練馬一家5人殺害事件

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練馬一家5人殺害事件
場所 日本の旗 日本東京都練馬区大泉学園町六丁目15番地[1]
座標
標的 賃借人一家6人(うち子供1人は事件当時林間学校のため不在)
日付 1983年昭和58年)6月27日
概要 競売で取得した土地・家屋の明け渡し交渉が思うように進展しなかったことなどから家屋に居住する被害者一家6人のうち子供3人を含む5人(残り1人は事件当時不在)を次々と殺害し、死体を遺棄するために3人の死体を切断するなどして損壊した[2]
攻撃側人数 1人
武器 玄能・電気コード・(殺害用の凶器)[2]、骨すき包丁(死体損壊の道具)[3]
死亡者 計5人(賃借人男性夫婦とその子供3人)[2]
他の被害者 1人(事件当時不在だった賃借人一家の長女。家族5人を一挙に失った)[2]
犯人 不動産鑑定士の男A(事件当時48歳)[1]
動機

不動産競売を巡るトラブル

  • 転売先への物件引き渡し期限・金融機関への借金返済期限が切迫したこと[2]
  • 被害者一家が「家屋から立ち退いた」ように偽装する目的[2]
対処 警視庁が被疑者Aを逮捕・東京地検が被告人Aを起訴
刑事訴訟 死刑執行済み
管轄 警視庁(本部捜査一課石神井警察署
東京地方検察庁東京高等検察庁
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練馬一家5人殺害事件(ねりまいっかごにんさつがいじけん)は、1983年昭和58年)6月27日東京都練馬区大泉学園町六丁目で発生したバラバラ殺人事件[4]不動産競売の取引をめぐるトラブルから幼い子供を含む一家5人が殺害された。

事件の経緯[編集]

1983年2月2日、不動産鑑定士の男A(逮捕当時48歳・東京都杉並区成田東一丁目在住)は東京地方裁判所で行われた特別売却で事件現場となった東京都練馬区大泉学園町六丁目の被害者一家宅(以下「本物件」。敷地面積624㎡の土地+1階76.03㎡・2階56.9㎡)を1億600万円で落札し[1]、その購入資金として自宅・事務所のほか郷里の山林などを担保に入れて銀行から借入金約1億4500万円の融資を受けた[5]。その上で鑑定士Aは本物件の転売先(東京都内の不動産業者)1億2950万円の譲渡契約を結ぶことで「被害者男性への明け渡し料を払っても2000万円前後の利益が見込める」と目論んだ[5]

その上で鑑定士Aは被害者夫婦(事件当時45歳の賃借人男性・同41歳の妻)に立ち退き要求をしたが応じられなかったため、明け渡しが完了しなければ「契約不履行」となって窮地に追い込まれることを危惧した上、銀行からの借入金利子(月額約100万円)の返済にも窮した[1]

本物件は被害者男性の妻の父親(=男性の義父)が1958年(昭和33年)に入手したもので、男性の義父は事業資金として本物件の土地・家屋を担保に金融機関などから次々と融資を受けており、本物件に設定された抵当権は総額2億1000万円に上っていた一方で所有権も再三移転していた[5]。こうした事情から本物件は不動産業界関係者からは「常識的な業者ならば決して手を出さない『不良物件』」として敬遠されており、1982年10月に東京地裁によって「最低売却価格1億280万円」で競売にかけられて以降もAが1982年12月6日に「買い受けたい」と申し出るまで誰も入札していなかった[5]

本物件は東京地裁が競売にかけた際、物件明細書に「被害者の主張する賃借権は買い受け人には対抗できない」と明記されており、実際に本物件の所有権は競売により完全にAの手に移っていたが、実際に居住していた被害者側は「土地・家屋は元来妻の実家のものだったが、所有権はその後別人に移転しており、自分は賃借料を払って住んでいるだけ貸借人に過ぎない」として、多額の「立ち退き料」を請求した[5]。仮に住人が正当な権利なく居座っていたとしても不動産取引においては「長期間にわたって居住していた住人に立ち退いてもらうためには半年程度の猶予期間に加えて『適正な立ち退き料・代替家屋の提供などの交渉が必要』という常識」があり、Aはこれを知らなかったことにより窮地に陥ることとなった[5]

本物件のように「抵当権がついていたり賃借人がいるような『不良物件』」は「不動産業者の中でも『高度な法知識を有している人物』か『資金に余裕のある人物』でない限り安易に手を出すべきではない」とされる高リスクなものだったが、Aは「本来は不動産鑑定士であり取引業者としては実績がない」にも拘らず「一攫千金を狙って不良物件に手を出した」ことが犯行の発端となった[5]。 鑑定士Aは事件直前の1983年6月20日ごろに「家人を皆殺しにしてでも転売相手に家を明け渡させよう」と決意し、「被害者一家を殺害してノコギリ・包丁・金槌を使って死体を切断して遺棄する」ことを計画した[1]。その上で殺害用の凶器として手斧などを用意したほか、死体をバラバラにするために食肉用挽肉機を用意した上で「遺体を富士山麓の樹海に遺棄する」ことを決意した[6]

同年6月27日、鑑定士Aは立退き交渉と偽って午後2時46分ごろに賃借人宅に入り込み、賃借人の妻(41歳)、長男(1歳)をかなづちで撲殺、三女(6歳)をかなづちで殴打後扼殺、小学校から帰宅した次女(9歳)の首を手で絞めた後電気掃除機のコードで絞殺、その後午後9時半に帰宅した賃借人(45歳)をマサカリで切りつけ殺害。浴室で賃借人と妻の遺体をノコギリで切断し解体。賃借人の遺体は切断した後、胴体を骨すき包丁で腹を裂いて内臓を取り出した上、内臓を10センチ四方に切って電動肉挽き機にかけてミンチ状にし、トイレに流した。鑑定士Aは逮捕された後「賃借人を粉々にしたかった」と供述している。賃借人一家のうち小学5年生の長女(当時10歳)は、たまたま林間学校に参加していて留守だったため、難を逃れている[1]

事件翌日(1983年6月28日)午後0時58分ごろ、東京都町田市内在住の被害者の親類男性が警視庁石神井警察署に「親類の家族(被害者一家)の様子がおかしい。一緒に見に行ってほしい」と依頼して署員2人とともに被害者宅を訪問したところ、玄関から「不審な中年の男」(=被疑者の鑑定士A)が飛び出してきて逃走しようとしたため、署員が男を呼び止めて職務質問した[1]。署員の職務質問に対し男Aが「この家の家族5人を殺した」と供述したため、署員らが室内に入って調べたところ玄関・浴室の床・浴槽に一家5人の遺体が切り刻まれ、折り重なるように血塗れになった状態で放置されていたため、石神井署は男Aを殺人容疑で緊急逮捕した[1]。被疑者Aは取り調べに対し悪びれることなく以下のように供述した[1]

  • 「前日に押し入ってからは何も食べず、外にも出ないで被害者の死体の処理をしていた。主人(賃借人男性)は骨を粉々にしてやりたいぐらいに思っていたが、女・子供については気が咎める」[1]
  • 「被害者5人の死体は28日夜までに解体して富士山麓の樹海に捨てるつもりだった。30日まで1,2日間犯行が発覚せず、被害者宅が無人であればその間に売却先に引き渡すことができると思った」[6]

「被疑者Aが凶器類を事前に準備していた」などの事実から警視庁捜査一課は本事件を「計画的犯行の疑いが強い」と推測して石神井に署に捜査本部を設置して事件解明を急ぎ[1]、6月30日には被疑者Aを殺人・死体損壊の各容疑で東京地方検察庁送検するとともに現場検証で食肉用挽肉機を発見し、被害者男性の遺体が一部ミンチ状になっていたことから「遺体をバラバラにした上でさらに切断しようとした」との見方を強めた[6]

刑事裁判[編集]

被疑者Aは1983年7月19日、殺人・死体損壊の各罪状で東京地方裁判所起訴された[7]

1985年(昭和60年)10月18日、東京地検は東京地裁刑事第15部(柴田孝夫裁判長)にて開かれた論告求刑公判で被告人Aに死刑求刑した[8]。東京地検は論告で「被告人Aは『被害者が家の明け渡しに誠意がなかった』などと強調しているが、被害者は明け渡し時期を確約していなかったにも拘らず、被告人Aが一方的に転売契約をするなどして自ら窮地を作った末に稀に見る凶悪・残虐な犯行に及んだ。精神鑑定の結果からも被告人Aの精神状態に異常は認められず刑事責任能力に問題はない。幼児を含む子供3人とその両親を惨殺した上に犯行を隠蔽する目的で遺体を切断するなど凶悪非道な犯行内容に酌量の余地はない」と主張した[8]

1985年12月20日、東京地裁刑事第15部は検察側の求刑通り被告人Aに死刑判決を言い渡した[9][10]判決理由で東京地裁は以下のような事実認定量刑理由を説明した。

  • 「被害者側の態度も『被告人Aを怒らせ緊迫した精神状態に追いやる原因となった』ことは否定できないが、それでも被害者側の落ち度は『死をもって償わなければならないほど非道なもの』ではない。犯行の動機も煎じ詰めれば被告人A自身の経済的利益・社会的保身のためにすぎない自己中心的なものだ」[10]
  • 「弁護人は『犯行当時の被告人は心神喪失もしくは心神耗弱状態だった』と主張するが、責任能力に支障をきたすほどの精神障害は認められない」[10]
  • 「高度な計画性に基づく本犯行は『残忍』の一語に尽きるもので、被告人Aの心中には人間自然の情の一片さえうかがえず、同じ人間とは思えないほどの空恐ろしさを禁じ得ない。『1つの家族がそっくり焼失させられた被害』は甚大であり、被告人Aに対し死刑を望む被害者遺族の心情は至極尤もなもので『戦慄すべき凶悪事件』が社会に与えた影響も軽視できない」[10]
  • 「被告人Aの過去の努力・実直な人柄などを考慮しても『人倫の大道』を根本から蹂躙した罪科は余りにも重く死刑をもって臨むほかない」[10]

1990年平成2年)1月23日、東京高等裁判所刑事第4部(高木典雄裁判長)は第一審・死刑判決を支持して被告人Aの控訴棄却する判決を言い渡した[11]

1996年(平成8年)11月14日、最高裁判所第一小法廷(高橋久子裁判長)は第一審・控訴審の死刑判決をいずれも支持して被告人A・弁護人の上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人Aの死刑が確定した[12]

死刑執行[編集]

2001年(平成13年)12月27日、法務省法務大臣森山眞弓)の死刑執行命令により収監先・東京拘置所で死刑囚Aの死刑が執行された(66歳没)[13][14]。同日には名古屋拘置所にて名古屋保険金殺人事件の死刑囚に対しても死刑が執行された[13][14]

その他[編集]

賃借人の居座り行為自体は借地借家法に基づき違法ではないが、「裁判を取り下げれば明け渡す」という虚偽の意思表示は違法であり、法的手段を講じて立ち退かせることも可能であったが、法律の抜け穴が多いため司法解決に時間がかかった。

本件を基にした作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『中日新聞』1983年6月29日朝刊第12版第一社会面23面「東京の一家5人惨殺 浴槽血の海、バラバラ死体 1億円の土地で争い 『立ち退かぬ』と不動産屋 長女は難逃れる 林間学校で長野へ」「夜通しで切り刻む」
  2. ^ a b c d e f 東京高裁判決(1990-01-23)
  3. ^ 最高裁第一小法廷判決(1996-11-14)
  4. ^ 中日新聞』1983年1983年6月29日朝刊第12版第一社会面23面「東京・練馬 一家5人殺す 不動産業者を逮捕」
  5. ^ a b c d e f g 『日本経済新聞』1983年7月8日夕刊3面「東京・練馬の一家惨殺事件--狂気呼んだ不動産トラブル(ニュースの周辺)」
  6. ^ a b c 『中日新聞』1983年6月20日夕刊E版第一社会面11面「一家惨殺のA ひき肉機も使う 富士山ろくへ投棄計画」
  7. ^ 『中日新聞』1983年7月20日朝刊第12版第二社会面18面「殺人などで起訴 一家5人惨殺のA」
  8. ^ a b 朝日新聞』1985年10月18日夕刊第二社会面18面「練馬の一家5人殺し、Aに死刑を求刑」
  9. ^ 『朝日新聞』1985年12月20日夕刊第一社会面13面「練馬の一家5人惨殺のAに死刑判決 東京地裁」
  10. ^ a b c d e 『日本経済新聞』1985年12月20日夕刊第一社会面13面「練馬の一家5人殺し、Aに死刑判決 『人間の情ない』ーー東京地裁」
  11. ^ 『朝日新聞』1990年1月23日夕刊第一社会面13面「一家5人殺し、2審でも死刑 東京高裁」
  12. ^ 『朝日新聞』1996年11月15日朝刊第一社会面39面「一家五人殺害のA被告、死刑確定へ 『凶悪』と上告棄却」
  13. ^ a b 東京新聞』2001年12月27日夕刊1面「練馬の一家5人殺害事件 A死刑囚の刑執行 名古屋でも1人」
  14. ^ a b 『中日新聞』2001年12月27日夕刊1面「××死刑囚の刑執行 愛知・京都の保険金殺人 東京でも1人」

参考文献[編集]

刑事裁判の判決文[編集]

  • 東京地方裁判所刑事第15部判決 1985年(昭和60年)12月20日 『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:29012903、昭和58年(合わ)第167号、『殺人,死体損壊被告事件』。
  • 判決内容:死刑(求刑同・被告人側控訴)
    • 以下の押収物没収:日立電動肉挽機2台(昭和58年押収第1708号の41・135。1台は押し込み棒付き)・植木ばさみ1丁(昭和58年押収第1708号の80)・まさかり1丁(昭和58年押収第1708号の83)・玄能2丁(昭和58年押収第1708号の84・85)・包丁2丁(昭和58年押収第1708号の144・145)・のこぎり1丁(昭和58年押収第1708号の147)
  • 裁判官:柴田孝夫・林秀文・渡邉弘
  • 検察官:鈴木規夫・井上宏
  • 東京高等裁判所第4刑事部判決 1990年(平成2年)1月23日 『高等裁判所刑事裁判速報集』(平成2年)号56頁、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28019002、昭和61年(う)第207号、『殺人,死体損壊被告事件』「第1審判決の死刑の量刑が重過ぎて不当であるとはいえないとした事例」、”不動産競売により所有権を取得した土地建物の明渡交渉が行き詰まったことから、同所に居住する被害者一家が他に転居したように装うため、同一家6人全員の殺害を計画し、たまたま遠足に行っていたため難を逃れた長女を除く一家5人を次々と玄能で撲殺するなどした上、骨すき包丁などを利用してうち3名の死体の首を切断するなどした本件犯行は、冷酷・執拗・残虐で、動機も自己中心的であり、死刑に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは言えない。”。
  • 判決内容:被告人側控訴棄却(死刑判決支持・被告人側上告)
  • 裁判官高木典雄(裁判長)
  • 最高裁判所第一小法廷判決 1996年(平成8年)11月14日 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第269号3頁、平成2年(あ)第248号、『殺人,死体損壊被告事件』「死刑事件(元不動産鑑定士による練馬区の一家五名殺害事件)」。

書籍[編集]

  • 龍田恵子 『バラバラ殺人の系譜』 青弓社1995年11月。ISBN 978-4787231161。

関連項目[編集]