織田信美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
織田信美
時代 江戸時代後期
生誕 寛政5年7月9日1793年8月15日
死没 天保7年8月4日1836年9月14日
改名 百太郎(幼名)→信美
戒名 恭徳院清巌良義大居士
墓所 東京都文京区向丘の高林寺
官位 従五位下若狭守越前守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
出羽高畠藩主→出羽天童藩
氏族 織田氏(信雄系信良流)
父母 父:織田信浮
母:小笠原長恭長女・光子
兄弟 稲葉通貫、信美、津田長郷、喜姫ら10男9女
正室:大村純鎮三女・章姫
継室:戸田忠翰四女・朝子
信学ら3男3女

織田 信美(おだ のぶかず)は、江戸時代後期の大名出羽国高畠藩2代藩主、のち天童藩初代藩主。官位従五位下若狭守越前守

生涯[編集]

高畠藩初代藩主・織田信浮の九男として誕生。母は小笠原長恭の娘・光子。幼名は百太郎。なお『寛政重修諸家譜』では信浮の三男としており、早世した兄を省略するなど、故意に操作を行っている。

文化7年(1810年)11月1日、11代将軍・徳川家斉御目見をする。文政元年(1818年)12月27日、父の死去により家督を継ぐ。文政3年(1806年)12月16日、従五位下越前守に叙任する。文政11年(1828年)5月24日、幕府から出羽村山郡天童村に陣屋を移転する許可を得る。文政9年(1826年)に高畠陣屋が2度目の焼失に見舞われたこと、また寛政12年(1800年)に陸奥国信夫郡の藩領が出羽村山郡の幕領と交換されて、藩領の大部分が村山郡に存在することになったためである。陣屋の移転に伴い、町の整備などに尽力した。

天保7年(1836年)8月4日、死去。享年44。跡を長男・信学が継いだ。

系譜[編集]

子女は3男3女。

関連項目[編集]