結城朝綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
結城朝綱
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 不明
死没 明暦2年(1656年
別名 治部左衛門(通称)
主君 佐竹義宣
氏族 白河結城氏和知氏
父母 結城義顕
和知秀勝
朝誉[1]、和知朝真、和知朝治
テンプレートを表示

結城 朝綱(ゆうき ともつな)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての角館白河家(久保田藩結城家)初代当主。

略歴[編集]

白河結城氏11代当主・結城義顕の嫡男として誕生。幼少期は父・義顕の下で農業をして過ごし、義顕の死後家督を継いだ。豊臣秀吉に改易され没落した白河結城氏の再興を願い、慶長19年(1614年)の大坂の陣で軍功を挙げようとするが、病のため参陣できなかった。

元和2年(1616年)、佐竹義宣に仕え角館に居住し、子孫は久保田藩士となった。

後に母方の伯父の和知秀勝の養子になり和知姓を名乗ったが、子孫が結城姓に復している。

脚注[編集]

  1. ^ 朝秀、1628年 - 1694年