紫尾神社 (さつま町)

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紫尾神社
Shibi jinjya
紫尾神社
所在地 鹿児島県薩摩郡さつま町紫尾十良2164
位置 北緯31度58分28.4秒
東経130度25分47.5秒
座標: 北緯31度58分28.4秒 東経130度25分47.5秒
主祭神 瓊々杵命
日子穂々手見命
鵜草葺不合命
社格 国史見在社・旧県社
創建孝元天皇朝、伝継体天皇16年(522年
別名 紫尾山三所権現
例祭 10月19日
地図
紫尾神社の位置(鹿児島県内)
紫尾神社
紫尾神社
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紫尾神社(しびじんじゃ)は、鹿児島県薩摩郡さつま町紫尾にある神社。旧くは「紫尾山三所権現」と称し[1]古くから祁答院七ヶ郷(山崎、大村、黒木、佐志、藺牟田、宮之城、鶴田)の総社として尊崇された。出水市高尾野町唐笠木の同名神社とともに国史見在社論社とされる旧県社。当神社の拝殿の下から紫尾温泉の源泉が湧いていることから「神の湯」とも呼ばれている。

祭神[編集]

3面の大鏡を神体とするが、それは源実朝が奉納したものと伝える。

また、往古は熊野権現と同体(同じ祭神)「伊弉冉尊、事解男命、速玉男命」であったとの説もある[2]

由緒[編集]

社伝に、第8代孝元天皇の時代に開山され「紫尾山」と号して創祀されたとも、また第26代継体天皇の時代に山中で修行をしていた空覚上人という僧の夢の中に神が現れ、「われはこの山の大権現なり、あなたが来るのを長い間待っていた。わがために社寺を建てて三密の旨を修し、大乗の法を広めよ」とのお告げがあり、翌朝上人が山頂に立つと尊い、いかめしい気があたりをつつんでいて麓へ向かって紫の美しい雲がたなびいていた。これを見た上人はこの山を紫尾山と名付けお告げに従い山を下り、その麓を聖地と定め社殿を建立「紫尾山三所権現」と称したという[3]貞観8年(866年)に正六位上から従五位下へ昇叙された薩摩国紫美神」に充てられるが[4]、これを紫尾山の対麓に鎮座する出水市高尾野町唐笠木の同名神社に充てる説もある[5]。上記紫尾山は神社の裏山に当たり、最初の社祠は紫尾山の山頂近くにあった。これを「上宮」と呼ぶのに対し、昔この山頂近くにあった社がたびたび暴風で倒壊し、また祭祀にも不便だったことから、当神社と出水市高尾野町唐笠木の同名神社の2か所に里宮として分祀し「下宮」と呼んだといい[1]、(但し、薩摩郡さつま町柏原の「古紫尾神社」を下宮とする場合は「中宮」と呼ばれる)ともに紫尾山を信仰の対象とする山岳信仰を背景に建立された神社であったと思われ、当神社には中世に西国高野山の異名をとった「紫尾山祁答院神興寺」という供僧が置かれ、修験者が群参したという。

鎌倉室町の両幕府に崇敬されたといい、江戸時代には薩摩藩主島津氏から尊崇され、この地域の鎮守神として社領の寄付や社殿の修復が行われた。また、寛永末年(17世紀中頃)に当神社の神託によって永野金山が発見されたことで有名になった。このような金山発見のお告げをした神が座す社であるという伝承から、鉱山関係の参詣者が多かった。交通不便な場所に鎮座しているが、現在でも初詣には1万人ぐらいの人出で賑わう。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『神道大辞典』。『角川日本地名大辞典46鹿児島県』
  2. ^ 神社覈録』。
  3. ^ 『神社名鑑』。
  4. ^ 日本三代実録』同年4月7日条。同書貞観10年3月8日に同じ記載があり、いずれかが衍とされる。
  5. ^ 『角川日本地名大辞典46鹿児島県』柴引<高尾野町>より。【「三代実録」貞観10年3月8日条に「授薩摩国正六位上紫美神従五位下」とあるのが紫美神の初見。これより前、貞観8年4月7日条に紫美神に従五位下を授けるとあるのは鶴田紫美神に対するものである。】ここでいう鶴田紫美神とは、現在の薩摩郡さつま町(旧鶴田町)紫尾の紫尾神社の事であり、このことから貞観8年4月7日に正六位上から従五位下へ昇叙された薩摩国「紫美神」は薩摩郡さつま町紫尾の紫尾神社であり、貞観10年3月8日に同じく正六位上から従五位下へ昇叙された薩摩国「紫美神」は出水市高尾野町唐笠木の紫尾神社の事である。

参考文献[編集]

  • 『神社名鑑』、神社本庁、昭和38年
  • 『神道大辞典』(縮刷復刻版)、臨川書店、昭和44年 ISBN 4-653-01347-0(初版は平凡社刊、昭和14年)
  • 『角川日本地名大辞典46鹿児島県』、角川書店、昭和58年