紅葉坂 (台東区)

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地図

紅葉坂(もみじざか)は、東京都台東区谷中七丁目にある坂[1][2][3]

位置と形状[編集]

JR日暮里駅南口改札(とんがり屋根のほうの改札[4])を左折し紅葉坂跨線橋を渡り左折し[5]たところから天王寺の西北[2]ないしは北裏の石垣の下を[1]谷中霊園方面に[6]、左手に駅のホームを見下ろしながら上る細く[7]、狭い階段[6]。坂の北側は崖であり、グリーンのフェンスの下のほうに駅ホームの屋根がある[1]状の石段坂[5]。中央部が石段で、その両側がスロープになっており、坂の上には天王寺の石塀が見える[8]。別名幸庵坂[1][2][9][7]

坂名の由来[編集]

『東都歳時記』に紅葉の名所として谷中天王寺が取り上げられている[10]山崎美成の『金杉日記』には、「天王寺うら幸庵坂下、又、三しま社のほとり秋色尤もふかし、林間に酒を煖むべし うすくこくそめし梢は花よりも 今ひとしほのもみぢ葉の色」[1][2]とあり、紅葉の名所とされていた[2]。坂名は紅葉が多かったことにちなむ[3]と考えられている[9][7]

台東区の立てた由来碑には、

坂道周辺の紅葉が美しかったので「紅葉坂」と命名されたのだろう。別名「幸庵坂」ともいった。その命名由来は不詳。江戸後期の国学者、山崎美成は『金杉日記』に、「天王寺うら幸庵坂下、又三しま社のほとり秋色尤もふかし、林間に酒を煖む」と記している。この記事によると、幸庵坂の名は江戸時代すでにあったことが知られている。平成十二年三月 台東区教育委員会

とある[8]

近隣施設[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 岡崎清記『今昔 東京の坂』日本交通公社出版事業局、昭和56年9月1日 初版発行、1025-821040-5847、373頁。
  2. ^ a b c d e 横関英一『江戸の坂 東京の坂』有峰書店、昭和四十五年一月二十日 発行、303頁。
  3. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典・13 東京都』昭和53年10月27日 初版発行、0520-001130-0946 (10)、711頁。
  4. ^ 福田はるか『田村俊子: 谷中天王寺町の日々』図書新聞、2003年4月15日 初版発行、ISBN 4-88611-401-6、26頁。
  5. ^ a b 山野勝『江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド』朝日新聞社、2006年10月30日 第一刷発行、ISBN 4-02-250230-4、286~287頁。
  6. ^ a b 井下優子『東京週末「坂道」散歩』ぱる出版、2008年11月28日 初版発行、ISBN 978-4-8272-0444-5、13頁。
  7. ^ a b c 大石学『坂の町 江戸・東京を歩く [PHP新書 480]』、2007年9月28日 第一版第一刷、ISBN 978-4-569-69178-7、330頁。
  8. ^ a b 冨田均『東京坂道散歩―坂道上れば昭和がみえた―』東京新聞出版局、2006年9月29日 初版発行、ISBN 4-8083-0858-4、240~241頁 [紅葉坂 お喋り九官鳥]。
  9. ^ a b 石川悌二『江戸東京坂道事典 コンパクト版』新人物往来社、2003年9月20日 第一刷発行、ISBN 4-404-03149-1、129頁。
  10. ^ 東都歳時記4巻十月 景物 「紅楓」の項