羅先直轄市

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座標: 北緯42度20分40秒 東経130度23分04秒 / 北緯42.34444度 東経130.38444度 / 42.34444; 130.38444

羅先直轄市
Rason montage.png
位置
羅先直轄市の位置
各種表記
ハングル: 라선 직할시
漢字: 羅先直轄市
平仮名:
(日本語読み仮名):
らせん
片仮名:
(現地語読み仮名):
ラソン / ナソン
文化観光部2000年式: Raseon / Naseon
マッキューン=ライシャワー式: Rasŏn / Nasŏn
面積・人口統計の年(2008年
面積: 746 km²
総人口: 205,000 人
人口密度: 275 人/km²
情報
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
ISO 3166-2: KP-KAJ

羅先直轄市(ラソン-ちょっかつし)は朝鮮民主主義人民共和国北東部に位置する直轄市。人口約13万人(1992年)。韓国では「ナソン(나선)」と発音する。

羅先はかつて羅津先鋒(旧称・雄基)と並称されていた2つの地域からなる。海外資本に開かれた特区「羅先経済貿易地帯」を擁し、行政的な位置づけの変化が激しい。

目次

地理

日本海に面する港湾都市。市域の東北では豆満江が日本海に注ぐ豆満江デルタ地帯となっている。豆満江(中国名:図們江)の対岸は中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州東端の琿春市ロシア連邦沿海地方ハサンである。

羅津港は昔から天然の良港であり、毎年夏には多数の中国人観光に訪れる。

歴史

雄基地区には新石器時代貝塚があり、日本統治時代に調査が行われている。古代には高句麗渤海国の地であった。女真族との抗争の末、15世紀前半に朝鮮王朝の支配下に入った。

日本統治時代、羅津(ラジン、らしん/라진)と雄基(ウンギ、ゆうき/웅기)という2つの町があり、もともと咸鏡北道慶源郡に属していた。これらの町は、日本からのも入り工業都市ともなっていた清津市の近くにあたり、羅津は漁村、雄基は国境を守る部隊の駐屯するそこそこの大きさの港町だった。

1932年満州国が建国されると、この地は日満間の連絡ルートとして脚光を浴びることとなる。当時、日満間のルートは以下の1,2が使われていたが、3が想定されるようになった。

  1. 朝鮮海峡を渡り釜山から鉄路を経由する陸上ルート
  2. 大連に入港して南満州鉄道を使う大連ルート
  3. 朝鮮北部へ海路で渡りそこから満州東部に鉄路で連絡する日本海ルート

咸鏡北道北部は東部満州には一番の近道であるほか、沿海州ソ連軍赤軍)からの防衛など軍事作戦のために重要な地域であると見なされ、開発が進められた。とくに満洲に最も近く良港である羅津には、海陸を連絡する大規模港湾が新たに整備された。朝鮮総督府鉄道路線の満鉄への委託や、私鉄の買収により、満州(延吉牡丹江)へ連絡する建設中の鉄道と既存の鉄道が結びつけられた。境港敦賀新潟などから清津~羅津~雄基の定期船が運航され、ここから多くの日本人が満州東部へ渡った。

1945年8月8日、ソ連軍の対日参戦とともに羅津・雄基は空襲を受け、12日にソ連軍が最初に上陸した。北朝鮮の「正史」では、8月12日金日成率いる朝鮮人民革命軍が羅津や雄基などに上陸したことになっている。朝鮮民主主義人民共和国の成立後、北辺に位置するこの地域はソ連や中国との貿易でややにぎわう程度だった。1980年代はじめに、朝鮮人民革命軍の最初の上陸地であることを記念して、雄基は先鋒(ソンボン)と改名された。

1980年代末から、市場経済化の進むロシア極東(沿海地方)、同じく市場経済化が進むが港湾のない中国東北部(港湾都市の大連などがある遼寧省は除く)、そして北朝鮮の3ヶ国が接する場所として注目を集め、この3ヶ国が共有する豆満江デルタとその周辺を北東アジアの玄関となる国際貿易地帯にする計画が浮上した。1990年代はじめ、国連開発計画の主導で進められる豆満江地域開発計画の一環として「羅津・先鋒経済貿易地帯」が発足して羅津 - 先鋒直轄市咸鏡北道から独立し、政治的・思想的に問題のないエリート階層がこの地に転入して例外的に市場経済化の実験が行われていた。2000年8月に羅津-先鋒の地名が「羅先」に改称され、現在に至る。

2005年1月、再び咸鏡北道に編入され、特級市となったと報道されたが[1]2006年9月には中央政府の直轄市として統治されていると韓国側では観測している[2]。かつては羅津区域・先鋒郡という下部行政区域があったが、現在は確認されていない。

年表

  • 朝鮮王朝時代 - 慶興郡の一部。
  • 1895年 - 咸鏡北道慶興郡に属する。
  • 1932年 - 羅津の築港工事・市街地計画がはじまる。
  • 1936年10月 - 羅津邑が羅津府に昇格し慶興郡を離脱。
  • 1949年1月 - 羅津市が羅津郡となる。
  • 1952年12月 - 慶興郡豊海面などを編入して羅津郡を再構成。また、慶興郡雄基邑・盧西面などが雄基郡として分割される。
  • 1967年8月 - 羅津郡に雄基郡を編入し、羅津市とする。
  • 1967年10月 - 雄基郡を再分割。
  • 1981年10月 - 雄基郡を先鋒郡に改称。
  • 1993年9月 - 羅津-先鋒直轄市として再編成し、羅津市と先鋒郡を置く。
  • 2001年5月 - 羅先市に降格。
  • 2005年1月 - 羅先特級市になる。
  • 2006年9月頃 - 羅先直轄市になる。

羅津・先鋒経済貿易地帯 

1991年10月24日、国連開発計画は、この地域(琿春・ポシエト・羅津)の開発に300億ドルを投資し、20年間にわたってこの河川の下流に「第二の香港、シンガポール、ロッテルダム」を建設するという豆満江(図們江)地域開発計画を発表し、この地域ににわかに注目が集まった。

1991年12月、朝鮮民主主義人民共和国政務院の決定により、621km2の「羅津・先鋒自由経済貿易地帯」(FETZ)が設定される。1993年3月には「羅津・先鋒自由経済貿易区開発計画」によって地域が拡張される。1998年には地帯の名称が「羅津・先鋒経済貿易地帯」となる。

計画は1993年~94年の北朝鮮核問題や96年の飢饉など不安定な政治要因により曲折を経ているが、中国資本の投資活動や韓国とのコンテナ輸送などで一定の成果を見せている。

交通

またロシアに通じる鉄道がある。

主な名所等

琵琶島

主な宿泊施設

エンペラーホテル
羅津ホテル
  • エンペラーホテル - 香港資本で北朝鮮最高級のホテルカジノを売りにしていたが、最大顧客である延辺自治州の幹部が2004年にカジノで公金を使い果たした事件を機に中国当局が中国人の羅先観光を禁止し、ホテル側のカジノ撤去後、2005年5月に観光再開されたが、観光客は激減した。現在、公式webサイトの以前のURLは接続できない。しかし、2007年ごろにカジノの営業が再開されている事が分かった。[3]
  • 羅津ホテル(1級) - 羅津湾の東
  • 南山旅館(3級) - 羅津中心部
  • 琵琶ホテル(2級) - リョンス山東北麓
  • 琵琶観光ホテル(3級) - 琵琶ホテルの近く
  • 先鋒ホテル(3級) - 先鋒中心部

関連項目

  1. ^ 북한 행정구역 1직할시ㆍ9도ㆍ3특급시 : 북한통일 : 정치 : 인터넷한겨레、『ハンギョレ』電子版 2005年4月17日付 (朝鮮語)
  2. ^ 大韓民国統一部북한에서 쓰고 있는 도・시・군・구역〔北韓で使われている道・市・郡・区域〕」(2006年9月現在) (朝鮮語)
  3. ^ 「羅先市エンペラーホテルのカジノ営業再開」Daily NK 2007年6月13日付

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