細川興昶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
細川興昶
時代 江戸時代後期
生誕 天明5年7月2日1785年8月6日
死没 享和2年12月25日1803年1月18日
改名 毛利煕和、細川興昶
別名 興利
長州藩常陸谷田部藩世嗣
氏族 毛利氏細川氏
父母 毛利治親
細川興徳
兄弟 毛利斉房毛利斉熙興昶、毛利熙載、
水野忠篤、多美ら
テンプレートを表示

細川 興昶(ほそかわ おきのぶ)は、江戸時代後期の常陸国谷田部藩の世嗣。別名に興利(おきとし)。

略歴[編集]

萩藩主・毛利治親の三男として誕生。

初めは実兄で長門国長州藩主・毛利斉熙から偏諱を賜って毛利煕和(もうり ひろかず)を名乗る。谷田部藩7代藩主・細川興徳の養子となってからは細川興昶を名乗ったが、家督を相続することなく享和2年(1802年)に死去した。代わって、一色丹羽家から興祥が養子に迎えられて嫡子となった。