純陀太子

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純陁太子(じゅんだ たいし、? - 513年?8月?)は、百済王族武寧王の子。和氏(高野氏)の始祖。

概要[編集]

続日本紀延暦8年12月28日の皇太后高野新笠の薨伝に

「皇太后、姓は和氏、諱は新笠、贈正一位乙継の女なり。母は贈正一位大枝朝臣真妹なり。后の先は百済武寧王の子純陁太子より出ず。今上(桓武天皇)、早良親王能登内親王を生めり。、、、その百済の遠祖都慕王は、河伯の女、日精に感でて生める所なり。皇太后は即ちその後なり。」とある。

日本書紀継体天皇7年(西暦513年?)8月項に、「百済太子淳陀薨」とあり、純陁と淳陀が同一人物ではないかと考える学者も存在する。ただし、朝鮮側の資料には武寧王の子として純陁、もしくは淳陀に比定できる人物が存在していない。

また、『日本書紀』武烈天皇7年(西暦505年?)4月項に、百済から遣わされた「百済国主の骨族」斯我君があり、その子・法師君は倭君の祖とあるが、純陁との関係は不明である。

関連項目[編集]