織田信敬

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織田信敬
時代 江戸時代後期
生誕 天保7年5月28日1836年7月11日
死没 嘉永6年7月25日1853年8月29日
改名 細川之与(初名)、織田信敬
別名 剛三郎(通称
墓所 東京都練馬区桜台広徳寺
官位 従五位下出雲守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶
丹波柏原藩
氏族 宇土細川家織田氏(信雄系高長流)
父母 細川行芬織田信貞
兄弟 細川立穀、細川立則信敬細川行真
小笠原寿長本庄寿巨、稲子、
山崎治正継室、千枝子ら11男10女
織田信貞養女良性院
信民
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織田 信敬(おだ のぶのり)は、江戸時代後期の大名丹波国柏原藩8代藩主。通称は剛三郎。官位従五位下出雲守。高長系織田家11代。

生涯[編集]

天保7年(1836年)5月28日、肥後国宇土藩9代藩主・細川行芬の三男として誕生した。初名は之与。

弘化4年(1847年2月26日、柏原藩7代藩主・織田信貞末期養子として家督を相続する。嘉永2年(1849年)10月1日、12代将軍・徳川家慶御目見する。同年12月16日、従五位下出雲守に叙任する。嘉永6年(1853年)7月25日、江戸において死去、享年18。なかなか相続人が決まらず、翌嘉永7年(1854年2月10日に死亡を届け出た。黒田長元の四男・叙丸が末期養子として家督を相続した。

信敬の死後、柏原藩の重臣は織田家の血を引く鶴姫に再度婿養子を迎えることを考えた。しかし鶴姫はそれを拒み、髪を切って亡き夫の菩提を弔う一生を選択したという。

系譜[編集]