを小唄にしたもの[57]
  • 落語
    • 「節分」(東京) - 夫婦が節分の掛取りをいかにやり過ごすかを描く[58]
    • 「厄払い」(上方) - 節分に現れる「厄払い」の姿を描く[59]
  • 文学
    • 「鬼の角」(小説) 泉鏡花作、1894年。
  • 音楽
    • 「豆まき」(童謡) - 作詞 日本教育音楽協会、作曲 日本教育音楽協会

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f 鈴木昶「くすりと民俗2:疫病追い出す節分」、『月刊漢方療法』第12巻第11号、2009年2月、 p.p.74-76。
  2. ^ 故郷の村人たちと酒を飲み交わした時には、お年寄りより先に部屋を出てはならない。村人たちが儺(おにやらい:旧暦の大晦日に鬼や邪気を祓う儀式 ) をする時には朝服を着て東側の階段に立って出迎えねばならない。《 論語 郷党第十 現代語訳 》
  3. ^ 行誉 『壒囊鈔』 国文学研究資料館、1445年
  4. ^ 瑞渓周鳳 『臥雲日件録抜尤』 国文学研究資料館 鵜飼文庫、1448年(『臥雲日件録抜尤』は1562年に相国寺の僧、惟高妙安が抄出したもの)
  5. ^ “奈良・金峯山寺は「鬼も内」 蔵王堂で節分会”. 岐阜新聞. (2016年2月3日). http://www.gifu-np.co.jp/news/zenkoku/lifestyle/CO20160203010012271358071A.shtml 2016年2月3日閲覧。 [リンク切れ]
  6. ^ 金光と大本122頁
  7. ^ “「福は内、鬼も内」豪快豆まき 山形・鳥海月山両所宮で節分祭”. 山形新聞. (2016年2月3日). http://yamagata-np.jp/news/201602/03/kj_2016020300072.php 2016年2月3日閲覧。 [リンク切れ]
  8. ^ 金光と大本123頁
  9. ^ 本宮町史 第9巻 民俗篇 「年中行事」より
  10. ^ 節分に落花生をまくって、有りですか?(2/3)(All About)
  11. ^ 区立保育園「節分の会」で乳幼児が豆まき体験、品川区HP、2016年プレスリリース、閲覧年月日2017年1月6日
  12. ^ 「節分と鰯の頭」『こよみのページ 』 2018年2月20日閲覧。
  13. ^ NPO 森からつづく道 「鬼ぐい」『もりみちブログ』 2018年2月24日閲覧。
  14. ^ 「節分の前にオニグイ採り」『民宿 鯛の里オフィシャルブログ』 2018年2月24日閲覧。
  15. ^ 体験博物館 千葉県立房総のむら 「節分」『房総のむらの年中行事』 2018年2月24日閲覧。
  16. ^ 家庭で続ける昔懐かしい民俗行事③~節分の鬼おどし~」『さきがけミュージアム 文化財ブログ』 2018年2月20日閲覧。
  17. ^ 『目かご』の鬼に親子90人 中央でイベント」 『毎日新聞』2018年1月30日 山梨版。
  18. ^ 目駕籠に向かって豆をぶっつけよう!」『豊富郷土資料館のブログ』2016年1月19日。
  19. ^ NPO法人えなここ 「節分は、玄関に○○を飾る?!鬼は~そと・・・の続きとは?」『おへマガ』 2018年2月20日閲覧。
  20. ^ 『長野県上伊那誌』民俗篇上 上伊那誌刊行会 昭和55年 696-698頁 。
  21. ^ イワシノアタマ(鰯の頭)」美濃加茂市民ミュージアム、2018年2月20日閲覧。
  22. ^ 西郊民俗談話会 「角大師・豆大師を出す寺院一覧表」 2018年2月20日閲覧。
  23. ^ 五来重『宗教歳時記』角川選書、1982年4月。
  24. ^ 公益社団法人全国学校栄養士協議会「節分 なたもち」『伝えたい行事食』
  25. ^ 「年銭(としせん)」『デジタル大辞泉』小学館。
  26. ^ 『子規全集』第11巻(随筆1)講談社、1975年4月。
  27. ^ 「愛南 節分の夜の怪 交差点に履物散乱 地域伝統『厄よけ』の習慣」『愛媛新聞』 2011年2月6日付。
  28. ^ 「節分四方参り」 『京都観光・旅行』、2018年2月15日閲覧。
  29. ^ 野依白山神社 豆焼き(年間の天候予報)」『奈良の風景と無形民俗文化財』 2018年2月20日閲覧。
  30. ^ 西行(著)、佐佐木信綱(解説) 『山家集』 岩波文庫、1928年10月5日、ISBN:978-4003002315。
  31. ^ a b 冨岡典子 『大和の食文化』 奈良新聞社、2005年9月25日、22-24頁、ISBN:4-88856-054-4。
  32. ^ 全国学校栄養士協議会 「伝えたい行事食 節分 なたもち 2018年2月18日閲覧。
  33. ^ 『蕎麦 江戸の食文化』 岩波書店、2001年、203頁。
  34. ^ 『日本の食文化大系14そば通』 東京書房社、1985年、123頁。
  35. ^ 『新装版 蕎麦辞典』 東京堂出版、1996年。
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参考文献[編集]

  • 丸山照雄 『現代人の宗教3 金光と大本 教典その心と読み方御茶の水書房、1986年7月。ISBN 4-275-00686-0。
  • 「節分」”. ことばの宝船. NHK アナウンスルーム (2013年1月29日). 2013年1月30日閲覧。[リンク切れ]

関連項目[編集]

  • 追儺
  • セツブンソウ(節分草) - 節分の時期に咲く
  • トベラ - 枝葉は切ると悪臭を発するため、節分にイワシの頭などとともに魔よけとして戸口に掲げられた。そのため扉の木と呼ばれ、これがなまってトベラとなった