織田成純

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織田成純
時代 江戸時代中期
生誕 延宝4年6月5日1676年7月15日
死没 享保14年11月2日1729年12月21日
改名 秀将、長教、秀俊、成純、信紀
別名 通称:源三郎、右京、左京
戒名 竜徳院殿円厳宗澄大居士
墓所 東京都港区麻布の天真寺
官位 従五位下豊後守播磨守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家宣家継吉宗
大和柳本藩
氏族 織田氏(長益系尚長流)
父母 父:織田秀一、母:小出有棟
養父:織田秀親
兄弟 秀親成純
正室:土方豊高娘・慈福院
なし
養子:秀行

織田 成純(おだ なりとし/しげずみ/しげとし)は、江戸時代中期の大名大和国柳本藩5代藩主。通称は源三郎、右京、左京。官位従五位下豊後守播磨守。尚長流織田家5代。

生涯[編集]

3代藩主・織田秀一の次男として誕生。初名は秀将長教秀俊成純信紀

貞享5年(1688年)7月28日、異母兄・秀親の養子となる。同年9月18日、5代将軍・徳川綱吉御目見する。宝永6年(1709年)4月12日、秀親が前田利昌に殺害されたため、家督を相続した。同年4月15日、従五位下豊後守に叙任する。公家接待役や京都火消役などを務めた。享保9年(1724年)12月3日に隠居し、兄の子で養嗣子の秀行に家督を譲った。

享保14年(1729年)11月2日もしくは12月3日に死去。享年54。法号は竜徳院殿円厳宗澄大居士。麻布の天真寺に葬られた。以後、同寺は柳本藩織田家の当主の墓地の一つとなった。

系譜[編集]

子女はなし。