織田信家

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織田信家
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正10年3月2日1582年3月24日[1]
別名 信広、津田信家、久兵衛、孫三郎
官位 因幡守
主君 織田信安斎藤義龍龍興織田信忠
氏族 岩倉織田氏(織田伊勢守家)
父母 父:織田信安、母:織田信定娘・秋悦院
兄弟 信賢信家、剛可正仲、津田正盛
女子二人
広長
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織田 信家(おだ のぶいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。別名は津田信家。織田信長の従兄弟にあたる。

略歴[編集]

尾張国上四郡の守護代「織田伊勢守家」(岩倉織田氏)当主織田信安の次男として誕生。母は織田信秀の妹・秋悦院。

父・信安が兄・信賢を廃嫡し、信家に家督を継がせようとしたため家督争いが起きた。それにより、北尾張の家臣団は二派へと分裂したが、信賢により、父の信安と共に信家は尾張から追放させられた。永禄元年(1558年)の浮野の戦いで兄が滅ぼされると、父は美濃斎藤氏に仕え、織田信長に抵抗したが、後に信長に罪を許された。この際に信家は信長の嫡男織田信忠付きの家臣となった。

永禄12年(1569年)、荒子城主前田利春の嫡男前田犬千代(後の前田利家)の元服の際、烏帽子親となり、家の偏諱を与えて利家と名乗らせたといわれる[2]

天正10年(1582年)、信長の甲州征伐に従うが、信濃国高遠城攻略の際に武田方に討ち取られた。

脚注[編集]

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  1. ^ 『尾張群書系図部集』上 219頁
  2. ^ 『加賀藩史料』には信長の伯父津田孫三郎信家が烏帽子親となったとあるが、信家は信長の従兄弟であり、信長の伯父・津田孫三郎(織田信光)と混同した誤りであると推定される。